ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇后陛下81歳に   1

2015-10-20 07:16:11 | 皇室報道

 皇后陛下 お誕生日おめでとうございます。

ジョギングもされているようですが、無理をなさらず

お健やかにお過ごしください 

誕生日に関して文書回答

 1年を振り返って

この1年も,火山の噴火や大雨による洪水,土地の崩落,竜巻など

日本各地を襲う災害の報に接することが多く,悲しいことでした。

ごく最近も,豪雨のため関東や東北の各所で川が溢れ,と

りわけ茨城県常総市では堤防が決壊して二人が亡くなり,家を流された大勢の人々が

今も避難生活を続けています。

先日,陛下の御訪問に同伴して同市を訪問いたしましたが,

水流により大きく土地をえぐられた川沿いの地区の状況に驚くと共に,

道々目にした土砂で埋まった田畑,とりわけ実りの後に水漬(みづ)いた稲の姿は傷ましく

農家の人々の落胆はいかばかりかと察しています。

 詩的な表現だなあと思います。

  物事をこのように詩的に表現できる能力の高さにはいつも敬服します。

  とはいえ、美術館にもいかれたんですよね。

  もしや美術館でもそんなことをお考えに?

 

東日本でも,大震災以来すでに4年余の歳月が経ちますが,

未だに避難生活を続ける人が19万人を超え,避難指示が解かれ,

徐々に地区に戻った人々にも,さまざまな生活上の不安があろうかと案じられます。

また,海沿いの被災地では,今も2,000名を超える行方不明者の捜索が続けられており,

長期にわたりこの仕事に従事される警察や海上保安庁の人たち,また原発の事故現場で,

今も日々激しく働く人々の健康の守られることを祈らずにはいられません。

先の戦争終結から70年を経,この1年は改めて当時を振り返る節目の年でもありました。

終戦を迎えたのが国民学校の5年の時であり,

私の戦争に関する知識はあくまで子どもの折の途切れ途切れの不十分なものでした。

こうした節目の年は,改めて過去を学び,当時の日本や世界への理解を深める

大切な機会と考えられ,そうした思いの中で,この1年を過ごしてまいりました。

平和な今の時代を生きる人々が,戦時に思いを致すことは決して容易なことではないと思いますが,

今年は私の周辺でも,次世代,またその次の世代の人々が,

各種の催しや展示場を訪れ,真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています

先頃,孫の愛子と二人で話しておりました折,夏の宿題で戦争に関する新聞記事を集めた時,

原爆の被害を受けた広島で,戦争末期に人手不足のため市電の運転をまかされていた女子学生たちが,

爆弾投下4日目にして,自分たちの手で電車を動かしていたという記事のことが話題になり,

ああ愛子もあの記事を記憶していたのだと,胸を打たれました。

若い人たちが過去の戦争の悲惨さを知ることは大切ですが,

私は愛子が,悲しみの現場に,

小さくとも人々の心を希望に向ける何らかの動きがあったという記事に

心を留めたことを,嬉しく思いました。

 愛子内親王の話はNHKで放送されたドラマの事でしょう。

  内親王が自発的に新聞記事でそれを見つけるという事をしたとは思えないので。

  どちらかといえば、悠仁親王の昭和館訪問などの方がよほど心に残る筈で。

  要するに内親王は別格なんだな・・・と思いました。

  でも「小さくとも」の一文字が気になって。

  愛子内親王はもう小さくないですよ?

 

今年,陛下が長らく願っていらした南太平洋のパラオ御訪問が実現し,

日本の委任統治下で1万余の将兵が散華したペリリュー島で,

御一緒に日米の戦死者の霊に祈りを捧げることが出来たことは,

忘れられない思い出です。

かつてサイパン島のスーサイド・クリフに立った時,3羽の白いアジサシがすぐ目の前の海上を

ゆっくりと渡る姿に息を呑んだことでしたが,この度も海上保安庁の船,

「あきつしま」からヘリコプターでペリリュー島に向かう途中,眼下に,その時と同じ美しい鳥の姿を認め,

亡くなった方々の御霊(みたま)に接するようで胸が一杯になりました。

戦争で,災害で,志半ばで去られた人々を思い,残された多くの人々の深い悲しみに触れ,

この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く,

その人たちにとり,死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを,改めて深く考えさせられた1年でした。

 視覚的な風景を読み込みながら感動を与える。三羽のアジサシの話は

   まるで小説か映画のようですね。

   正当性の主張のようにも見えます。

  という事は、批判されていることを多少はご存じなのか。

 

