1966年 皇族方で献血。ベッドに横たわっているのは高松宮妃、見守る華子妃、秩父宮妃
女性セブン 1966年7月20日号
「特報 華子さまのおめでた騒動」
1966年8月1日 箱根仙石原への静養
時期不明 公務中の華子妃
1967年1月1日
1967年5月19日 春の園遊会
週刊平凡1967年6月15日号
「皇太子ご夫妻のお留守中の出来事・・・常陸宮さまをパパと間違えられた礼宮さま」
1967年8月 軽井沢
週刊女性1967年9月9日号
「スマート華子さま」
1968年5月24~25日 島根赤十字社員大会 松江の赤十字病院本館増改築竣工式
1968年6月15日 ハワイ訪問
週刊平凡 1968年9月5日号 南軽井沢の常陸宮夫妻
1968年10月23日 開国100周年祝賀行事 両陛下と常陸宮夫妻
週刊明星 1968年12月14日号
「ユニークな帽子とスカーフのペアファッション華子さま」
さて、皇室継承に係る会の答申が二つ出ましたね。その一つが男系男子家からの養子案で、私はこれが実現するといいなぁと思っています。常陸宮家に入ってくださる方がおられたら、どんなによろしいでしょうか。それこそ皇族としての教育や、矜持のほどを華子様がしっかり教えてくださると思うのです。でもお二人とも高齢ですから、養子案が通るのなら、できるだけ早く!と思いますね。
華子様こそあの年代の真のベストドレッサーだと思いますがマスコミが美智子様ばかり注目させるのが嫌です。
このシリーズの華子妃、素敵ですよね。
60'sファッションは今見ると特殊だったなーと思います。MMやオードリー・ヘップバーンが活躍した50'sよりもスカートがタイトで短く、上品に着こなしていた華子妃はさすがたと思いました。
同時代の美智子さまは、かなり盛っていましたね。
それで思い出したのは、令和の天皇夫妻とその弟宮夫妻。
即位の儀のパレード前の二組のペアが対照的でした。
全体的にずんぐりしてゴテコテした印象のペアと、妃のドレスがシンプルでスッキリした印象のペア。
常陸宮を礼宮か父親と勘違いしたというエピソードもほほえましいです。
しまきさまの書き込みにもありましたが、男系男子の旧皇族をぜひ常陸宮家に養子縁組していただきたい。
反皇室や●●●家(天皇とは親戚とはいえ平民)は大反対しそうですけどね。
女性宮家を認めるべきだとか何とか。
暑さ厳しく、嫌なニュースが溢れている毎日に癒される美しい写真を有り難うございます。献血のお写真、雅子さんに見て頂きたい。
本来の皇室の姿です。だからこそ、特権にも皆、目をつぶるのです。
何はともあれ、オリンピック、パラリンピックが無事終わる事、可能で有れば有終の美をもって閉会式が出来る事を祈っています。
華子さまのお写真を上げて頂きありがとうございます。
私は見た事の無い写真ばかりですが華子さまの上品
さと気品はどの写真にも満ちていますね。
やはり貴族のご出身と言う事は争えないと思います。
いつも貴重な写真をupしてくださり、ありがとうございます。
どのショットも華子妃殿下の優しく暖かいまなざしが素敵です。
気取らず自然な表情で人と接するお姫様。お茶目な笑顔を殿下に向けられたことも、あるのでしょうね。
お年を重ねてから時々、厳しい表情を拝見することがありましたが、品位は見事に保たれています。
私は華子妃殿下の写真を拝見するたびに、皇室で一番苦労されたのだろうと思わずにいられません。
生き方が美しいのですね。
昭和天皇や上皇もです。
秋篠宮は誰もが認めるモデル体型。
公称178cmですが、トランプ元大統領やサセックス公(ハリー王子)と並んだ時の画像だと180cmはあると言った人がいました。
今上に遠慮して身長をサバ読みしたのか?
手足が長いのは男性皇族の特徴なのですが、なぜか今上は…。
大変申し訳ありません。
華子様は貴族出身ではなく華族の出身の方です。
貴族と華族の違い
華族は明治以降に制度化された日本の貴族。
要は世界中の君主を除く特権集団を貴族と呼んで、
明治以降の日本の貴族を華族と呼びます。
と言う事だそうです。
西郷家は、西南戦争の後で爵位を受けたのですよね。未亡人は、「貧乏なのに爵位なんか受けたくない」と言ったとか。大河ドラマだったらフィクションかもしれません。
楽天の三木谷社長の先祖も貧乏貴族で大変だったとファミリーヒストリーで放映されました。
個人的には、貴族というと明治維新に名を挙げた薩摩藩と長州藩出身者が多いような気がします。
華族というと、公家や大名の子孫で皇室ともつながりがある家柄?
こんなテキトーな考えしか持っていませんでした。
華子妃は世が世ならお姫様ですね。華姫様と呼ばれたりして。
鹿児島の島津家は、やっぱり華族?
「?」だらけですみません。
ついでに、横田早紀江さんは京都の華族出身で、李方子妃の実子だという都市伝説があります。
日本における「貴族」の定義は「公家」であることです。近衛・一条・二条・九条・鷹司の5摂家を筆頭とする平安時代から続く公家の集団が「貴族」でした。
そして明治維新後に新たに制度化されたのが「華族」です。
これは明治維新に勲功があった人「伊藤博文とか」公家華族、大名華族、そして武家の一部も華族に。
津軽家は大名華族。そして三木谷氏のご先祖は爵位は受けていないようですね。
ちなみに爵位はイギリス式に公侯伯子男です。
官軍が公爵をほぼ独占。賊軍は伯爵どまり。とはいえ徳川家は特別ですね。
美智子妃が「民間初」と言われたのは、華族の出ではないから。
ちなみに華族の男子には軍に入る義務があり、相続出来るのは長男のみ。次男以下は一般人です。