玄冬時代

日常の中で思いつくことを気の向くままに書いてみました。

近現代史の裏側(21)―「木戸日記」が証拠となる―

2024-01-04 14:37:25 | 近現代史

少し復習になって恐縮します。1945年12月6日の木戸の日記が無いと宮中で騒いだが、結局見つからなかった。

木戸は12月16日に巣鴨プリゾンに入れられ、12月21日、自動車で芝の服部邸に連れられて主席検事のキーナンらに会って「木戸日記」の提出を承諾した。何回かに分けて検察局へ提出したが、東條内閣誕生の昭和16年分だけは、翌年の1月23日に遅れて出していた。その間に、自らが不利になる箇所は削除または改竄していると思われる。

【『木戸日記 東京裁判期』東大出版会】

木戸は当然写しは取ったと思うが、当時は複写機はないだろうから、どう写したのか解らない。手写しか、写真か、それとも動員筆記か?

一方、宮中では、12月4日に木下道雄侍従次長は天皇と話し合い、「戦争責任については色々お話あり。‥‥御記憶に加えて、内大臣日記、侍従職記録を参考に一つの記録を作り置く」との許可を戴いた。が、その肝心の内大臣日記=木戸日記が無いのである。木戸が日記を持ち帰っていた。

【木下道雄『側近日誌』文芸春秋】

他方、GHQのフェラーズ准将の強い要請があり、その為に宮中に送り込まれたと推察される元外交官の寺崎英成の御用掛就任もあり、翌年の3月から4月までに、4日間5回にわたって昭和天皇から聴取し、寺崎も入れて5人の側近がこれを纏めたモノを作成した。それが昭和天皇崩御後に公刊された『昭和天皇独白録』であるが、その作成時には天皇と5人の側近の手元には『木戸日記』は無いのである。

【寺崎英成・マリコ・テラサキ・ミラー『昭和天皇独白録』文春文庫】

『木戸日記』の本体は既に東京裁判の検察局に渡されていた訳であるが、「写し」はあったのだろうか。少なくとも「写し」が無いと検察局の証拠との齟齬を生じることになる。

随分と面倒くさいことになった。有態に言うと、天皇と側近たちは嘘がつきにくくなった。【次回へ】

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他の言い方が無いのか

2024-01-03 14:13:43 | ブツブツ

「痛恨の極み」と言って、全然泣き崩れない。

この言葉を聞くと、不思議と力が抜けて、あたり前の不快な出来事になってしまう。

官僚語というのはこういう時に使ってほしくない。

「こんなことになって、本当に悲しい。言葉も出ない、…」と肩を落とす政治家や官僚が現れるのはいつだろうか。

大地震の被災者を助けようと思って、更に大事故を起こすかもしれなかった。でも犠牲者は出てしまった。なんかこの国おかしくないか??

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正月でも地震は来る

2024-01-02 13:58:25 | つぶやき

正月だろうと、元旦だろうと、地震や津波はやって来る。元より地球の時間軸を人間が勝手に区切っただけの暦なのだから、自然界ではあたり前のことかもしれない。

こうした時に、何が気になるか。一番気になるのは、原発です。

日本の日本海側は原発が林立している。今は何もないことを祈るだけである。

金だけ、今だけ、自分だけで、自民党・電力会社・経産省はまったく無責任だ。

原発を止めないと、この國の将来は暗い。

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今年は清張で行こう

2024-01-01 15:07:58 | 挨拶

謹賀新年

去年は、コロナ三年の後、熱暑地獄四ヵ月、何だか解らないうちに一年が終わった。

今までも薄々知りながら、どこか訳知り顔で黙認してきたヿが、何故だか、ネットから、週刊誌から、検察から、湧いて来る。

蓋が開いた<黒ニッポン>という瓶から黒い液体が無限に湧いてくるよう、…。

眼力も、認知力も、記憶力も、最低化した老いの身には、難しい本は無理なようだ。さしあたり、今年は、松本清張『昭和史発掘』を読もうと思っている。

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