よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

サッカーUSA (2) クリンズマンの登場

2013年07月06日 | サッカー
ワールドカップ2010。ボブ・ブラッドレー率いるアメリカチームは決勝ラウンドに進出するも、その緒戦で対戦相手のガーナに敗れ、次にコマを進めることは出来なかった(因みに日本も同じように決勝ラウンドに進出したが緒戦のパラグアイにPKで敗れている)。

決勝ラウンド進出もあって、アメリカは引き続きボブ・ブラッドレーで次のブラジル大会を目指すことになったが、翌2011年のCONCACAFゴールドカップで、宿敵メキシコとの決勝戦で敗れたことによって、ブラッドレーへの辞任圧力が高まり、チームを去った。こうしてクリンズマンが登場する。

ユルゲン・クリンズマン。1990年のワールドカップ・イタリアでドイツ(当時西ドイツ)優勝の立役者となった、ドイツサッカー界のスーパースターの一人である。インター・ミラン、バイエルン・ミュンヘン、トットナム・ホットスパー等の有力クラブを渡り歩き、2004年には母国ドイツの代表チームのコーチに就任、そして2006年のワールドカップ・ドイツ大会ではドイツ代表チームを率いて3位につけた。その後、2008年からの一年間、バイエルン・ミュンヘンで采配を振るった後、ヨーロッパのサッカーシーンから姿を消すのだが、実は、クリンズマンのニュースはその遥か以前からアメリカのサッカー界で話題に登っていた。

クリンズマンはアメリカ人と结婚し、約15年前からアメリカに居を構えている。従って、ヨーロッパで活躍中は、アメリカとヨーロッパの往復していた。本格的にアメリカに落ち着いたのはバイエルン・ミュンヘン采配後のことである。この間、彼はいろいろな角度からアメリカのサッカーを見聞きし分析をしてきた。そのためもあってか、ボブ・ブラッドレーが辞める前の数年、事あるごとにアメリカ代表チームのコーチ(監督)候補にクリンズマンの名前が取り沙汰されたが、クリンズマンは時期尚早と首を縦にしなかった。

2011年、アメリカサッカー協会がボブ・ブラッドレーの後任にクリンズマンを指名した意義は大きい。新聞の見出し風に言えば、「初めてのワールドカップ優勝経験者(選手として)の代表コーチ就任」となろうが、サッカー協会が重視したのは、クリンズマンが主流のヨーロッパサッカーの環境とアメリカサッカーの環境の違いを熟知しており、その上で、アメリカのサッカーはどうあるべきか、という将来に向けての明確な思想を持っている点であろう。今までのコーチに思想やビジョンが全く無かったわけではないが、クリンズマンのそれは多分に将来を見据えての教育的観点からの発想と実践が多い。この点が、クラブチームのコーチにありがちな、任されたシーズンをいかに勝つか、だけのリーダーとは異なる。

余談であるが、日本の代表監督にザッカローニが就任したが、およそ、ナショナルチームのコーチ(監督)を選ぶ際、クラブチームのコーチ(監督)経験のみの者は避けるべきで、この点日本は間違いを犯したと思っている。ナショナルチームのリーダーは、勝つことも求められるが、加えて教育的でなければならないからだ。ザッカローニにはナショナルチームの監督は日本が初めてなのである。その点、病半ばで交代したオシムは残念である。

話は戻るが、クリンズマンが目指すものは何だろうか。時あたかも、明日日曜日から北中米注目のゴールドカップが始まるが、クリンズマンはアメリカサッカーの何かを変えようとしているのは間違いない。次項で、クリンズマンの思想とチャレンジに触れてみたい。