世界の出来事としては,アフリカや中東など,各地で起こる内戦やテロ,

それによる難民の増大と他国への移動,米国とキューバの国交回復,

長期にわたったTPP交渉などが記憶に残っています。

また,日本や外地で会合を重ね,学ぶことの多かったドイツのヴァイツゼッカー元大統領や

シンガポールのリー・クァンユー元首相,40年以上にわたり,姉のようにして付き合って下さった

ベルギーのファビオラ元王妃とのお別れがありました。

この回答を記している最中(さなか),日本のお二人の研究者,

大村智さんと梶田隆章さんのノーベル賞受賞という明るい,嬉しいニュースに接しました。

受賞を心から喜ぶと共に,お二人が,それぞれの研究分野の先達であり,

同賞の受賞こそなかったとはいえ,かつてそれに匹敵する研究をしておられた北里柴三郎博士や,

つい7年前に亡くなられた戸塚洋二さんの業績を深い敬意をもって語られることで,

これらの方々の上にも私どもの思いを導いて下さったことを有難く思いました。

また,大村さんや同時受賞のアイルランドのウィリアム・キャンベル博士と共に,

同じこの分野で,国の各地に伝わる漢方薬の文献をくまなく調べ,

遂にマラリヤに効果のある薬草の調合法を見出した

中国の屠(と)(ゆうゆう)さんの受賞も素晴らしいことでした。

スポーツの分野でも,テニスや車いすテニスの選手が立派な成果を上げ,

また,ラグビーワールドカップにおける日本代表チームの輝かしい戦いぶりは,

日本のみでなく世界の注目を集めました。4年後の日本で開かれる大会に,楽しく夢を馳せています。

 私は、こうやって個人名を上げる事には反対です。

  これっていかに皇后陛下が記憶力がよくて、細かく色々なニュースをチェックしているんですよ

  下々の人達の事も一人ひとり見てますよというアピールと思うのですが

  一国の皇后のすることではないだろうと思うのです。

  しかも中国人にまで言及・・・・本当に細かい事で。

 個人名を上げるならスポーツの分野でも上げてほしかったし、そういう不平等感を

   あおることはやめてほしいです。

 

身内での変化は,秋篠宮家の佳子が成年を迎え,公的な活動を始めたこと,

眞子が約1年の留学を終え,元気に戻ってきたことです。

佳子はこの1年,受験,成年皇族としての公務,新しい大学生活,と,さまざまな新しい経験を積み,

また時に両親に代わって悠仁の面倒をみるなど,

数々の役目を一生懸命に果たして来ました。

眞子が帰って来てホッとしていることと思います。

また,この12月には三笠宮様が100歳におなりで,お祝い申し上げる日を楽しみにしております。

戦後70年となる今年は,昭和天皇の終戦の詔勅の録音盤や,

終戦が決められた御前会議の場となった吹上防空壕の映像が公開されるなど,

改めて当時の昭和天皇の御心(みこころ)を思い上げることの多い1年でした。

どんなにかご苦労の多くいらしたであろう昭和天皇をお偲び申し上げ,

その御意志を体(たい)し,人々の安寧を願い続けておられる陛下のお側で,

陛下の御健康をお見守りしつつ,これからの務めを果たしていければと願っています。

体調につき尋ねて下さり有難うございました。今のところ,これまでと変わりなく過ごしています。

 秋篠宮家に関しては人気者の佳子様に関してはきっちりとおっしゃり

  悠仁親王についてはスルー。

 眞子さまが帰国してほっとしているのは私です・・・くらいおっしゃって戴けたら

  「ああ、やっぱりおばあさまなんだな」と思えたのに。

正直、ジョギング映像には驚かされました。

服装がとてもジョギング用とは思えませんが・・・

でもあんなにしっかりと走っていらっしゃる。けれど、立っているときは陛下の

腕にすがらないとダメ。

これは一体、どういう風にとらえたらいいのかしらと

真逆の矛盾。雅子妃と一緒で国民は混乱するばかり。

 孫達に囲まれるでもなく、二人きりで普段着で立つ

両陛下の図。孤独ですよね。今時の庶民と同じです。

戦後70周年にあたり、さまざまな催しや施設を訪問したのは秋篠宮家の方。

だけど「次世代,またその次の世代の人々が,

各種の催しや展示場を訪れ,真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています

の一文で終わりですか。

一方で愛子内親王への異常な肩入れ。

これはやっぱりと思わずにはいられませんね。

私は、小さな悠仁殿下が、それこそ何世代も前の戦争の話を

常に真摯にきちんと聞かれて展示物をご覧になったりする方に感動しましたけど

皇后陛下はそれよりも愛子内親王の方が印象的だったんだなと。

無論、「内親王は外のお孫さん達とはあらゆる意味で違うから」皇后陛下は

弱いものへの目線を大切にする方だから・・・と好意的な見方も出来ないわけでは

ありませんが。

 

