1999年1月1日 新年祝賀の儀
一般参賀
1999年1月14日 歌会始の儀
女性セブン 1999年2月4日号
「美智子さま(64)雅子さま(35)宮中いじめを乗り越えて」
雅子妃赤坂御用地周辺を通行止め事件
御所地域に住んでいた狸を雅子妃が肉などを与えて飼育
東大の医師(堤教授)を中心に雅子妃懐妊プロジェクトチームが活動中
サンデー毎日 1999年2月7日号
「雅子様の存在感」
「何よ何よ、アタシだってグレたいわよ、子供子供って何さ」
と、雅子さまは心の中で思われたかも?しれない。・・中略・・
それでもご成婚から5年も試練に耐えてこられたのでしょう。最近は腹をおすえになったのか、存在感もご覧の通り、“デーン”と増したご様子。
1999年2月8日 ヨルダンのフセイン国王葬儀に出発
新国王と会談
1999年2月20日 北海道でスキー
週刊朝日 1999年3月12日号
「犬の散歩・天体観測・二重奏39歳誕生日会見で皇太子さまが明かしたラブラブ生活」
「私たちは言ってみれば、夫婦一緒に共働きをしている、一緒に行動する、そういうような毎日を送っております」
共働き・・っていってもこの時期は公務に必ず静養や遊びがついていました。
それに二重奏・・・ってフルートのこと?嘘ばっかり。
1999年4月5日 ルクセンブルクのジャン大公同妃両殿下の歓迎式典
1999年4月8日 東京商工会議所婦人会創立50周年記念式典でスピーチする雅子妃
1999年4月5日 ジャン大公宮中晩さん会
1999年4月8日 ルクセンブルク大公国展
1999年4月11日 両陛下ご成婚40周年記念祝賀演奏会
1999年4月17日 両陛下即位10年を祝賀する雅楽演奏会
1999年4月22日 浅草仲見世
1999年4月28日 緑の愛護のつどい立川市に
1999年5月1日 瀬戸内しまなみ海道開通記念行事のため愛媛県訪問
1999年5月20日 全国赤十字大会
FRASH 1999年6月1日号
「雅子妃「ご懐妊」6月発表情報 元職場外務省で密かに流れるご成婚記念日の6月9日(大安)か」
女性セブン 1999年6月3日号
「雅子様体外受精で妊娠」説の裏側・妹・小和田節子さん結婚披露宴に
週刊朝日 1999年6月4日号
「雅子様「ご懐妊」報道見出しの真相」
1999年6月4日 ベルギーフィリップ王太子を出迎え
1999年6月20日 正田英三郎氏通夜
1999年6月21日 正田英三郎氏葬儀
1999年6月23日 フローレンス・ナイチンゲール賞授与式
ここまでの流れで感じるのは、ついに雅子妃の不妊治療が佳境を迎えていたということですね。でも堤教授いわく「雅子さんはすぐに流してしまう」「たばこがやめられないらしい」と呟く事態に。
つらい不妊治療のご褒美としてあっちこっち遊びに行けたのかなと思いつつ。
でもどこからか「妊娠」の噂が出ていたわけですよね。それは宮内庁が悪いと思います。スパイがいたのか?ちょっと同情。雅子妃がプライバシーに敏感になるのもうなづけるかなと。
皇后は母上が亡くなられた時は「浩宮は皇孫だから」と通夜の席に連れて行かなかったのに皇后になって父上が亡くなられたら嫁達まで引き連れていくんですね。
でもとにかくこれで雅子妃も服喪なわけですが、その期間中に行われた渋谷節子の結婚披露宴には特例として出席したのでした。
多分、この時期、雅子妃自身に子供を必要としなくても回りがうるさくて、皇后からのプレッシャーもあり、ご褒美作戦で妊娠しては失敗し・・・の繰り返しだったのかもしれませんね。
だからって秋篠宮家に産児制限をかけてよかったとは思いません。何で従兄弟の歳の差まで考えるのか。まるで「序列」が全ての韓国みたいな考え方ですよ。
どうしても「皇太子の子供」に拘った皇后のひどい仕打ちでかえって皇統に危機が訪れようとはこの時はまだ誰も思わなかったんでしょうね。