ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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小和田雅子嬢がお妃候補になったきっかけ

2025-02-04 07:00:00 | 日本一運のいい女 雅子皇后の肖像

 時間と言うのは風化していくもので、「当時」を知らない人が本当に多くなりました。

知らないから好き勝手に「素晴らしい」だの「愛子様を天皇に」だの言えると言う事ですよね。

昭和を知らない人、平成時代を知らない人。みんな同じです。

そこで学べばいいけど、教科書的に知ってるだけでは本当は語る資格はないのです。

今まで当ブログでは何度も雅子さんの独身時代からの検証をしてきたし、他のブログでも散々写真などが載せられて知っている人も多いと思うのです。

私達国民が何によって「小和田雅子」を知り、何によって「お可哀想」になったのかということを振り返ってみたいと思います。

 浩宮徳仁親王のお妃候補問題は彼が成年式を迎えた1980年から始まり、報道が過熱。

 旧皇族・旧華族の女性達はいうに及ばず、沢山の女性が名をあげる。

北白川3姉妹・久邇晃子・徳川冬子・伏見章子・柳原家・三井家・服部家など。

 小和田雅子さんの名前は最初は入っていなかった。父親が外交官、祖父がチッソの会長ということで政治と公害に関わる家系の娘はふさわしくないとの向きがあった。

 後藤田正晴氏「(小和田雅子が入内すれば)皇室に筵旗が立つ」と発言。

この後藤田氏の発言は今ではすっかり忘れられていますが、思えば怖い話。「筵旗」というのは、政治家であった彼の小和田家に対する意識なのです。

 お妃候補たちは自らさっさと逃げ、美智子妃は「旧皇族・旧華族」を嫌い、お妃選びは暗礁に乗り上げる。

 事の発端は昭和34年の正田美智子さんの入内が原因です。お金はあるし学歴もあるけど、伝統と家柄がなかった正田家の「旧皇族・旧華族」への恨みや、逆の「さげすみ」に東宮家は自ら関係を断ち、そのせいで紀宮の結婚も遅れ、浩宮のお妃候補も現れなかった。

 1986年(昭和61年)スペインのエレナ王女のパーティで浩宮と小和田雅子は出会うが、最初は小和田雅子は招待されておらず、手書きで名前が付けくわれられた。

私達国民は、毎日写真週刊誌や女性週刊誌で色々なお妃候補の名前をしる事になり、その報道のあまりの加熱さにうんざりしていた事もあります。

当時の皇太子夫妻への記者会見でも必ず「浩宮さまのお妃候補」について聞かれて、しまいには「答えません」という事になりました。

ただ、皇太子は当時、「価値観が同じ人。ティファニーであれやこれや買う人は困る」と発言しており、今思えばティファニーに対して失礼な発言だと思うけど、当時は好感を持たれていたような気がします。

(実際には海外ブランドしか好きにならない人をお妃にしたわけですが)

私達は当時の皇室については「まれにみる質素な皇室」と印象付けられていました。その理由は昭和天皇がそういう方であってことや香淳皇后の露出がそんなに多くなかったことで、美智子妃のあまりに贅沢な衣装類に関しては「きっと実家の支援があるんだろう」くらいにしか思っていませんでした。

私達国民は全く小和田雅子さんには興味がありませんでした。

なのに、国民に無理やり印象づけたのはマスコミです。

外交官に清原級のルーキー」ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠

 ハイソサエティ(いわゆるセレブ感)ムンムン

 父親が外交官だから7歳までにモスクワ・ニューヨークで生活体験

 田園調布雙葉に入学後、高1で渡米、大学はハーバード大経済学部

 ここで優等賞に輝いた彼女はIMF/国連・世界銀行の仕事も考えたが母国の為に働きたくて外交官試験を受ける

 東京大学法学部に学士入学したけど、外交官試験もあっさり受かってしまった。

 英語はペラペラ、ドイツ語フランス語は日常会話はOK.頭はとびきり「優」

 

 毎日新聞昭和61年12月6日

麗しき外交官の卵

これらの写真と文章であなたが当時の国民だったらどう思うでしょうか?

そしてこの写真が受け取る印象はどんなものでしょうか?

