ええええ私が悪いんです。どんなコメントもとりあえず反映しちゃうからね。どうみたって筋違いだよなーと思ったり、何いってるの?と思うのも多々あるけど、そこらへんは平等にと思っているのがいけないんですよ。多分。
そもそも火宅なんて言葉、今時の人、知らないし皇室問題に使う言葉じゃないでしょ。
檀ふみさんは大成功した口なんですかね?私は「連想ゲーム」でやたら頭いい女性っていうイメージしかありませんが。そりゃ朝ドラとかNHKさんには可愛がられていますけど、今持って独身じゃなかったっけ?阿川佐和子のようにはいかないような?
あ・・・話題ずれてます。すみません。
女性皇族は結婚すると臣籍降下するので皇室会議は行われません。
しかしながらどんな皇族でも臣籍降下したい場合は皇室会議を経てします。
皇室典範は16歳以上の皇族は皇室会議を経て臣籍降下出来るとあります。
大昔、三笠宮寛仁親王がやけになって「臣籍降下を申し出」たことがありますが昭和天皇はシカトして、皇室会議にもなりませんでしたけどね。
ゆえに眞子さまの場合、降嫁することがはっきりしていたからお相手の身辺調査はせず宮内庁が知らん顔していたらこうなった・・・という話です。いわゆる皇室において、親も宮内庁も把握していないお相手との「恋愛」は眞子さまが初めてではありませんかね?そこらへん、すごく油断していた部分があります。
私の過去ブログを読んで頂ければ皇室典範がどうして今のような形になったのかわかると思うんですけど・・・読まないよね。くに村さんは。
養老律令 → 公家諸法度において皇族の範囲や生活について厳しく決められていた。
すなわち、天皇以外は桂・有栖川・閑院・伏見の4宮家以外は宮家を作らせず、長男以外は全て親王宣下なし。
しかし、幕末に幕府や討幕派の意向によって続々と「法親王」が還俗し、宮家を創設。その流れが明治の中期まで続く。
伊藤博文は
・皇位継承順位
・皇族の範囲(5世孫まで)
・皇族の役割
を定める為に皇室典範を作りました。
明治に沢山作られた11宮家といえども、5世まででいずれはなくなってしまうことがはっきりしていました。つまりその時の「天皇」がどんどん男子をもうけてくれなければ皇室は絶えるシステムになっていたのです。
「皇族は少なからず多からず」が政府の理想です。少なすぎても多すぎてもダメなのです。なぜなら明治時代から皇族は国費で生活していたので。
戦後は100%国費で生活する身になった皇族ですが、皇室典範の内容に関しては戦前と踏襲しました。が、唯一違うのは「永世皇族制」であることです。
たまたま三笠宮や高円宮に男子がなかったけど、もし生まれていればどんどんここから枝分かれして皇族が増えていたかもしれません。
では女性皇族の身分や役割はどうか。
明治維新まで女性皇族はたとえ武家と結婚しても「宮様」のままです。妻の方が位が高いわけですね。でもそれで箔付け出来る武家にもメリットがありますので、お返しに豪華な御殿を建てたり金銭的援助をしたりしました。
明治になると、明治天皇の4内親王と昭和天皇の長女・照宮がそれぞれ宮家の男子と結婚して新たな宮家を作りました。
また他の女王達もそれぞれ皇族か華族に嫁ぐのが常で、そこで後継ぎたる男子を得るのが大きな役割でした。華族に生まれた女性もまたしかりです。
昭和天皇のの弟君3人は、徳川・松平・高木家など華族から妃を貰い、昭和天皇の次男である常陸宮もまた華族から妃を貰い、昭和天皇の内親王方は全て元皇族・元摂家・大名家などに嫁ぎました。
ただ一人、皇太子明仁親王だけは平民出身の正田美智子と結婚したのです。
正田美智子嬢は皇室会議を経て正式な皇太子妃になったわけですが、その裏には左翼的なキリスト教信者たちの思惑がかなりあり、国会でも紛糾しました。
正田美智子さんはキリスト教の学校出身で洗礼を受けている
正田美智子さんは7人の人とお見合い経験があり、その一人と婚約しているという噂です。その人の名は波多野といいます。
など、生々しいやりとりがなされ、今だったらこんな問題が出た時点で「ご辞退」せよと世論がいいそうですけど、当時は「正田美智子の美貌に騙され続けた」わけです。
綺麗で大学出でその成績が優秀で実家が金持ちであれば十分に「妃」たる資格を得るのだ・・・ということですね。
