よし坊のあっちこっち

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我が街 アトランタ (1) ”風と共に去りぬ”との出会い

2015年11月09日 | 風と共に去りぬ の アトランタ
アトランタに住んで20年を越した。アトランタに住みついたきっかけは会社の駐在派遣だったが、よくよく振り返ってみれば、遠い昔の本との出会いがアトランタへ辿り着く始まりだったのではないかと、何やら不思議な縁を感じるのだ。

マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」に出会ったのは中学生の時だった。本は好きだった。日本の作家も読んだが、外国文学も漁って読んだ。筑摩書房とか平凡社などから出ている分厚い本を買っては読んだ。赤と黒、戦争と平和、罪と罰、車輪の下 等々。或る時平凡社の全三巻「風と共に去りぬ」が目に入った。奴隷制度の濃い南部アメリカと南北戦争を背景にした一大叙事詩に読み耽った。アメリカのどこに位置するのかも分からないながらも、アトランタという町の名前を初めて知った。

映画少年よし坊は、中学に入るとますます磨きがかかり、邦画のみならず外国映画を観漁っていた。そして、映画「風と共に去りぬ」が封切りとなった。日本での初演上映が1952年とあるから、もちろんリバイバル上映である。1962年10月、新宿劇場で観ている。実は、手元にその時買った映画カタログがある。そこに、新宿劇場の”風と共に去りぬ”のカタログの中に映画宣伝のチラシが日付入りで入っている。昭和37年だから、まだ中学三年だったことになる。人気の高かったこの映画は、その後もリバイバル上映が何度かあり、都合5回観ることになった。面白いことに、もう一冊カタログがある。それは日比谷のスカラ座発行の”風と共に去りぬ”で昭和42年とあるから、大学入学の年である。それから又リバイバル上映があったのだろう、日付は思い出せないが、最後に観たのは、吉祥寺オデオン座だったと思う。

この映画の出会いは、また女優ビビアン・リーとの出会いでもある。5回も観たのは、映画に魅了されたためだが、それ以上にビビアン・リーに参ってしまったためではないだろうか。彼女はそれほど魅力的であった。以後、彼女の作品の追っかけが始まる。

奴隷制度に支えられ繁栄していた大地主貴族達の古い南部(オールド・サウス)が南北戦争という大きな”風”によって一掃されてしまう。それに歩調を合わせるように、スカーレットの華やかな生活の拠り所であった夫レットが去り、彼女の古き良き時代が終わったことを告げる。そして、映画の最後のシーンは、自己の再生を目指して、生まれ故郷のタラへ戻るのである。オレンジ色の空に浮かび上がるタラの家、大きな木の傍らに佇むスカーレットの姿に、作者ミッチェルはその後の、そして今日のアトランタに代表される南部の新しい息吹、ニューサウスを暗示するかのような場面を創りだした。

中学から大学まで付き合った”風と共に去りぬ”も一段落し、アトランタは記憶の底に仕舞われていく。次にアトランタに接するのは、およそ15年後のことである。


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