 

 

コメント (32)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和34年2月6日内閣委員会議事録9

2015-10-20 07:05:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

○宇佐美説明員 

きわめて多岐にわたっての御質問でございます。

今回の御結婚に対しまして、もう数年前から、

私が長官になる前からいろいろな準備が始まっておった、調査があったわけであります。

もちろんその調査につきましては先ほどもちょっと申し上げましたように、

これは御両親陛下としても御心配になることであり、

皇太子様自身のお考えということもございまして、

十分お考えも伺いながら方針を立てて参ったわけであります。

もとより御選考の基準と申しますものはこれは皇太子様の妃殿下にふさわしい方ということで、

御健康にしろ何にしろ最上級、お尋ねがあればそう申し上げるよりほかないわけでございます

しかし現実の場合にはそういったすべて万全を備えるということはなかなか困難でございます。

ただ国会においても各報道が漸次現われるにつれまして、

ほとんど毎国会ごとに宮内庁の考えの御質問がございました。

それにつきましてはお尋ねに従って、われわれは考えるところを率直に申し上げて参ったつもりでございます。

その当初の考えは国会でもお答え申し上げたと思いますが、

そういった諸要件がすぐれた方であられるのはもちろんでございますけれども、

その御選考の範囲というものについてもお尋ねがあったわけでございます。

御承知の通り前の皇室典範におきましては、皇族の結婚は皇族または華族に限るという規定がございました。

それが新しい憲法に従ってできました新しい皇室典範におきましては、

憲法の精神によって、華族制度はもちろん貴族の制度というものが廃止されたのでございます。

従って、皇族男子の御結婚につきましては、何ら法制的には制限はございませんけれども、

やはり皇室自体が長い歴史を持ったお家でありまするし、

旧来の範囲から選考が始まるというのが、むしろ常識的であるということを

われわれも考えておったのでありますが、しかしそういったときにも、ときによっては、

その範囲外に出ることもあり得る。御質問の中にも、

全国民を対象にして選べというようなこともしばしば伺ったわけであります。

われわれとしてはそういうようなことでお答えしたと記憶するのであります。

実際の選考に当りますると、やはり終戦後の各家庭生活の変化でございますとか、

あるいは優生学的な見地からの制限でありますとか、いろいろな点で

なかなかむずかしい問題に逢着いたしました。

従って、第一段の方針から一歩出るということにつきましても、実に時間をかけて

慎重に考えたわけでございます。単純に考えたわけではなかったのであります。

しかし実際問題といたしまして、一般と申しましても、どこでもいいというわけではございません。

やはり日本の良識のあるりっぱな家庭ということを考えなければなりません。

これのうちからまた候補を選ぶということにつきましては、相当苦心をいたしたわけであります。

だんだんそれをしぼって参りまして、何人かの候補をあげ、殿下にもよく御説明をして、

私どもの申し上げることと殿下の御決心も合致いたしまして、

としになりましてようやく進行するようになったわけであります。

その間私どもといたしましては、前内閣あるいは現内閣におきましても、

総理大臣にはそういった経過を申し上げ、それからそういった大きな根本の方針の変更等についても

説明申し上げて参ったのであります。


 皇室会議を開きますことは、先ほど仰せになりました通りに、

議長たる内閣総理大臣の招集でございます。もちろん一国の官吏としての立場、

議長としての立場から、私どもといたしましては、

過去においても十分な御連絡と御意見を伺うということには意を配って参ったつもりでございます。そ

ういうことで皇室会議が開会せられたわけでございます。

実際先ほどお述べになりました通り、皇室会議を開くにつきましても、

実は皇室会議が設置せられましてから第二回の例であります。

第一回は御承知の通りに、新憲法の実施の当時に多くの皇族が下られまして、

そのときが一回で、第二回であります。

私といたしましてもこの取扱いについては、内々皇室会議の委員であられる方の御意見も

聞きながらやったつもりであります。

