世界に羽ばたく日本企業は多くの駐在員を海外に送り出している。もちろん、全ての駐在員がその任、即ち海外での任務に適しているとは言えないのだが、どうせ、10年も20年も居るわけでは無いので、4-5年の間は勉強と思って、自分を磨いてもらいたいものだ。
さて、企業の尖兵や代表として赴任する訳だが、日本で役職に就いていない若い社員も、現地に来るといきなり役職に就いたりする。実地でマネジメントが勉強できるという絶好の機会だから、その気になれば大いに血となり肉となる。しかし、中には勘違いする輩が居て、えらくなった気分で物事を進めるから、アメリカ人社員から鼻つまみ者扱いにされてしまう。こういう落とし穴にはまってしまう。
役職とは、偉い、偉くないを表すのではなく、責任の重さを表すと言うことが理解できない。あの、本田宗一郎の言葉だったと思うが、「世に社長、部長、課長と、長の付く呼び方があるが、あれは、単なる符丁に過ぎない。偉い、偉くないは関係ない」と。いい言葉だ。
役職に就いて偉ぶったわけではないが、別の落とし穴にはまった例がある。
Aさんは、営業として長年、同僚アメリカ人と丁々発止で仕事をしてきたが、ある日突然、現地会社の「長」になるという、大変喜ばしい事になった。同僚アメリカ人は彼の部下となったのだ。このアメリカ人、営業としての仕事は極めて優秀で、弁が立つ。しかし、組織の人間としては何かと問題有りで、会社の中での皆の評価には厳しいものがあった。問題は「長」さんだ。「あの営業力は捨てがたい。人間的にいい奴だ」と、”同僚”アメリカ人に対し、今までと同じ目線で見てしまった。そして、クビ相当の、ある問題が起きるのだが、「あいつ、いい奴だから」で、何もせず。「長」さんは、”同僚”アメリカ人を「同じ釜の飯を食った仲間」と思っている。日本的甘さが良く出ている。この”同僚”アメリカ人は更々「同釜」なんて思っていなかった事を、「長」さん後日知ることになる。
「長」さんは、「長」さんになった瞬間から、仕事のやり方、人の見方を180度変える必要があったのだが、出来なかった。従来どおりの路線の延長を歩いただけなのだ。その意味で自覚が足りなかった。周囲の「長」さんを見る目は日に日に厳しくなるばかり。落とし穴から未だに這い上がってこない。
さて、企業の尖兵や代表として赴任する訳だが、日本で役職に就いていない若い社員も、現地に来るといきなり役職に就いたりする。実地でマネジメントが勉強できるという絶好の機会だから、その気になれば大いに血となり肉となる。しかし、中には勘違いする輩が居て、えらくなった気分で物事を進めるから、アメリカ人社員から鼻つまみ者扱いにされてしまう。こういう落とし穴にはまってしまう。
役職とは、偉い、偉くないを表すのではなく、責任の重さを表すと言うことが理解できない。あの、本田宗一郎の言葉だったと思うが、「世に社長、部長、課長と、長の付く呼び方があるが、あれは、単なる符丁に過ぎない。偉い、偉くないは関係ない」と。いい言葉だ。
役職に就いて偉ぶったわけではないが、別の落とし穴にはまった例がある。
Aさんは、営業として長年、同僚アメリカ人と丁々発止で仕事をしてきたが、ある日突然、現地会社の「長」になるという、大変喜ばしい事になった。同僚アメリカ人は彼の部下となったのだ。このアメリカ人、営業としての仕事は極めて優秀で、弁が立つ。しかし、組織の人間としては何かと問題有りで、会社の中での皆の評価には厳しいものがあった。問題は「長」さんだ。「あの営業力は捨てがたい。人間的にいい奴だ」と、”同僚”アメリカ人に対し、今までと同じ目線で見てしまった。そして、クビ相当の、ある問題が起きるのだが、「あいつ、いい奴だから」で、何もせず。「長」さんは、”同僚”アメリカ人を「同じ釜の飯を食った仲間」と思っている。日本的甘さが良く出ている。この”同僚”アメリカ人は更々「同釜」なんて思っていなかった事を、「長」さん後日知ることになる。
「長」さんは、「長」さんになった瞬間から、仕事のやり方、人の見方を180度変える必要があったのだが、出来なかった。従来どおりの路線の延長を歩いただけなのだ。その意味で自覚が足りなかった。周囲の「長」さんを見る目は日に日に厳しくなるばかり。落とし穴から未だに這い上がってこない。