昭和30年代から「詰め込み教育」が始まり学歴が全ての時代ですから、いつの間にか「ご優秀」であることが妃の条件になっちゃったわけです。
このことは、昭和天皇と香淳皇后という特別な存在で繋がっていた旧皇族や旧華族を見事に怒らせ、皇太子一家は四面楚歌・・・っていうか自ら家柄のよい方たちとの付き合いを断ってしまったのです。
ゆえに紀宮清子内親王の結婚話も進まなかったし、最終的に秋篠宮の学友に落ち着いたわけですよね。眞子さまや佳子様を取り巻く環境も、いわゆる「お育ちのよい」方たちとは違うでしょう。
「一般と同じように」が美智子妃のモットーで、どのレベルが「一般」なのか、それは正田家を軸としているんでしょうけど。
旧皇族や旧華族とのつながりを断ってしまったことは、女官や侍従といった側近からもその手の人達を排除してしまうことになり、一般的に「伝統」と呼ばれる事柄の中にあるあいまいで、継承した人にしかわからない「何か」をも排除することになりました。
だから「宮中祭祀」がおろそかにされ、科学的根拠云々なんて話が出るんです。
一般人やセレブから見ても皇族はやっぱり近寄りがたい存在であるし、ましてや学友指定されないのに友達になるわけにもいかないということで、みなとりあえず眞子さまや佳子様から声をかけられることを待つか、あるいは一切関わらないかどっちかしかないのです。
そんな孤独の中で突っ込んできたKKの勇気に眞子さまはほろっときたんだろうと思います。
それは皇太子もそうで、自分に対してタメ口をきき、ごちそうすればばくばく食べる雅子さんにほろっときたんでしょうね。
あ・・・また筋違いが。
だからつまり、現在の女性皇族は皇室典範の規定では何でもない存在なので、結婚も臣籍降下も全部自己責任です。
とはいえ、じゃあ、KKと結婚していいのか?というとそうではないんです。
なぜなら皇族は100%国費で暮らしているんです。厳密にいうと1円たりとも個人の資産ではありません。じゃあ、何でそこまでしてお養い申し上げているのかというと、それが多分戦前からの慣例だからです。
かのGHQは天皇とその一家、そして弟3人に関しては手を出さず、皇室典範も内容にちゃちゃを入れることはしませんでした。が、莫大な財産は没収。100%国から支給されるお金で生活ということになったわけです。
当時の日本人は、まさか未来の皇后がクリスチャンで首が痛いから祭祀はしないけどテニスはするとか、政治に口出しするとか思わなかったと・・・勿論、未来の皇太子妃が適応障害だの神道に論理を見いだせないだの、公務をほっぽりだして遊びまくるなんて考えもしなかったでしょう。
だからこそ、典範はそのままになったのです。
国のお金で暮らすようになっても両陛下及び東宮及び宮家は国家の安泰を祈り、つつましやかな生活をしてくれると信じていたのに、よもや「20世紀と21世紀のセレブ気取り」になるとは。
ましてや内親王を利用してのし上がろうとする輩が出るなど・・・想像も出来なかったのではないでしょうか。
新元号を迎え、本当は今一度皇室典範を見直す時期だろうと思います。
生前退位が認められた時点で、皇室典範なんて存在意義も価値もなくなっています。
なんせ称号すら勝手に決めちゃう天皇と皇后ですしね。
明治以来、皇室典範では「1天皇1元制」になっていますから、譲位だの退位などの規定を作る必要はなかったんです。気まぐれに元号を変えたりする弊害を恐れたからです。それが平成はやっちゃったわけです。
「天皇のお気持ち」が「気まぐれ」でなくてなんでしょうか?
それを許した政府、何の力も発揮しなかった典範や憲法にも怒りを禁じ得ません。
今上と皇后は定年退職する役員よろしく、あちこちで花束を受け取っては嬉しそうですけど、そういうものじゃないですよね。その地位は。自分達でその地位を貶めて何が楽しいのでしょうか。
眞子さまの結婚問題は大元からいったら正田美智子さんの入内に帰結します。
まあね・・こうなると「アナと雪の女王」のごとく、アナが実際にハンス王子の裏の顔を見て心を翻すのがもっとも簡単ですが、小室王子は入籍するその日まで仮面をかぶり続けるでしょうから、今、ひっぺがして裏の顔をまざまざと眞子さまに見せないといけません。眞子さまが見ていたのは夢と幻だったのだと。
とにかくコメントにコメント返しはやめてください。