よし坊のあっちこっち

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豊原(ユジノサハリンスク)とババ・ターニャ

2009年02月18日 | いろいろ
あの、「あ、そう」さんがロシア主催の式典出席で樺太へ行っちまった。ますます、樺太はサハリンとなり、ロシアから見れば自国領土への既得権を確かなものにしているような気配だ。これで北方領土返還など出来るかいなと思う。

北方領土返還がたまにニュースの俎上にあがってくるのだが、ロシアは用意周到な長期戦略の上に一つ一つその存在感の実績を積み重ねて来た。他方、日本の政治(特に外交)やメディアは、何をどう対処してきたのか、その真剣度合いが、国民にさっぱり分からぬ。日本の外交もつまらぬが、メディアはもっとつまらない存在だろう。

だいたい、未だロシアとの間で領土決着がついていない段階で、樺太をサハリンと呼ぶ事はないだろう。決着がついていない段階で、メディアがこぞって、ユジノサハリンスクと言っている。何故、豊原と書かないのか。北方領土を取り返す覚悟なら、そのくらいのキャンペーンが張れないでどうする、と言いたい。

確かに戦争に負けサンフランシスコ条約に調印したが、旧ソ連、即ち現ロシアは入っていない。日本とロシアの二国間の問題である限り、日本はサハリンとか、ユジノサハリンスク等と呼ぶべきではないのだと思う。それが、外交のひとつだろう。日本はこのあたりがへっぴり腰というか、ずーっとだらしない。

樺太を垣間見る方法は色々あるが、私の初等教科書は、何年か前に読んだ、奈賀 悟著の「日本と日本人に深い関係があるババ・ターニャの物語」というノンフィクション本である。日本植民地時代の朝鮮半島に生まれ、父親の出稼ぎで日本の樺太に渡り、戦争に翻弄され樺太で生きてきた、ロシア名ターニャの物語だ。ババは日本の婆と似た意味らしい。樺太は特に多くの朝鮮半島出身者が残されてしまった。望郷の念はいかばかりか。