ちなみに女性で外務省に入った雅子さんの同期もいたのですが、ここまで取り上げられていません。なぜ彼女だったのか?

そこまで美しくて優秀と言えたか?

でも国民はこの記事に大いに「雅子さんって頭がいいんだね」ぐらいは思ったと感じています。

実際には「外交官」にはなれず、事務職で親のコネ頼りの日々。

そういう所は本当に愛子内親王とよく似ています。

 

 

 


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19 コメント

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Unknown (電気うなぎ)
2025-02-05 06:02:38
ふぶきさま、ごきげんよう。
小和田雅子さんが載った写真週刊誌FOCUSは(新潮社)は既に廃刊になっています。
この号は、小和田雅子よりも前のページに浩宮が載っていました。浩宮が自分が載った号に最後まで目を通せば、小和田雅子さんにも目が留まるというのを狙ったのでしょう。

FOCUSにも毎日新聞にも、おそらく人を介して自ら売り込んだのだろうと思います。毎日新聞のほうも、浩宮の目に留まるように。
美智子さまは新聞チェックを必ずやるそうなので、「あら、こんな素敵なお嬢さんが」と思ったかもしれません。
返信する
Unknown (柑子)
2025-02-04 16:24:00
恥ずかしながら、薔薇のブローチのこと、たった今知りました。
関西の友人が贈ってくれたのですが、派手すぎてなじめませんでした。
震災後の神戸に行ったとき、マサコサマの別タイプのブローチと同デザインを熱心にすすめられましたが、違うものを求めました。週刊誌の切り抜きが添えられていました。
よほど売れないのかと当時思いました。
この時、私はマサコサマを好んでいないと自覚しました。まだ嫌悪まではしていませんが。

薔薇のブローチは結局未使用で去年捨てました。
いらないもの、使わないものは処分です。
デパートで小型の同タイプもみかけましたが。

華やかなものは好きなんです。きれいに憧れはあります。自分の好みは永続します。

もし、紀子妃殿下がおつけになったもののコピーブローチが手に入れば、後生大事にし、それに合うワンピースを仕立てると思います。
もう、にこにこして自慢するでしょう。
とりあえず、白いストールにオキでしょうか。
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Unknown (電気うなぎ)
2025-02-04 13:40:42
ふぶきさま、ごきげんよう。
婚約内定会見といえば、「全力でお守りします」。こんな言葉を親王に言わせるとは…ヒエー!でした。
それを、浩宮が公衆の面前で言ってもダメなのに、「こうおっしゃいました。(だから結婚を決めたんですよ。)」ですから。

そして、そんな浩宮を「カッコいい」と褒めていたのは田嶋センセや辻󠄀元清美。お察しです。
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Unknown (フリージア)
2025-02-04 10:14:30
ふぶきさん、いつも楽しみにしております。
初めてコメントいたします。

雅子さんがお妃になるまでの報道、よく覚えております。
お妃決定!となった時、浩宮様もようやくご結婚が決まった!と嬉しい気持ちの反面、雅子さんについては違和感しかありませんでした。

外務省勤務ということで、頭はいいのでしょうが、そこがどう皇室に結びつくのか…という。
紀子さまは帰国子女ではあるけれど、下から学習院。
お父様も学習院の教授。
若くて健康そう、お人柄も芯は強そうだけど、明るくて笑顔を絶やさず、すんなりと皇室に溶け込みそうな雰囲気がありました。(でも見えないところで大変な努力をされたのだと思います。)

学歴や頭がいいことより、まず皇室のことを理解し、皇族としての自覚と行動ができる方、がふさわしいと思っていました。
もちろんお世継ぎを産めることも大事だと思いますが、こればかりはやはり生身の人間。
上手くいくかどうかはわかりませんが、そのために宮家があり、皇位継承順位のある男性皇族がいるのですから。

