よし坊のあっちこっち

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RAIZO - 破戒

2011年01月05日 | RAIZO
島崎藤村と言えば「夜明け前」もあるが、もうひとつは、この「破戒」であろう。

雷蔵が丑松を演じ、藤村志保が初々しくデビューする。雷蔵の時代劇を見慣れての現代劇は新鮮そのものだ。雷蔵は、「ぼんち」で見せた、飄々たる演技もいいが、やはり影を背負った役柄は、時代劇であれ現代劇であれ、光るものがある。

冒頭、父親役の浜村純が牛に突き殺される場面から映画は始まり、「差別される者」の生きる術、決して掟、即ち、戒めを破るべからず、を肝に銘ずる丑松が、最後は戒めを破り、新しい世界へと旅立つ。あどけない小学生の前で出自を告白し許しを請う場面は哀しい。

差別は何処の国でも有り、無くならない。アメリカも同様で、ここに住んでいると、人種差別が無くならないであろうことは想像に難くないが、その対極に、どんな人種でも飲み込んで一定の自由を与えているのがよく分かる。藤村の時代では簡単ではなかった海外への転出も近代化が進むにつれて容易になったはずで、日本独特の差別社会から逃れる為に、新天地としてアメリカを目指した人も少なくないのではないか。他に、日本で酷い差別を受けていた在日朝鮮韓国人の方々の中にも、このアメリカを目指した人達がいるはずである。インドのカーストもそうだ。下層階級は簡単に来れないが、チャンスがあればアメリカを目指す。人種差別がありながら、アメリカの包容力は途轍もなく大きい。

映画のほうは、脇に三国連太郎、長門裕之、船越英二、岸田今日子で固める。婆さん役でチョコッと出ている浦辺粂子も懐かしい。女狂いの生臭坊主の鴈治郎と杉村春子の夫婦掛け合いのワンシーンも良い。

かつて、日本の古代の頃、帝が食する肉牛をさばく大切な役目をこなし、一定の地位格式を与えられていたと言う人々がいつから差別される側に分けられてしまったのか。やはり不条理の一言に尽きる。