吉本芸人の生活保護不適切需給の問題はいろいろな事を考えさせられる問題提起だ。おかげで、親族とは、親等とは、を改めて勉強する機会となったのは、この事件のお陰である。
生活保護受給が不景気を背景に急増したことは以前から報じられており、その中には遊興費に使っている例が少なからずある事も周知のことであったが、一族郎党が皆受給者であり、その姉に至っては内縁の婚姻関係で受給しているとなると、これはもう、プロ並みの手口と言われても仕方あるまい。たまたま、ひとりの需給がうまくいったので、他の親族も悪乗りしたのか、それとも、ひょっとしたら所属の会社の誰かがそういうヒントを与えたのかもしれない。
昔、小学校の頃だが、クラスには一人や二人、生活保護を受けている子がいた。よし坊のクラスにも女の子が一人いた。我々もそれほどいい物を着ていたわけではなかったが、やはりその子の身なりはみすぼらしく、子供心に、ああはなりたくないと思ったもんだ。やはりそこまでいくのは恥ずかしい、と。だから頑張る。仮に生活保護を受ける対象になってしまったら、親はむしゃらに働いて、早くそこから脱却し、元のレベルに戻そうとするに違いない。
しかし、今は恥じるどころか、”法律に触れさえしなければ何をやっても良い”風潮がすっかり出来上がってしまい、「恥」などはどこかに飛んでいってしまった。逆にそういう制度があるならば、モラルや常識を無視してでも、それをうまく利用して利益をせしめる事が”賢い”と言う考え方が常識化してしまった。
いつの世にも、いつの時代にも、そういう不逞の輩は存在するのだが、遠い昔、東洋の外れにあった日本を訪れたポルトガルの宣教師が、「日本人は極めて高い教育水準を持ち、恥の文化を背景とした節度ある振る舞いを日常とする類まれな民族」と感嘆せしめた日本の姿は、今見事に崩れつつある。
制度というのは、出来上がった時が謂わばスタートなのだが、作るのに精一杯で、後の運用に手を抜くからいろいろ問題が起こる。役所は制度を一旦作ったら、改変する事を嫌い、不備があってもひたすら杓子定規に運営してしまう。それを直すのは政治家の務めだが、彼らの器量には大疑問符が付く。だから多くの制度が、穴の開いたままザル状態となる。
以前、アメリカの困窮者援助のプログラムを少し調べた事がある。困窮者の最優先は日々の食事である。そのひとつにフードスタンプがある。収入状況に応じて金券が支給され、食料品スーパーで限定使用できる。これを貰う為には確か毎月、いろいろな証明をしなければならない。手続きが毎月となると受け付けも大変だろうが、申請する方も大変だ。しかし、本人の死活問題となればやるしかない。加えて金券だから、日本のようにパチンコに行くような遊興費には使えない。万全ではないにしても、よく考えている。その点、例えば日本の子供手当ては何だろう。金券にして使途限定にすれば話は簡単だが、なぜそれが出来ないのか不思議で仕方が無い。なんと甘い国なんだろうか。
「節度をもった極めて道徳的な国民」というお目出度い認識がどこかにあるとしたら、もうその考えはそろそろ捨てる時だろう。悲しいが、人は悪い事をするものだ、と言う前提で対処する時代なのだと思う。
生活保護受給が不景気を背景に急増したことは以前から報じられており、その中には遊興費に使っている例が少なからずある事も周知のことであったが、一族郎党が皆受給者であり、その姉に至っては内縁の婚姻関係で受給しているとなると、これはもう、プロ並みの手口と言われても仕方あるまい。たまたま、ひとりの需給がうまくいったので、他の親族も悪乗りしたのか、それとも、ひょっとしたら所属の会社の誰かがそういうヒントを与えたのかもしれない。
昔、小学校の頃だが、クラスには一人や二人、生活保護を受けている子がいた。よし坊のクラスにも女の子が一人いた。我々もそれほどいい物を着ていたわけではなかったが、やはりその子の身なりはみすぼらしく、子供心に、ああはなりたくないと思ったもんだ。やはりそこまでいくのは恥ずかしい、と。だから頑張る。仮に生活保護を受ける対象になってしまったら、親はむしゃらに働いて、早くそこから脱却し、元のレベルに戻そうとするに違いない。
しかし、今は恥じるどころか、”法律に触れさえしなければ何をやっても良い”風潮がすっかり出来上がってしまい、「恥」などはどこかに飛んでいってしまった。逆にそういう制度があるならば、モラルや常識を無視してでも、それをうまく利用して利益をせしめる事が”賢い”と言う考え方が常識化してしまった。
いつの世にも、いつの時代にも、そういう不逞の輩は存在するのだが、遠い昔、東洋の外れにあった日本を訪れたポルトガルの宣教師が、「日本人は極めて高い教育水準を持ち、恥の文化を背景とした節度ある振る舞いを日常とする類まれな民族」と感嘆せしめた日本の姿は、今見事に崩れつつある。
制度というのは、出来上がった時が謂わばスタートなのだが、作るのに精一杯で、後の運用に手を抜くからいろいろ問題が起こる。役所は制度を一旦作ったら、改変する事を嫌い、不備があってもひたすら杓子定規に運営してしまう。それを直すのは政治家の務めだが、彼らの器量には大疑問符が付く。だから多くの制度が、穴の開いたままザル状態となる。
以前、アメリカの困窮者援助のプログラムを少し調べた事がある。困窮者の最優先は日々の食事である。そのひとつにフードスタンプがある。収入状況に応じて金券が支給され、食料品スーパーで限定使用できる。これを貰う為には確か毎月、いろいろな証明をしなければならない。手続きが毎月となると受け付けも大変だろうが、申請する方も大変だ。しかし、本人の死活問題となればやるしかない。加えて金券だから、日本のようにパチンコに行くような遊興費には使えない。万全ではないにしても、よく考えている。その点、例えば日本の子供手当ては何だろう。金券にして使途限定にすれば話は簡単だが、なぜそれが出来ないのか不思議で仕方が無い。なんと甘い国なんだろうか。
「節度をもった極めて道徳的な国民」というお目出度い認識がどこかにあるとしたら、もうその考えはそろそろ捨てる時だろう。悲しいが、人は悪い事をするものだ、と言う前提で対処する時代なのだと思う。