皇太子とミチコの結婚は、国民にとっては大きな慶事だった。
新しいプリンセスの誕生にわきかえる。
そして翌年、その興奮もさめやらない2月に今度は親王が誕生した。
天皇・皇后が男子誕生に四苦八苦していたのと裏腹に、本当にすんなりと誕生した
親王だった。
さっそく「ヒロノミヤナルヒト」と命名された。
平民の皇太子妃から生まれた初の皇孫だった。
男子誕生を経て、ミチコの皇太子妃としての立場は安定したかにみえたが、実は
そううまくはいかなかった。
「やっぱりお育ちが」
女官長は常磐会から来た旧家出身の女性ゆえに、皇太子妃の一挙手一投足に
文句を言いたくてたまらないらしかった。
「お育ちいうても、もう東宮妃なのやから」
イリエはやんわり牽制する。女同士の悪口大会はもう御免だったのに。
「一体、何がご不満なんや。東宮妃はしっかりしたお方や。頭もいいし」
「その頭のよさが問題なんです」
女官長は大きくため息をついた。
「おっとりした所が何一つないのです。何でもご自分で決めないと気がすみません。
その細かいことと言ったら・・・あの方はテレビに映る自分の顔を想像して動いて
いるんでしょう。完璧主義なのは結構。でも、分相応にといいたいだけ」
「どんな」
「例えば・・・親王さんのご養育に関しても、ああしろこうしろとこまごま書置きに
なられて。それは世間では「ナルちゃん憲法」だなんてもてはやされていますけど
私達を信用していないのかといいたくなりますわ。ご自分達で育てるというご立派な
意思をお持ちで、東宮御所に台所までお作りになって。そこまでする必要あります?
何で東宮妃が離乳食を自分で作るんです?
それだけじゃありません。一言注意申し上げれば10くらい質問が返ってきて。
私からみたら、理屈じゃないのにと申し上げるしか・・・でも絶対に納得なさらない。
相当な負けず嫌いで。そういうのが皇后陛下や宮妃の前でも出るんでしょう」
「完ぺき主義なのはそうやな。何でも理屈で通そうとする部分もあるかも」
「そうでしょう?でも皇室の生活と言うのは理屈ではありません。ただただ素直に
注意されたら聞いて頭を下げればいいんです」
女官長の極端な物言い・・これは物議をかもすかもしれないとイリエは思った。
重箱の隅をつつくような小言も多々あり・・皇太子妃の精神力がどこまで持つか。
弟のヨシノミヤは皇太子妃に心酔しきっていた。
「どんな方と結婚したいですか?」と聞かれて「お姉様のような人」と答えてしまうし
皇太子妃から聖書の話を聞いて、すっかりキリスト教を理解したつもりになって
しまい、それが天皇の逆鱗に触れたことも。
週に一度、皇太子一家は参内し、両陛下と食事をとるが、皇太子妃の体調が
あまりよくなくて、何度も欠席すれば「嫁姑の確執」とかかれるし、
皇太子が記者会見でヒロノミヤについて聞かれ
「ナルちゃんと呼んでるけど、あまりわかってない」と答え、すぐさま皇太子妃が
「わかってますよ」と答えれば「皇太子に口答えした」と書かれる。
何をやってもマスコミから興味の対象として扱われ、あることないこと書かれ、
それが皇族方やその周りの耳に入り、また注意を受けるといった具合で。
ついにある時、皇太子は女官長を
「皇太子妃として敬え」と叱りつけてしまった。
また旧皇族方に対しても「いつかミチコの方が上の立場になる」と発言してしまった。
女官長は交代して終わったけれど、プライドを傷つけられた旧家の気持ちは
そうそう和らぐ事はなく
「今上がおわしますまでは皇室の藩屏として頑張りますが、次世代からは
縁を切ります」といった声まで上がった。
要するに皇太子夫妻は完全に旧皇族・旧華族を敵に回してしまったのだった。
その微妙な空気は無論、チチブ・タカマツ・ミカサの3宮家にも充満し、特に
ミカサノミヤ家の子供達はみな、皇太子夫妻とは疎遠なまま育ってしまった。
その埋め合わせをするように、ヨシノミヤは旧華族のツガルハナコと結婚し
ヒタチノミヤ家を創設したが、今度は兄と弟の間に微妙な空気が流れる。
何がそんなに古株達の心をえぐるのか、若い皇太子夫妻は全くわかっていなかった。
「開かれた皇室」という名のもと、民主主義時代の皇室を模索する皇太子は
伝統を守りつつ新しい風を入れようとする。孤独な戦いの味方は妻一人。
でも、その事が後々大きな問題を作るとも思ってはいなかった。
昭和という時代の中で「派閥」を作らなかった皇太子夫妻は、常に孤高の人たちだった。