10月22日(土曜日) 午前10時から午後4時半まで
国分寺市立いずみホール(西国分寺駅南口前)で、午前10から午後4時半まで記念講演会が開催されました。
第一部は、記念式典
●市長、市議会議長、文化庁文化財調査官の挨拶
●こくぶんじジュニア歴史検定の表彰
5年生と6年生の女子二人、表彰されました。
見るからに利発そうな態度とコメント、素晴らしいと思いました。
一人の女の子は、去年金賞を取れなかったので、再チャレンジし、見事金賞獲得。
将来、国分寺市の発展に貢献されそうで、こんな生徒さんが多くいれば、市も安泰だなと感じました。
●記念講演は、坂詰先生(立正大学特別栄誉教授)
100年間、史跡に携わった先生方を紹介。
遺跡を探った人、史跡指定に尽力された人、調査研究、発掘保存された方々のお話でした。
そんな先生方の尽力で、現在の武蔵国分寺跡が保存されていることを知りました。
20年以上前、国分寺市で仕事をしていた私、遺跡辺りはほぼ毎日通っていました。
何があるのか知りませんでしたが、
その後、玉川上水に親しむ会や、M氏の紹介で史跡を案内するイベントに参加し、
湧水群を含む辺り一帯は何度も散策しています。
午前11時半、第一部終了。
昼は牛丼屋さんで食べて、近所を少し歩いて時間を潰しました。
第二部は午後1時から
●基調講演は須田先生(元国士舘大学教授)
武蔵国分寺の伽藍の説明がありました。
瓦の出土で、遺跡がわかるらしいです。
●事例紹介は4箇所。武蔵国分寺跡、下野国分寺跡(下野市)、上総国分寺跡(市原市)、相模国分寺跡(海老名市)です。
それぞれ教育委員会、文化財調査センター、考古学財団から代表者がみえて、30分くらい説明されました。
相模国分寺跡は、先日見学してきたばかりなので、説明もよく分かりました。
休憩後にディスカッションですが、私たちは事例紹介後に退席しました。
※国分寺について
今から約1300年前の奈良時代、伝染病の流行・飢饉・大地震・政治の混乱等で、人々は苦しんでいました。
聖武天皇は、仏教の力によって国の混乱を鎮めるために、天平13年(741)に国分寺建立の詔を発布しました。
当時の60余国に建立されたのが国分寺です。
武蔵国分寺跡は、全国でも規模が大きく、大正11年(1922)に国史跡の指定を受けました。
ちょうど100年の節目にあたります。
因みに、全国で「国分寺市」と市の名前になっているのは、ここだけです。
興味深かったのは、天皇に敬意を表す為、五重塔ではなく、七重塔だったということ。
門、金堂、講堂、塔、鐘楼、僧坊、
当時はさぞ荘厳華麗だったと思います。
眠くなってしまうかと思いましたが、眠くならず、大変興味深く拝聴させていただきました。
現在は国分寺建立時代に酷似しています。
新型コロナウイルス、大地震はいつ起こるかもしれない、政治も混乱しているし、戦争が続いている国もあります。
国分寺建立に代わる何かで国を安定させないと、人類は滅んでしまうかもしれません。
色々学んだ一日でした~
昨日(10月24日)のトータル歩数8305歩、脂肪燃焼量24.1g、総消費カロリー1823kcal
昨日は家事をして、心を落ち着かせ、午後から依頼されていた看板作りの練習。画仙紙に3枚くらい書きました。
文字もそうですが、全体のバランスが重要です。
板に書くと思うだけで緊張~
今日は板に書いて仕上げ・・・頑張ります。
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