会議が開かれまして、できるだけ経過と資料を申し上げ、私といたしましては、

世上でいわれまするいろいろな不安と申しますか、心配ということも率直に申し上げて、

御説明をしたわけであります。

その結果、満場一致でおきめをいただいたのであります。ただ今回の問題を離れて、

将来のことを考えます際に、先ほど摂政の場合の例をお引きになりましたが、

要するに結婚の場合におきましては、あくまで憲法の原則と申しますか、

これは新しい憲法ばかりでなく、従前からも、これは人間の本質であろうと思いますが、

結婚される方の合意がなければならぬわけでございます。

事前にいろいろなものを多くの人が公式に論議をして、これを配合するというものではなかろうと思っております。

皇室会議におきまする皇族男子の御結婚、将来も起るのでございますが、

これはやはり両性、両方の合意というものがなければ、

皇室会議の議にはならないのではないかというふうに思います。

こういった選考の経過というものを国民に周知させてやるということは、

その事柄の性質上、私は避けねばならないことだと考えております。

その間においていろいろ派生的な問題が起りますし、

人権の問題にも及ぶことであろうと思います。

ただ皇室会議に慎重に審議を願うという意味から申しまして、

私も今の皇室会議があのままでいいかどうかということは、実は今回当りまして、

いささか考えたことでございます。今回の現実のことを申すのではなく、

全体を進める上において、たとえば御結婚会のような重大なことを進めます際に、

今の制度のままでいいかどうかということは多少私も考えました。

まだこうしたらいいのではないかという結論はここで申し上げかねますけれども、

単に御結婚のことばかりでなく、摂政の選定等いろいろ重大なことを議する制度でございますから、

慎重に検討しなければなりませんが、私も正直に申し上げて、

多少当時は考えて、幾らか申したこともございます。そういうような点から考えますと、

皇室制につきましても、御発言のようなことが一つあるのかもしれません。

どういうふうにしたらば、ほんとうに事を運ぶに容易であって、

しかも慎重な審議を尽せるかという行き方について、将来検討すべきものであろう、こう考えます。

申し落したことがあるかと思いますが、以上でございます。

皇太子の結婚に関しては旧皇室典範にあるように旧皇族・旧華族から

選ぼうと思ったのですが、優生学上の問題などからその範囲を広げざるを得ず

かといって誰の家でもいいというわけでもなく、色々考えた結果なのでございます。

とはいいつつも、両性の合意がなければ皇室会議にかけることもできません。

皇室会議に関してはこれで2回目になります。

今のままの在り方がいいとは言えないけど、だからこうだとも言えません)

 

 

  要するに、「皇太子妃にはこの人がふさわしい」という視点と、皇太子自身が

  気に入ったかどうか、そして妃となる人が合意したかどうか。

  宮内庁としてはイエスともノーとも言えないのです。

 


○高瀬委員 

私は別にこれ以上伺うことはありませんが、

実はこういうふうな重大な国事というものは、やはり国会というものは国民の代表というか、

国権の最高権威のところですから、

こういうことはやはり内閣において公式に国会に報告があって

しかるべきものだと思うのです。

それは宇佐美さんに申し上げてもなんでありますが、私はその点を特に官房長官に

念を押しておきたかったのでありますが、おりませんから、

委員長を通してこれをお願いします。

委員長、いいですか。特にこういう問題については、やはり公式に国会に内閣が報告する

義務があると思うのです。そういうことを特に私は確かめたかったのですけれども、おりませんから、

委員長を通してお願いいたします。

それから、特に皇室会議のあり方ということについては、

宇佐美長官もいろいろ考えておられるようでありますから、

内閣においても慎重に考える必要がある。うまくいったときはいいのですが、

いろいろ事が紛糾した場合に、あんなやり方、ほんとうの形式的な、

イエスかノーかというようなやり方では、非常に国民が安心しない。私

はこういう考えでございますから、どうぞ御善処方を要望いたしまして終ります。

(とにかくこういう重大な事は国会を通すべきです)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和34年2月6日内閣委員会議事録8