その当時の雅子さんを見ていて、あまりそういう雰囲気が感じられなかったのです。

あれからずっと皇室のあれこれを見ていて、やはり最初の違和感は間違っていなかったと常々思っております。
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Unknown (p子)
2025-02-04 09:55:36
お妃報道の中、雅子様の印象は悪かったです。記者もしつこかったんでしょうがバン!と鞄を足元に置いて不機嫌極まりない歪んだ顔で睨みつけてました。思うにその頃は入内の意思など微塵も無かったのかもです。経緯を知りたいものです。その後結婚会見で出て来たしおらしい人と同じとは思えなかったほどです。国民は結婚できない皇太子を心配してましたから喜んでたのですけどね。何もかもハリボテだとわかった今、国のために皇后が出来ることはせめて陛下を大切にすることと愛子様を速やかに降嫁させることの2つしかありません。祭祀や公務は望んでいません。いつもブログ楽しみにしています。
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Unknown (味彩)
2025-02-04 08:30:26
この記事はよく覚えていて、優秀な方だなあ、日本も女性外交官の時代がきたのだと感嘆。学生結婚の控えめな紀子様に対して、外交的なイメージの雅子様が入られ、皇室は更にパワーアップするのではと期待していました。いまは誰も口出し出来ない皇后として闊歩され、コーデ三人、場ミリ立ちのまさに新しい皇室。あれほど海外に行きたかったのに、いまは招待もない。自業自得でしょうね。悠仁殿下の儀式までは、ご機嫌よく愛子様と夕方にお出かけ頂いて、健やかにお過ごし下さい。5月は昭和天皇の誕生日近く良い季節です。
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Unknown (山芙蓉)
2025-02-04 07:39:47
>いもこ さんへ
>理知的な顔には見えなかった... への返信

産婦人科医だった伯父さまのお見立ては凄いですね。
多くの女性の妊娠問題や産まれた乳児を見て来られた知見からのお見立てですね。

私は当時、メディアの囃し立てが本当かどうかではなく、なんとなく皇室に合わない方だなと感じていました。
なので、ママ友に「雅子さま、ご婚約出来て良かったよね」と言われても「う、うーん、まあね・・・」としか言えませんでした。
チッソのこととか深くは知りませんでしたが、メディアの囃し立てる内容が「それ必要?」「大事なのはそこ?」と感じることばかりだったような気がします。
そこへもってご本人の目付きや態度に違和感が(笑
美智子さまの次代としてさえも違和感があったのですよね。
姫様という感じがしないというか・・・
返信する
ギャップ (ミステリーマニア)
2018-10-07 16:26:38
この当時のことは幼すぎて知りませんでした。写真で見ると、とても堂々としてハキハキされてる印象です。

もう少し大きくなってから親戚に連れられて、皇太子ご夫妻がある地方都市に来たときに車から手を振る姿を見に行きました。そのとき、子どもの言うことだからどうせ大人は気にしないと思って「怯えてる。怖いのかな?」と言ったら、親戚が少し困った顔をして、「新婚であちこち回って疲れてるだけじゃない?」と言いました。

あのとき既に国民との間に大きな溝があったような気がします。笑顔の奥の怯えてる目が強烈に印象に残っています。ご病気報道のずっと前のことです。

子どもの頃の体験からあんなに怯えてる大人を悪く言ったらいけない、私にはそういう思い込みがありました。でも、無条件で賛同し庇うことはその人を見下しているも同然。可哀想だから何も言わないというのは、その人を自分の下に置いて優越感に浸っていただけだったかもしれません。

適切な批判というものは、今からでも変わってほしい、何とかしてほしいという気持ち、その人を見放さない優しさがあるから出来るのだと思いました。ふぶきさまの記事は、いつも適切な批判の後ろに必ず優しさがあり、読んでいて勉強になります。
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ヒントはあちこちに転がっておりました (べるもんと)
2018-10-07 15:43:00
ふぶき様、遅ればせながらお見舞い申し上げます。
ブログ再開、嬉しいです。どうぞご無理だけはなさらずに。

私も雅子さんの入内は、(嘘かホントか)キャリアウーマン志向やチッソ問題などを見るにつけ、ありえないと思っていました。ご本人もマスコミにはっきりと否定発言をしていましたしね。
あきらかに海外大好きで、感性も欧米的。ファッションや言動から夜の街での華やかな遊びが好みなのが丸わかりな、当時の最先端の遊び好き女子臭がプンプンしていましたから。
皇室とは対極にいる方だな、と思っていました。
そういう女性に浩宮様はご執心らしいという報道を見て、礼儀正しく真面目君なスポーツマンのイメージを振りまいていたナルちゃんの実態は、本当はとてもミーハーな軽い男なのねと気づかされ、でも当時の日本は平和は永遠に続くと根拠もなく信じていられるいい時代でしたから、ナルちゃんお付きの方々がうまくやるから大丈夫なんだろうと思っておりました。
で、皆様もご指摘の通り、婚約記者会見の雅子さんのガサツな立ち振る舞いに変な日本語に、まるで台本ありきでしゃべりまくりでひとり高笑いする様子に、ナルちゃん、変な女性をゲットしちゃったな…と一気に不安になったのを覚えております。

