昭和38年12月9日。
オワダ家に一人の女児が誕生した。
出産直後にそれを聞かされた時、ヒサシはひどく頭が重くなったような気がした。
「なぜ男児じゃなくて女児だったんだ」
オワダの後を継ぐのは男子でなければ・・・・自分が思った以上に男児が欲しくて
たまらなかったことを痛感させられた。
ここまで順調に来ていたのに。跡継ぎたる男子に恵まれないなんて。
「次は男の子を頼むよ」
ヒサシはそういうのが精一杯だった。ユミコは黙っている。
姑であるヒサシの母はわざわざ上京して赤ん坊を抱いてくれたが
「最初は男の子がよかったね」と言い放った。
「嫁は跡継ぎを産まない限り、嫁とは認められないもんなんだよ。ヒサシは兄弟の
中ではとりわけ賢くて出世頭さ。その能力を受け継いで右腕になるような男の子を
産まないとダメじゃないの。あんたはヒサシの出世の邪魔をする気かい?」
そういわれてもユミコはどうしようもなかった。
そもそもエガシラ家の一人娘として大事に育てられてきた彼女は、「オワダの嫁」
と言われてもぴんとこない。
住んでいるのは実家だし、彼は私の両親と同居している。
彼の生活の一切合財を面倒見ているのは私の両親だ。
いくら姑とはいえ、こんな事を言われる筋合いはない。
「性別は天の配剤ですから」
「じゃあ、天が見放しているって事かい?精進がたりないんだね。今後は男の子が
授かるように努力しなさい。いい漢方薬をあげるから」
出産したばかりで疲れきっているユミコの耳元であからさまに赤ん坊への侮辱とも
とられる台詞に思わず涙が出る。
病院のベッドの上で涙にくれ、ショックからか熱まで出した娘にエガシラ夫妻は
おろおろし、事の経緯を聞いて怒り心頭になった。
「ヒサシ君。日本では一姫二太郎という言葉があるのがわからんのか。うちの娘を
こんな風に傷つけてそれですむとでも?」
「申し訳ありません。母に悪気はなかったんです。励ますつもりだったんです」
(全く・・一人娘という奴は)
ヒサシは心の中で舌打ちをする。いちいち自分の親に告げ口をする女なんて。
しかしとりあえずご機嫌取りをしなくてはならない。
ヒサシは生まれたばかりの娘に「マサコ」と名づけた。
「みやび」と書いてマサコ。それはユミコの字に「やさしい」という字が使われているので
二つあわせれば「優雅」になる。精一杯の愛情表現だった。
「次があるさ・・次が・・・・」
ヒサシはそう思って納得するしかなかった。