2015-10-20 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

○高瀬委員 

実は私は皇室会議のあり方について私の所見も述べ、

あるいは内閣あるいは宮内庁の意向も伺いたい、こういうことであるのであります。

特に今回の皇太子殿下の結婚に関しまして、

皇室会議のあり方について一言お伺いしたい。そ

して私の所見も述べたい、こういうのであります。

もちろん前提条件として、私は皇太子妃が今回きまりまして、

御成婚があるということについて、日本国民として心からお喜びを申し上げておる一人でございますから、

そういう点は誤解のないようにお願いしたい。


 私は皇室のあり方というものについて、平井君などと意見が違うかもわかりませんが、

敗戦直後陛下もおっしゃったように記憶しておるのでありますけれども、

つまり英国の皇室のようなあり方、これが日本としては非常に望ましいということを

陛下がおっしゃったように記憶しておるのであります。

御承知のように私から申し上げるまでもなくいイギリスは今日存在しておるところの

君主制の国家の典型的、代表的のものであると言ってもいいのでありまして、

皇室と国民とが真に一体になっておるということは事実のようであります。

従って敗戦後、日本が民主主義の国家として再出発した際に、

英国流の皇室のあり方、あるいは英国流の議会の運営のあり方、

あるいは英国流の国民と皇室の関係、こういうものを陛下は理想にしておられたのではないか、

そういうふうに拝察される節があるのでございます。

しかし現在必ずしも皇室と国民とが一体になっておるとは私は思えない点もございます。

たとえば、これは言葉のあやでありますから、こんなことは理由にはならぬかもしれませんが、

菊のカーテン、こういうような言葉をよく耳にいたします。

従って現在の皇室に対する国民の感情というものは、

今回の皇太子妃の選定に当りまして、端的にこれらの点を現わしておる点がなきにしもあらず、

一般の世論というものは非常にお祝いを申し、私もその一人でありますが、

必ずしもそればかりではない

先ほど平井君もちょっと触れたようであります。

しかも憲法の第一条に明記してあります通り、天皇は日本国民統合の象徴でありますから、

皇室と国民とが密接なつながりを持つということは当然でございますし、

天皇御自身ももちろんそういうふうにお考えになっておると私は拝察いたします。

ところが現在の、特に今回の結婚で国民感情から多少離れているような印象がある。

これは実は私はあの発表の形式とか、そういうものをかれこれ言うのではありませんが、

実際のところ皇太子妃の選定に当りまして、

宮内庁の宇佐美さん初め関係者は長い間大へん御苦労になったと思うのです。

この点私は敬意を表しておりますが、国会も何ら御結婚について知らされておりません。

公式発表の十日前、つまり十一月十七日のニューズ・ウィークには事こまかに、

全部私は翻訳して持っておりますが、

「皇太子の恋」という表題で詳細に報道されております。

結局知らないのは国民だけだ。私はこういう問題がありましたときに、

宮内庁に電話をかけまして、宇佐美さんは当時お留守でありましたが、

そういう事実があるかどうか、私はそれを尋ねたのでありますが、

電話に出た人は相当の方だと思いましたが、全然知らないというお話でございました

それはいろいろ都合があったかもしれませんが、現在結納もかわされた今日ならば、

その辺のいきさつを相当詳細に御報告を願って、そうしてやはり国会の記録に残しておく必要がある。

これはやはり一つの国事でございますから、その点はぜひとも――先ほど、

いろいろうわさされておるような事実はないとか、断片的におっしゃったようでございますが、

ニューズ・ウィークにいろいろなことが書いてあります。

特にこれは恋愛という言葉を盛んに使っております。

たとえば「二人は恋愛中だが、果して因襲に刃向って結婚ができるだろうか、

これが事情を知っている連中がもう何カ月も抱いている疑問である。

」というようなこと、それから

皇太子が正田美智子さんに初めて会ったのは軽井沢のテニス・コートである。」

それから、非常に反対があったということも載っております。

反対は大へんなものだ。一番驚いたのは米国の占領下に皇室を除いて爵位を

全廃された元の公爵、伯爵、子爵、男爵などであった。

天皇の義妹に当られる秩父宮妃のお母さんの松平信子前子爵夫人を先頭に、

華族たちは皇族出の他の候補者を立てて運動したが、

民主化がとうとう皇位にまで及んだことに一斉にろうばいした。」

こんなことが書いてあります。これはもちろん単なるニュースでありますから、

私はその信憑性のいかんは知りませんけれども、

特にあのとき宇佐美長官もおっしゃったと思うのですが、

