よし坊のあっちこっち

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日系企業のアメリカ人、出来る奴はある日静かに去っていく

2014年03月01日 | ビジネス横丁こぼれ話
異文化の中でも米人にとって対極にある日系企業で働く事は相当大変なことである。いろいろな部署の中で、特に重要なHuman Resourcesでは、多くの企業が米人のHRプロフェッショナルを配置して腕を振るわせる。活動の場が米国であり、従業員の多くも米人だから当然のことで、またそうあらねばならない。どんなに英語が堪能な日本人の人事担当者がきても仕事にならない。米国はルールの国と言っても過言ではなく、POLICYという形でのルール整備と実行に注力しなければならず、日常茶飯事に起こり得る“差別Discrimination”に常に神経を尖らさないといけない。これらを円滑に処理するには、腕のよいHRプロフェッショナルの採用が不可欠となる。これを甘く見て、安く上げようと、未熟なHRを採用すると失敗する。それでは、まともなHRが居たら万全かと言うと必ずしもそうではない。トップのだらしなさが腕のよいHRを堕落させることがあるからだ。

どんな会社も10年以上経つと随所に綻びが出来る。そんな或る企業でHRに関わる問題が起こり、米人HRマネジャーが解決を図ろうとしたが、日本人トップの日本的対応策による不手際から大問題に発展、社長更迭となった。問題処理を任せてもらえなかったHR氏は最早自分の居場所は無いとして早々と辞めてしまった。日本の本社は長年人事畑を歩いた上級幹部を後任社長として送り込んだ。新社長は人事畑経験を活かして自分が陣頭指揮をすれば問題を解決出来ると過信し、HRにはHR実務3年程度の、ビギナーレベルを雇い入れた。新社長、一年を過ぎたところで音を上げ、その反動からか、今度はOver-qualityとも言える、基準より遥かに高額なHRのプロを雇うはめになった。

或る企業のHRマネジャー は優秀だった。ボスである社長とは意思疎通もしっかり出来、関係も良好であった。暫くして、社長が交代し、新社長が赴任してきた。前任社長と異なり、新社長はアメリカではいささか問題になる社長であった。兎に角接待と言う名のもとに、飲みまくる。 HRマネジャーは当初から新社長とも関係良好だったので、新社長も何かとHRマネジャーを接待の席に誘うようになった。最初は躊躇していたHRマネジャーも次第にそのパターンに慣れてしまい、いつしか当たり前のような感覚になっていった。実は、この会社のPOLICYには接待規定に厳しいルールが明文化されているのだが、社長だけでなく、肝心のHR責任者が見事にルール破りをしてしまったのである。まともだったHRマネジャーが日系企業の甘い蜜の虜になった好例である。

本当に優秀なHRは、先を見越してある日突然、何事も無かったように辞めていく。訳も分からない経営者によって自分の経歴に疵が付くことを好まないからだ。