オレゴンに行ったら一度訪れたい場所がある。オレゴン州ブルッキングス市立図書館の一角に旧海軍中尉のエースパイロットNobuo Fujitaが寄贈した日本刀が飾られ、そこに「アメリカ本土を爆撃した唯一の日本人」として、かつての敵同士が日米友好のシンボルとして称えられている。このことを知ったのは、一冊の本だ。
昨年日本へ行く折、持ち帰る本をネットであさっていた時「アメリカ本土を爆撃した男」(倉田耕一著)が目に留まった。帯の句に”自国を空爆した敵になぜ大統領は星条旗を贈ったのか?”とある。アメリカは嘗て一度も本土を外から爆撃されたことは無かったのではないか。9.11テロをブッシュは”戦争”と言ったが、あれはイラク突入の方便だ。それまで、遠く離れた島、ハワイを真珠湾攻撃されたことはあるが、本土と言う意味では一度もない、と言うのがアメリカ人の認識である。だが、本の主役である藤田信雄氏は当時としてはMission Impossibleとも言えるどえらい偉業を成し遂げていたことになる。
海軍屈指のパイロット藤田氏が軍命によりアメリカ本土爆撃の任務に就く。飛行機は今で言うセスナ機レベルで潜水艦搭載の折り畳み式というから驚く。当時としては世界でも日本軍独自のものらしい。この小型機は水上偵察機だが、この任務の為に重い爆弾を搭載して、いわば決死の出撃である。
爆撃目標が面白い。軍施設とかではなくオレゴンの森林地帯なのだ。このアイディアは「アメリカは山林が焼けることで甚大な被害が生じる国だ」とする海軍の考え方による。アメリカに住むとよく分かるが、今でも特に西海岸側の山火事で毎年甚大な被害が出ている。陸軍と違い、さすが海軍は外国の事情に当時から精通しているのが分かる。
昭和37年、戦争を生き延びた藤田氏に突然、池田内閣の官房長官大平正芳から面談要請が入る。藤田氏が爆弾を落としたブルッキングス市が毎年開催している祭りのゲストに彼を招請する為の身元照会が来たという。日米友好のために爆弾を落とした張本人を招待したブルッキングス市も味な事をする。藤田氏は渡米し、大歓迎を受けた。その時、万一の為(現地で敵として襲われた時の自決用)に持参した日本刀を寄贈した。
アメリカの歓迎がその後の藤田氏を変えたのだろう。歓迎への恩返しをする為に長年(23年)に渡り少ない食い扶持から100万円近くを貯め、1985年の筑波博に私費でブルッキングス市の若者を4人招待している。この時にアメリカは又してもニクい事をする。時のレーガン大統領が元海軍中尉としての偉業とその後のアメリカへの友情を称え、星条旗を贈った。
この星条旗もただの星条旗ではない。わざわざ一日ホワイトハウスに掲揚したものだという。保管所に眠っている予備をそのまま包んだのではない、ということだ。なんとも心憎い仕業ではないか。もうひとつ、星条旗寄贈に伴う大統領の言葉は藤田氏、ではなく元海軍中尉藤田信雄である。アメリカは国家に仕える者を大事にする。とりわけ、国防を担う軍人に対しては、その称号をもって最大級の敬意を表するのがしきたりである。こういうところがアメリカ(のみならず諸外国ははきちんとしている(ひるがえって日本はどうであろうか)。
1997年10月、NYタイムズが85年の人生を閉じた藤田信雄を全米に発信した。
昨年日本へ行く折、持ち帰る本をネットであさっていた時「アメリカ本土を爆撃した男」(倉田耕一著)が目に留まった。帯の句に”自国を空爆した敵になぜ大統領は星条旗を贈ったのか?”とある。アメリカは嘗て一度も本土を外から爆撃されたことは無かったのではないか。9.11テロをブッシュは”戦争”と言ったが、あれはイラク突入の方便だ。それまで、遠く離れた島、ハワイを真珠湾攻撃されたことはあるが、本土と言う意味では一度もない、と言うのがアメリカ人の認識である。だが、本の主役である藤田信雄氏は当時としてはMission Impossibleとも言えるどえらい偉業を成し遂げていたことになる。
海軍屈指のパイロット藤田氏が軍命によりアメリカ本土爆撃の任務に就く。飛行機は今で言うセスナ機レベルで潜水艦搭載の折り畳み式というから驚く。当時としては世界でも日本軍独自のものらしい。この小型機は水上偵察機だが、この任務の為に重い爆弾を搭載して、いわば決死の出撃である。
爆撃目標が面白い。軍施設とかではなくオレゴンの森林地帯なのだ。このアイディアは「アメリカは山林が焼けることで甚大な被害が生じる国だ」とする海軍の考え方による。アメリカに住むとよく分かるが、今でも特に西海岸側の山火事で毎年甚大な被害が出ている。陸軍と違い、さすが海軍は外国の事情に当時から精通しているのが分かる。
昭和37年、戦争を生き延びた藤田氏に突然、池田内閣の官房長官大平正芳から面談要請が入る。藤田氏が爆弾を落としたブルッキングス市が毎年開催している祭りのゲストに彼を招請する為の身元照会が来たという。日米友好のために爆弾を落とした張本人を招待したブルッキングス市も味な事をする。藤田氏は渡米し、大歓迎を受けた。その時、万一の為(現地で敵として襲われた時の自決用)に持参した日本刀を寄贈した。
アメリカの歓迎がその後の藤田氏を変えたのだろう。歓迎への恩返しをする為に長年(23年)に渡り少ない食い扶持から100万円近くを貯め、1985年の筑波博に私費でブルッキングス市の若者を4人招待している。この時にアメリカは又してもニクい事をする。時のレーガン大統領が元海軍中尉としての偉業とその後のアメリカへの友情を称え、星条旗を贈った。
この星条旗もただの星条旗ではない。わざわざ一日ホワイトハウスに掲揚したものだという。保管所に眠っている予備をそのまま包んだのではない、ということだ。なんとも心憎い仕業ではないか。もうひとつ、星条旗寄贈に伴う大統領の言葉は藤田氏、ではなく元海軍中尉藤田信雄である。アメリカは国家に仕える者を大事にする。とりわけ、国防を担う軍人に対しては、その称号をもって最大級の敬意を表するのがしきたりである。こういうところがアメリカ(のみならず諸外国ははきちんとしている(ひるがえって日本はどうであろうか)。
1997年10月、NYタイムズが85年の人生を閉じた藤田信雄を全米に発信した。