当時のマスコミは皇室報道でも今よりはるかに正直で自由だったように思います。
NHKでは雅子さんの家系を、三代前から先は辿れなかったと宮内庁が発表したことをきちんと報道していましたし。
これは今思うに、我々に対する大きなヒントでしたよね。その後の某団体の人権侵害ダー!な圧力に、宮内庁の調査はうやむやなまま終わってしまったわけですが。
私個人は雅子さんがそういう家系の出身だとしても、覚悟を持っての皇室入りでしょうし、皆平等を実践でいいんじゃない?とのん気に考えておりました。
今思うに、覚悟なんてゼロだったんでしょうね。セレブ入りラッキー!て感じだったのでしょう。皇室の知識も我々一般の主婦以下だったのではないでしょうか。
いわゆるキャリア志向の女子が、現実に疲れて逃げの結婚。でもセレブ婚だから逃げなんて言わせない!てやつでしょうか。

ご成婚当時、雅子さんの外務省入省の集合記念写真がよくマスコミに取り上げられていましたが、その中で雅子さんだけおしゃれ着姿なんですよね。白い襟がとても大きな、まるでお嬢さまのワンピース姿みたいな。
他の女性は典型的なオフィス向けスーツ姿の中、雅子さんはもの凄く目立っていたのでよく思えています。
これも我々に与えられて大きなヒントだったのではないでしょうか。

ご成婚のテレビ中継も突っ込みどころ満載でした。沿道では国旗に交じってソーカの旗振りが混じっているわ、雅子さんは興奮しているのでしょう。口元はひたすら動きまくりだし。
パレード終了直後の車から降りた後の立ち位置も、雅子さん間違っていたんですよね。ナルちゃんより上座に立っちゃって。ナルちゃんが一瞬「え?」って顔していたんですよ。でもスルー。
当時はそれをナルちゃんの優しさだと思って見ていましたが、その後を思うにナルちゃんはその場で立ち位置を移動するとか行動することで雅子さんに間違いを教えるべきだったのではないかと、今は思っております。
じつは雅子さん、オトーサマの指示で、わざと立ち位置を間違えたのではないかと疑ってもいるのですが。
たかが立ち位置ですが、皇室という環境ではそういう小さなことが大きな意味を持っているんですよね。立場の上下のアピール場所といいましょうか。
そういうものの積み重ねで権威が維持できるわけで。
ナルちゃんは妻への優しさをとり続けたことで、自ら損ねてしまいましたね。間違いを教えることも優しさだと思うのですが。
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すっかり信じ切ってました (まりん)
2018-10-07 13:22:23
優秀でキラキラした女性だと信じていました!

ついでに皇室向きではないとも思いました。

ワイドショーのカメラに向かって、クスクス笑って無視してみせたり、関係ございませんっ!と靴音高らかに歩いて行く姿が、皇室とは関係ないところで生きていくひとなんだという印象でした。
あと、指差しも、リアルタイムで報道に接したので、絶対にこの女性はないな、と。

ご優秀伝説のなかで違和感が強かったのが、楽器の嗜みがなかったこと。フルートを慌てて始めようとしてプラチナフルートに手を出してることでした。

あと、やっぱり歯並び。

当時、先入観で判断するべきではないと思ったけれど、そんなにズレていなかったです…
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Unknown (ももえ)
2018-10-07 10:51:49
なぜあの時に気づかなかったか…
残念ですね。
私達、完全に騙されていましたね。
昭和天皇がいらっしゃったなら、こんな事にはならなかったのに…
悲しいですね。
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違和感・直感・第六感 (花物語)
2018-10-06 23:43:24
この写真のころは、童顔がチャーミングな有能、優秀な女性とばかり思っていました。
スカーフを現れるたびに違う巻き方して・・・。いったい何種類スカーフの結び方を知っているのか、と、私は驚いたが、女性誌はスカーフの結び方の特集し、スカーフの結び方の本が出版されたりもしましたね。
おかげでスカーフも、彼女が付けていたバラのブローチも飛ぶように売れました。
バラのブローチはさしてお高くなかったので、私も買いましたわ。わはは。(恥)