あれは恋愛ではない、たとえば結婚は相互の合意のみによって成立し、

相互の協力によって打ち立てなければならないという憲法の条章そのものとは関係がない、

普通の恋愛ではないのだということを非常に強調されたようでございます。

従ってこういうような問題について、先ほど長官も非常にいい機会を与えてもらって感謝すると言われましたが、

私はやはり国家の一つの重大な国事でございますから、

こういう点についても詳細に系統的にいきさつを説明されて、

国会の記録に残しておく方がよかろう、私はこういうふうに考えるので申し上げているようなわけであります。

ここで一問一答をして宇佐見さんをどうこうしようというのではございません。


 それから、特に私の念頭に浮びましたことは、皇室会議というものはただ一度しか開かれていない。

結局皇室会議を一度開きまして、決定をやったのは既成事実をただ承認しただけ、

椎熊前副議長などに聞きますと、その日に正田家の家系その他いろいろ書類を渡されて、

それにただ無言で賛成しただけだというふうにも聞いておるのでありますが、

こういうふうになりますと、皇室会議などというものは非常に形式的なものであって

国民や国体と重大な関係にある皇太子妃を決定するということは、

あまりにも非民主主義的なやり方じゃないか。

皇室会議というものは非常に形式的なものになって、

たった一回、既成事実を承認するというだけになってしまったのでは、

皇室会議のあり方としては非常に危険じゃないか、こういうふうに思うのであります。

特にたとえば皇室典範の第三条を見てみますと、

世継ぎの方、皇嗣に重大な事故があるときは、皇室会議の議によって皇位継承の順序を変えることができる、

こういうふうに述べてあります。

従ってこの皇室会議を開くのは、議長であるところの総理大臣ではありますけれども、

形式的には宮内庁がイニシアチブをとることになりますから、

これが非民主主義的に運営されるということになりますと、

非常に重大な結果を及ぼすと思うのであります。

従ってこれは宮内庁だけを責めるわけには参りません。

政府の重大なる責任でもあると思いますが、一体こういうような点で、

ただ既成事実だけを皇室会議に形式的にかけて、

たった一回だけの会議でああいう重大な国事をきめるということが果していいのかどうか、

その点が非常に私は重大だ、こう思うのであります。


 それからもう一つ、こういうような問題について、

これは例は違いますけれども、イギリスなどの例をとってみますと、

たびたび非公式の閣僚会議などを開いております。

たとえば私はここにノーマン・バリメインの書いた「ザ・ストーリイ・オブ・ピーター・タウンゼント」という本を

持っておりますが、これによりますと、あのプリンセス・マーガレットがタウンゼントと婚約するときに、

非常に衆人環視の中で国民が納得するような状態でああいう問題を解決したようであります。

従ってその当時のサー・アンソニー・イーデンはたびたび閣僚会議を開き、

あるいはカンタベリー大僧正とも相談をし、あるいは上院の枢密院議長のソールスベリー卿などとも相談をして、

慎重な手続をとってあのプリンセス・マーガレットの問題を解決した。

私は当時ロンドンにおりました。

非常にその点の合理的な国民と密着したやり方について、

敬意を表して帰ってきた一人なのであります。

従ってそれと比較して、この皇太子妃のきめ方が一回の皇室会議できまる

しかも私は、きょう内閣側からだれも出ておりませんが、

この皇室会議の構成自体についても非常に疑問を持っております。

両院の議長、副議長が出ているが、副議長というものは議長が事故あるときにだけ

これを代理するものであって、院を代表して出るとすれば議長だけでいい、

こういうような点も私の聞きたい点でございますが、答弁する人がおりません。


 そこで私は、この皇室会議の構成についても疑問があるし、

ああいう皇位継承をきめるような重大な皇室会議というものはもっとたびたび開くなり、あ

るいは内閣と連絡するなり、そういうふうにして国民が納得するような状態で

あの御結婚をきめていただいたらなおよかったのじゃないか、こう思いますが、

これらに対する宮内庁の見解、それから内閣の見解、

それから宮内庁は内閣などとどういうふうな折衝をされたか、

小泉という人は皇太子殿下の先生でありましょうけれども、大体田島、小泉などという方だけが

イニシアチブをとって、きまったものを総理大臣に報告し、

総理大臣はただ正田美智子さんの信仰の問題だけを

お聞きになったというふうにしかわれわれは受け取れない

それの前にたびたび閣僚会議を開くなり、あるいは皇室会議を開くなり、

こういうふうにして念には念を入れてきまったものならば私は非常にけっこうだと思うのですが、

われわれ国民はその点は全然知らされてない。

