今週発売の週刊誌をざっと・・・・
まず小室圭に関してですが
父親と祖父が自殺した事は既出。でも実はその1年後、祖母も自殺していた!
小室圭の財産分与について仲介に入ったのは元暴力団
財産分与があったので小室圭はインターに進めた?雑誌のニュアンスでは父親の自殺も息子への多大な投資が原因の一つではないかと。
佳代氏の職場ではずっと休みっぱなしで困っている
現在小室圭はLLMコースで1000万程の奨学金を貰っているが、2年目のJDコースにはこの奨学金は出ない。JDコースの奨学金を受けるのはとても難しい。
小室圭は7月に弁護士資格試験を受けるのではないかと各雑誌が書いているが、彼の代理人である弁護士は「その資格はないのでJDコースに進む」そうです
法科を出ていない小室圭が弁護士資格を取得するのは至難の業です。それにあと2年は勉強しないといけないし。でもお金はどうするつもりなんでしょうか?奥野法律事務所が払うのか?
まことしやかにですが、秋篠宮家に手切れ金を出せ・・というような話をしているとかいないとか?そんなこんなで秋篠宮家の改築に33億円は税金では高すぎるとか、手切れ金分も入っているのではないかとか憶測を呼んでいます。
でも、宮邸の33億円は、東宮御所の2回プラス1回の修復や高松宮邸の修復に比べたら安いものだと思います。なんせ秋篠宮家はずっと職員宿舎を宮邸としていたんですから。
雅子妃は宮中茶会に欠席。最初から出席の予定はなかった。
知らない人と会うのが苦手だから
その流れで何となく海外青年協力隊への接見も欠席。こちらは出席が決まっていたのにドタキャン
雅子妃は宮中晩さん会のメインには出るが前席と後席には出ない。やはり知らない人と会うのが苦手だから。皇后になって宮中での饗宴の儀に出られるのか。
人と会うのが苦手とか知らない人と会話できない、異常に疲れるので嫌がる・・というのは「適応障害」とは関係ない精神病ではありませんか?いわゆるコミュニケーション障害とか、社交性恐怖症とかいう立派なご病気。
自分が上から目線で話しかけるだけだったら出来る・・・でも相手と会話のキャッチボールは出来ない、さすがに相手が不愉快な顔をしたり、ささっと潮が引くようにいなくなるということだけはわかっている。でもなぜかはわからない。
そんな人でも皇后になれる世の中だし、友納尚子&渡辺みどりいわく「適応障害の人は一つの事に集中しすぎて異常に疲れる。倒れる、寝込む」と言い訳してくれるのでいいわねーー
雅子さんは現在55歳。20代じゃあるまいしな・・・愛子内親王の不登校の言い訳はなんでしょう?雅子さんが休むから愛子内親王が休むのか、はたまたその逆か。それでも皇太子は「雅子は努力と工夫を重ねている」と力説し、「支えたい」らしい。外国へ行けば「雅子もおめにかかれないのを残念と申しています」といい、何かあれば「雅子と一緒に」という。仲がおよろしくていいわねー
わりと好評なんですね。このシリーズ。っていうか、御代替わりが近づいているのでこういうのばっかりになっちゃってすみません。
昭和40年1月、東京・高島屋で絵画展鑑賞
この当時はダブルボタンが流行りだったのでしょうか?
ファーの帽子・・・パンで作った帽子みたい。
昭和42年1月、日光で開催された国体冬季大会出席
こういう感じの帽子は今もあるかも。
横からみるとものすごく子供っぽい帽子ですよえ。おまけに大きなカバン。何が入っているんでしょうか?スケート靴のようなブーツ。白でまとめたのは白銀の世界を意識して?
この帽子ってそんなにチャーミングですか?やたら頭が大きく見えるけど。
これも昭和42年1月、日光で行われた冬季団体
下はカジュアル。帽子は公務風。帽子とミトンは相当なお気に入り。
頭と手が異様に大きく見えますよね。
昭和46年2月、北海道・札幌市の道庁
さ・・寒くないの?そんなミニ丈で。しかもパンプス。こういう時こそブーツじゃないの?
この黒の帽子も変わってるっていうか・・・手抜きしているように見えるのは私だけ?
滑ってる・・・みたい。
昭和41年10月
まさに美智子さまの座り方。
あ、本当に両指に指輪してる。手の重ね方も・・・ちょっとわざとらしい。
共布のボタンは可愛い。
昭和41年6月、東京・日本橋三越本店にて原色押花展を見る
手袋、ネックレス。帽子の飾りを変えました。
でもネックレスをする必要があったのかしら?