大絶賛の報道に目がくらんでいたので、指さし恫喝写真も妹さんと二人横目で報道陣をみながら歩く生意気さブイブイの動画も「この優秀さとキャリアなら記者など皆バカに見えるだろうから鼻っ柱強くても当たり前。」と、さして気にならなかったのですが。
最初の違和感は、婚約会見の時にやって来ました。
ふっくら童顔のチャーミングな面影は無く、妙にとんがった顎、落ちくぼんだ目の周りは黒ずみ、ずる賢い鷲のような目(て、父親そっくりだっただけですが)黄色のドレスが色黒さをなお強調して、おまけにきょときょとと落ち着きがなく、座る時に明らかにバッグをどこへ置こうか迷っておられる姿に「え?!これがマナーのプロの外交官?」と、驚き、話し始めた日本語のたどたどしさに、違和感が膨らみ、極めつけは、口が渇いて唇が歯に張り付いたのか、唇の下で舌をベロリと回す姿に、頭の中で優秀有能な女性という虚像はガラガラと崩れ落ちました。
お妃教育にもさほど熱心ではなく、日本語ではなく英語のテキストを要求したという件に関して、週刊誌は「優秀だから、お妃教育程度のことは既に知っていらっしゃる。英語に堪能だから、英語のほうが理解しやすいから。」と、持ち上げましたが、私は「英語のテキスト?何かっこつけているのだ。」と、優秀さに関してはもう信用しませんでした。
御成婚関連の儀式の動作もいちいち見苦しくて、美智子様、紀子様とは大違いでしたね。
それでも、御成婚パレードの雅子様は、輝かしく晴れやかでチャーミングでした。
あまり御優秀でもなく、おっちょこちょいでガサツでも、皇室に入って磨かれれば、それなりに格好はついていくのでしょう。と、楽観視していたのですが・・・。いや、散々でしたね。
今から思えば、記者会見の様子に既に病気の芽は出ていたのだと思っています。
最近になって「産後うつ」だと言う精神科医がいますが、本当病名を隠す情報操作だろうと思います。
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信じてました (こぶ)
2018-10-06 16:37:57
ご成婚の時、大学生だった私は毎日報道される「雅子さま」のことを学歴、キャリア、家柄等申し分ない女性とすっかり信じていました。
チッソのことは「本人と関係ないから」と思っていました。
女性のキャリアについて関心が高まり初めていた時期でもあり、学生結婚の紀子さまよりも好意的にみられてさえいたと思います。

ただ~、
婚約会見の時に「変な話し方。。」
歯並びに「海外生活が長い外交官の家庭なのになんで治さないの?」
結婚してから「お洋服がどれも似合わない。なんで?」
と、小さい違和感がいつもつきまとう方でした。
が、いや、皇太子妃になる方がそんなはずない、周りが悪いのよと最大限好意的に見ようと工夫と努力を重ねて参りましたが、愛子さん誕生後のゴタゴタで目が覚めました。

最初に感じた違和感は、大事にするべきだったのですよね。どんなことも。
ちなみに私は皇后にも
「何もかも洋風テイストの方」という印象をずっと持っていました。
深くは考えませんでしたが、やはり最初に受ける印象、違和感は当たっているのだと今にして思います。
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コメントが勉強になる (亜未)
2018-10-06 15:45:41
雅子さんの昔の記事とかエピソード、コメント欄からも色々知れて面白いです。中年の方々や高齢の方々が見てきた当時の報道、興味深い。 他の皇室ブログも見てみたけど話や議論のレベルが高くて、難しいから敬遠したけどふぶきさんのブログは私みたいな皇室に対する知識がない者でも簡単に読めてありがたいです この井戸端会議感の空気、ほっこりします これからも頑張って下さい!
返信する
懐かしい記事 (睡蓮)
2018-10-06 13:07:53
ふぶき様。

懐かしい記事ですね。雅子様若いわ~。
男性受けするロングが多いのに、ショートカットが印象的で、さすがキャリアの外交官、出来る女性って好印象でした。

当時お妃候補は雑誌に「これが本命」と、顔写真付きで名前だけでなく、個人情報を書き立てられ、妹宮のご学友やバイオリニスト、果てはテニスコートに挨拶に来た、美智子様の知人の10代の娘さんま迄で、写真入りで載せられていました。ご本人達にその気がない場合、とんでもなく迷惑だったでしょうね。
名前が出ると速攻その令嬢が婚約結婚されたり、外国のフィニッシングスクールへ言ってしまわれて、
「候補になった方がピアスを開けると、ご縁談ご遠慮の印」なんて冗談も当時は言われてました。

私達が「皇太子結婚狂騒曲」にウンザリした頃、皇太子様がずっと心に秘めた方、といって満を持して本命小和田雅子サンが登場されたんだったと思います。

確かにご結婚前の雅子様は、自信に溢れ私達には輝いて見えました。
だから、どんなにマスコミが書き立てても、追いかけても、失礼ながら輝かしいキャリアを降って迄、雅子様が皇太子妃になられるとは思わなかったです。
もったいないって、私達は言ってました。
だって張り子の虎って知らなかったから。
返信する
理知的な顔には見えなかった (いもこ)
2018-10-06 12:39:18
数十年産科医をしていた伯父が、雅子さんを見ていったことがあります。

詳細に書けば差別的と言われかねないので、簡単にいいますと、
こういうタイプは、妊娠しづらい。
男児出産が使命の皇室にはまずいだろうと。

アイ子ちゃん誕生の際にも、言葉が遅いだろうねと。

大ベテランの専門家が見れば、一目でわかることでしたが、それでも雅子さんに決まってしまった。
返信する
覚えていますとも! (ガムラスタン)
2018-10-06 12:34:21
M子さんがお妃候補になった頃、写真を撮ろうとするカメラマンを恫喝していましたよね。
ずいぶんと気の強そうな女性だと思いました。
それはさておき、セレブを気取っているけれど、なぜあの歯並び??と当時不思議に思いました。
アメリカにいたならなおさら歯並びの美しさが大切であることを知っていらっしゃったであろうに。
また、お金がなかったはずではないのに幼少時に矯正をさせないのは、よっぽど意識が低い親なのだろうとも思っていました。

入内が決まって、急いで某国立大学歯学部病院を受診したそうですが、顎変形症のため、治すにはオペが必要とのことで、治療しなかったそうです。

確かに彼女が話すとき、下あごが変な方向にスライドしますよね。
小さいときに治しておけばよかったものを。

これからあのガチャ歯で海外に行くのでしょうか。
もう、恥ずかしくてたまりません!!
返信する
週刊誌読んだ事無くて~ (ゆうこ)
2018-10-06 12:05:45
私の知識では、浩宮様がイギリス留学の時、高円宮様似誘われてスイスの多分シャ―モニに行った時に同じホテルに宿泊した日本人の一人として紹介されて…浩宮様は一目惚れ、でも雅子様は無関心の出会いだった?そうな

高円宮様と雅子さまの父親の亘さんの作戦でしたが。雅子さんには目にも入らず浩宮様は片思いでしたが?粘り勝ちですかね

私に言わせれば世界一不運な女性に見えますけど、親も親だしその性で本人も今一だし

大体浩宮様は小柄でも結構キリッとしていたのに何時からだらしない印象に御成りになったのか?
返信する
Unknown (福星)
2018-10-06 08:54:18
ふぶきさま お元気になられてよかったです。

さて 私は◯さこさんより1つ下。当時「優秀な女性だな」とすっかり信じていましたよ。結婚されて◯いこさんが誕生されるまでは。

ただご成婚パレードの時思ったのが、「きつね顔で目つきは、何となく気になる」と。
元々私はこういうタイプの顔が苦手でした。

当時の私は◯さこさんは、別世界の人で、できる人はそつなく人生を歩いて、活躍するんだなぁと。

ところがどっこい!別世界じゃなく、化けもの界でした。
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