知らないのは国民だけだという結果になったわけであります

十一月十七日のニュースでこういうこともちゃんと出ているわけであります。それで私は電話をかけた。

 しかも十二月六日号の「エコノミスト」に日本の皇室と題して、

宮内庁の役人の各位には非常に痛いことを書いてあるのであります。

これは読むとはなはだ妙なことになりますが、一応読んでみましょう。

古くからの皇室の伝統のうち、残っているものは天皇一家が守っているよりも、

むしろ皇室の役人が守っているといった方がいい。

宮内庁の役人の数は一万人から一千人に激減したが、依然強力である。

彼らは野心を持たず、別に悪い人間ではないが、強い義務感に縛られる傾向があるので、

時代に取り残されがちである。彼らは渉外のセンスがないので、

他の官庁のより進歩的な役人たちからきらわれ、

一般国民から疑惑の目で見られている。」

これは非常にお気の毒ですが、これはただ書いてあるので、私の意見ではございませんから……。

皇太子の婚約発表の際、発行部数の多い日刊紙「読売」は十一月二十八日の社説で辛らつに論じている。

「天皇を独占することによって特権を維持しようとする暗い勢力が、

かたくなに民衆への接近を妨げていたのである。

皇太子の婚約は、これらの人たちの態度に対して、痛烈な反省のむちを与えたものと言ってよい」

以上の言葉は、正しいと思っていることをやってきただけの役人たちにとって、

やや点が辛いかもしれない。だが、大ていの日本人は、

宮内庁の官僚が皇太子に、一般民間人と決して結婚させないと考えてきたが、

今では皇太子みずからがこれら官僚に分を知らしめることによってのみ、

自分の望みを貫徹したと信じ、皇太子の勇気ある行為に対して、

熱烈な拍手を送っていることは事実だ。」というのであります。

非常に長くかかりましたが、こういう批評もあるのでございますから、

私は宮内庁の、特に皇室会議なんかに対するやり方に対して反省を促したい、こういうことでございます。


 それから先ほど三笠宮の問題で受田君からお話がありましたが、

私は少くとも皇族方というものは政治的にもあらゆる点で中立性を持って、

インパーシャルでなければいけないと思うのです

特に選挙権もない、被選挙権も行使されない、

こういう地位にあるのでありますから、やはり政治的な影響のあることは発言されない方がいいと思うのであります。

そういう点で宇佐美長官が率直に三笠宮におっしゃったことは私は正しいと考えております。

従って今後も三笠宮殿下の学問のいろいろ結論とかなんとかを、

そういうふうな中立の立場にある特殊な皇族方は、

ぜひとも積極的に発表されないことを望む一人でございます。


 自分の意見だけを長々と述べましたが、

これらについて実は内閣並びに宮内庁の意見を拝聴したい。

特に私は宇佐美さんを責めるよりも、国家組織法によりましても、

宮内庁は内閣の一つの庁になっておるのでありますから、

内閣委員会としては赤城官房長官の臨席を願って、

この点の所見をはっきりと聞く必要があると確信いたしておるのでありますが、

どういうわけか来ない、それでは答弁を得ることもできませんが、宇佐美さんに一つ所見をお伺いしたい。

(陛下(昭和天皇)は、民主主義国家における皇室の在り方として

イギリスの王室のようなものが望ましいとおっしゃったような気がします。

イギリス王室は現在、存在している君主制国家の中でも人民と一体化していると思います。

日本の場合、必ずしも皇室と人民が一体化しているとは言えないと思います。

例えば「菊のカーテン」という言葉がありますよね。

 

天皇は国民の統合の象徴ですから、当然皇室と国民は一つであり、

また陛下もそのように望まれていると思います。

しかし、皇太子殿下のこのたびのご結婚に関しては、必ずしもそうとばかりは

言えない空気があるのです。

皇太子殿下のご結婚について宇佐美宮内庁長官などは非常に努力されたと思いますが

国会は何一つ知らされておりません。

11月17日のニューズウイーク誌に細かく書かれておりまして

それには「皇太子の恋」という風に報道されています。

結局、知らなかったのは国民だけ。

これについて宇佐美長官に電話をしたけどお留守だった。

電話に出た宮内庁の方も知らなかった。

記録としてこういう事は国会に残していく必要があると思います。

 

ニューズウイークにはいろいろな事が書いてあります。

特に「恋愛」という言葉を多用しています。

「皇室の因習に歯向かって二人は結ばれるのか。事情を知っている人達の

疑問である」

「二人が出会ったのは軽井沢のテニスコートだ」

「反対も相当あった。秩父宮妃の母である松平信子を筆頭に

旧皇族・華族は他の候補者を立てて反対したが、民主化が

とうとう皇室にまで及んだことに、みな狼狽した」

確か宇佐美さんは「これは恋愛結婚ではない」とおっしゃいましたよね?

