『木戸日記』によると、近衛が総辞職を決めた後の二日間、木戸内大臣と鈴木貞一企画院総裁は四回(電話も含め)接触しているそうだ。
当時の富田健治内閣書記官長は、終戦後に海軍少将高木惣吉に「東条は最初から政権を狙っていた」、「鈴木貞一がその下働きや相談にあずかった」との疑念を洩らしたそうだ。
【野村実『天皇・伏見宮と日本海軍』文芸春秋より】
東條が9月6日御前会議の決議(外交交渉が行き詰まれば英米開戦を決意)の白紙化に簡単に乗ってきたのが、ずっと不審であった。
それならば、荻外荘での近衛との会談に歩み寄りがあっていい筈である。木戸は東條を信用していたのか?実は、木戸は鈴木貞一との親交は長かったのである。【次回へ】