玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

短い夏

2020-09-11 14:06:43 | 雑感

今年はコロナ騒ぎで、人々は何となく気ぜわしく、短い夏でした。

思い起こすと、リオ・オリンピックの閉会式では、着物姿で旗を振っていた女帝、スーパーマリオに扮したルイ16世

何とも平和な光景で、今となっては、ただ唇寒し、です・・・。

蝉の這い出た穴

脱皮

終末。今年は蝉の声もすくないような・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一つの形ような

2020-09-07 15:50:05 | 雑感

近頃、コロナ自粛でネットやケーブルTVでいろんな映画を見る。最近では若い人向けの「愛唄」(2019年)を見た。見終わって、これまでに観た数本の恋愛青春映画のひとつの形のようなものを感じた。

恋空」(2007年)「君に初恋を捧ぐ」(2009年)「君の膵臓が食べたい」(2017年)皆、恋愛の制限条件が限られた時間なのだ。

つまり、不治の病による限られた生の中での二人のきずなの強さを証明し、最後は死によって昇華するという形式だった。

昔の日本映画はほとんど見ていないから、あまり偉そうなことは言えない。ただ原作などは読んでいるので、凡その推測はつく。

昔の恋愛映画のストーリーは概ね封建的な家の重圧とか、身分差とか、戦争という死の別れといった壁との葛藤が内容であったような。

この点で、昔に比べて今の時代の解放性、平等性、平和性を感じ取れる。

だが実際は、身の回りに不条理な制限があり、弾圧するモノがあっても、それが格差によって実は見えていないとしたら? 或いは、敢えて見ないとしたら。ふとそんな不安がよぎる。

本当はキッチンと読ましたいが、・・・。逆読みもありかな。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『しのびよる破局』

2020-09-01 10:30:24 | 

この本は二度読んでも、何度読んでも解からない本かもしれない。かといって、いつか分かることがあると、また挑戦するために本棚の目立つところに置く本だろう。

辺見庸はジャーナリストだったが、彼の使う言葉は難解だ。彼は思想家や小説家が似合っていたのだ。

この本は2009年の刊行である。彼は既にパンデミック(感染爆発)を書いていた。この時点で「新型インフルエンザの問題はIfではなく、whenだ」と云った。その通り10年後にやってきた

今また、本棚から取り出して眺めている。

「民主主義はいったい誰のためのものだ?」と問う。

ファシズムはメディアと大衆がつくる」「資本はパンデミックさえ儲けようとする」「格差というが、元々平等があったのか」「テレビメディアは人格崩壊の象徴だ」・・・

これらの言葉が10年前に発せられていることに驚く。アベ政権ではなかったのに。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする