今思えば中東訪問は壮大な新婚旅行でしたね。でも日本に帰ってくるとどうにもストレスがたまるわーーといった感じです。
1994年11月25日 誕生日に先立ち記者会見
この挑むような顔、何とかならないのかと思いますよね。
1994年11月26日 誕生日用の写真を撮影
週刊新潮 1994年12月15日号
「秋篠宮妃第2子ご誕生で「皇系」への風声
29歳の秋篠宮は誕生日会見で「どちらでもいいが女の子が・・」と発言
もし秋篠宮家に男子が生まれたら秋篠宮家に皇統が移るので、配慮した言い方になったのではないか。
皇太子夫妻は公務が多すぎて子供のことを考える余裕がないのではないか
女帝論も視野に入れるべき
1994年12月23日 天皇誕生日一般参賀
1994年12月30日 佳子内親王誕生でお見舞いの皇太子夫妻
「女の子でよかったーー」だったのかな。
1995年1月皇室ご一家
1995年1月1日 新年祝賀の儀へ向かう
1995年1月10日 講書始めの儀に向かう
1995年1月12日 歌会始の儀
週刊女性1995年1月17・24日号
「紀子様第2子も女児で雅子様「男の子を」の重圧」
1995年1月17日 阪神淡路大震災発生
1995年1月21日 クウェートに到着した皇太子夫妻
1995年1月21日 クウェート訪問
1995年1月22日 ジャビル首長を表敬訪問
1995年1月22日 クウェートタワー見学
クウェート国立博物館でお菓子を食べる
1995年1月22日 サアド王太子主催の晩さん会
1995年1月23日 アラブ首長国連邦宮殿内
1995年1月23日 アブダビ王太子主催の晩さん会
1995年1月24日 遺跡見学
ラクダレース
サッカー観戦
1995年1月25日 ドバイ木造船でドバイ・クルーズ
1995年1月25日 ムハマド王太子と会談・会食
1995年1月26日 ヨルダン到着
晩さん会
1995年1月28日 帰国の途につく
週刊女性 1995年2月7日号
「関西大震災総力取材特集号 雅子様中東へ被災者に後ろ髪引かれて」
「ご夫妻は2度目の中東訪問へ。95,1,21クウェート空港歓迎式典で。17日に阪神・淡路大震災が起きておりご夫妻は出発に際して悩まれたがこれまで中東訪問は2度延期されていたため予定通り行われた。ご夫妻は大震災の被害拡大に心を痛め予定を2日繰り上げ28日に帰国された」
写真と真逆のコメントを入れないとどうにも言い訳がつかないということ。
雅子様の数多の画像、時々ギョッとする表情と仕草の時がありますね。
美智子様にもあります。
大股開きは雅子様の方が多いです。
紀子様の画像では見た事がありません。贔屓目ではないです。
家柄ではなくてご家庭での教育と躾だと思います。
先祖代々お金持ちの知人が何人もいますが、皆様上品な人とは言い難いです。
高級武士の家柄と自慢する人を何人も知っていますが、人格高い人がそもそも自ら自慢しないと思います。
愛子様が運動会で寝転んで足をパカッと開いていましたけど、ご両親は恥ずかしくなかったのでしょうか?
大震災があっても外国に行かれてラクダレースで大変楽しげに大口を開けて笑う雅子様…未だにガハハ笑いされていますね。
こんな人が皇后なんて、日本の名折れです。
なつみ様のコメントに有りますように、こんな人が次の皇后とは、ほんに日本はどうなってしまうのでしょうか。
女性セブン広告で、眞子様「皇籍離脱」「1億5000万円辞退」で「小室圭とNY駆け落ち婚」のご覚悟と有りました。
kk母子も必死でしょう。NYに駆け落ちしたからといって日本との縁が切れて、皇室利用が無くなる訳ではないと思います。
奥野法律事務所も、駆け落ち前にkkを首にしないと、今よりもっと大変なことになるのではないでしょうか。
皇籍離脱にしても、皇室会議の了承が必要ですが、kkが無職ならオッケーしないでしょう。
もし奥野法律事務所を首になっても、米国の母から、なんとかして貰えるかもしれないですが(皇室会議の了承は不透明です)。
しかし奥野法律所が雇用し続ける場合は、出口はもっと不透明でしょうね。
やらなくなってやはり15年? すっかり忘却の彼方です。
で、ビックリしたのが、1995年1月17・24日号の女性自身見出し
紀子さんが女児を生んだから、私に男子生めってプレッシャーかけられた~ って、あなたね~何言ってんの?ですわ。
第2子妊娠で目を真っ赤にしていたこと忘れちゃった?
ここでも女性週刊誌は紀子様苛めしてますね。
雅子様は秋篠宮家に男子が早く生まれて欲しいと思っていたのなら制限かけたのはやっぱり女帝様だったことが判明しましたな。
余程帰国が嫌で腹を立てていたのかな。
皇太子妃より、王妃の方が上位ですがツンと視線を逸らしてる。
雅子さんは、全般的に男性(皇太子以外)の前と女性の方が前では、態度が露骨に違いますね。
若い頃の美智子さんも、それ以上に露骨な写真がたくさんあって、
当時は報道カメラマンが殆ど男性だったからと推察しています。
現在の皇太子の態度もマナーも、若い頃と全く違って余裕もなく下卑てしまったのは、
結婚が大いに影響しているようです。
雅子さんの育ちに引っ張られてしまったのか。
小学生とは言え、愛子ちゃんの運動会での写真は、
女の子が小さい時から躾られる一番の事がなされていなかった結果です。
何の病気か明確でもないけど、
内親王の保育を、病気の母親が強引にやってしまったのは、
もう皇室とは言えない伝統破壊の一つですね。
急なKK話のコメント出現に驚きます。奥野って......。
他の方が書かれている、小室氏が宮内庁職員のバッジを付けて眞子様と旅行されたのは本当か?というコメント。
もう既にふぶきさんも詳しい事はご存知かもしれませんが、同じようなものがremmikki さんの所にも投稿され、即座に他の方が間違いを指摘されています。
他人の投稿なので詳しい転載は避けますが、まずネタ元が東宮擁護のブログである事。
バッジ及びネクタイはUCLA購入したものであると、某所で判明している事。
だいたい、本当にその様な事があったとしたら、マスコミが今の今まで騒がない訳がありませんから、秋篠宮家貶めの為の嘘の拡散なのではないか?と思います。
せっかくふぶきさんが一生懸命に記事を上げて下さっているブログのコメント欄から、不確かな情報が拡散されるのは我慢ならず思わずコメントしてしまいました。
ご迷惑をお掛けしてすみません。
大震災のあとの中東訪問は国の決定でいき、各王家にも、皇太子は変わらず堂々と接していました。雅子妃は今までない待遇に舞い上がるのは当然。ラクダレース然り。まだ女性が表に出ない国でハシャギすぎました。まさにバブリーな時期の皇太子妃。
もう、無いでしょう。
今年は代替わり、選挙と国内が落ち着く暇がありません。こんな年こそ、更に祭祀をして平安を祈って頂きたいのです。
「あたくしたちには関係ないのに、どうして帰らなくっちゃならないのよ!」とナルさん、妻に当たり散らされでしょうか。
まだこの頃のナルさんは、今ほど浅ましげで品のない雰囲気はありませんね。
雅子さんは、目付きに仕草に惹かれるものはありませんが、若さゆえの華やかさは、ないこともない、と申し上げておきます。
しかし、この挑むような眼差しは、一国の妃殿下には見えません。
二十年以上経ても、やはり妃殿下らしくは、なられませんでした。
このような女性が皇后になるなんてことは情けなく、残念でなりません。
次代は早く過ぎ行けばよろしいのに、と考えてしまう自分がおります。
冒頭書き出しが同じです。
ブログはハンドルネ-ムで良いわけですが、考えさせられます。