皇室の結婚は憲法のいう所にある「両性の合意によってのみ」とは

立場が違うものだと。

 

さらに皇室会議は一度しか開かれてないようですね。

当日に正田家からの資料をあれこれ渡されて無言のまま賛成しただけとか。

これでは皇室会議の意味があるんでしょうか?

既成事実を見て承認するだけになったら皇室会議の在り方として

危険すぎますよね。

重大な事をたった一回の皇室会議で決めてしまっていいものでしょうか?

イギリスではマーガレット王女とピーター・タウンゼントの件について

何度か非公式の閣僚会議を開き、カンタベリー大僧正やソールズベリー卿などとも

話し合って全ての国民が納得するように衆人環視の下で解決しました。

私はその時、ロンドンにおりましたが感動しましたよ。

なのに日本はたった一回の皇室会議で、こんな重大なことを決めてしまうなんて。

しかも小泉信三・田島前長官らがイニシアチブをとって、決まったものを

総理大臣に報告し、総理大臣は正田美智子さんの「信仰」についてのみ

質問したとか。

それも閣僚会議が開かれ、皇室会議が開かれ、何度か話し合った結果のもの

ならわかるけど、国民には何一つ知らされていなかったんですからね。

「エコノミストには「皇室の伝統は天皇一家より宮内庁職員が守っている。

悪い人達ではないけど融通がきかず、時代遅れになりがちだ」

また、読売新聞の社説においては

「日本人はみな、官僚が皇太子と一般庶民との結婚を許さないだろうと

考えていたが、皇太子自らがその官僚たちに分を知らしめることによってのみ

自分の思いを貫徹したと信じていて、皇太子の勇気ある行動に拍手した」

と書いてあります。

また三笠宮に関しては、宇佐美長官の方が正しいと思います。

全てにおいて中立であらねばならない皇族が政治的発言をしてはいけないと思います。

何気にすごい事が書いてあるんです。

 皇太子妃決定のニュースはニューズウイークが最初に配信した。

 皇太子妃決定に関して小泉信三・田島前長官などが先頭に立ち

  総理大臣はその報告を受けるだけで、なんら疑問をさしはさむ余地がなかった。

  それでも「信仰」の問題は気になった。

 国民も国会も何も知らされておらず、しかも皇室会議が一度だけ開かれたのみ。

 要するに、「正田美智子さん」という人について、実は国民も総理大臣も

 どんな出自の人でどんな考えを持ち、どんな性格なのかという事を全く知らされて

  いなかったんですよーー

 しかも宮内庁長官は否定するけど、皇太子はどうも「テニスコートで知り合った女性と

 恋に落ちたようだ。まるで一般庶民と同じように客観的に「妃」を決めたのではなく

  感情的な「好き嫌い」が優先された。

 それって皇族の在り方としてどうなの?私達一般人と変わらないなら皇族でいる必要は

 ないんじゃないの?そういわれても仕方ないんじゃないの?・・・・って言ってます。

 マーガレット王女に関しては。

  彼女が妻子持ちのピーター・タウンゼントと恋に落ち、スキャンダルになって

  それでも結婚したいという意思を国民は逐一固唾をのんで見守りました。

  最終的には女王も教会も「王女の結婚は認められない」と判断し、それでも結婚したい

  のなら王位継承権と財産分与の権利をはく奪されて平民になれと言われたわけです。

  それを突き付けられた王女は、身分を捨てる事が出来ず別れた・・・・と言われています。

  つまりノブレスオブリージュ・・・高貴な身分の方には制約がある。

  普通の人のようにただ好き嫌いだけで結婚してはいけないという事ですね。

 しかしながら皇太子は「自分の意志を貫き通す事こそが皇室の権威を知らしめるもの」と

  とらえたようで。

  「皇太子である自分が新憲法を地で行く行為をする・・それに国民は拍手した」と

  思っていた?

 総理大臣の疑問「信仰」について、なぜこの時もっと深く掘り下げなかったかと

  今となっては残念無念ですね。

 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする