よし坊のあっちこっち

神出鬼没、中年オヤジ、いや、老年オヤジの何でも有りブログだ!

昭和の足跡(9)塾通い

2020年02月22日 | 昭和の足跡
受験戦争と塾通い、昔からワンセットで言われてきたお題目である。

よし坊は小学校の3年生頃から塾に通っていた。と言っても有名中学を受験するなどと言うようなものではない。ちょっとした流行でもあったし、仲の良い友達が行くというので親にせがんだ。勉強の上達は二の次だった。そのころ、塾の近くにラジオの文化放送のお偉いさんが住んでいたらしい。ある日、塾の休憩時間に外で遊んでいると、黒い高級車が通って、先で止まった。出てきたのが長嶋茂雄であった。我々子供たちは一斉に走った。

子供の頃から何故かしら英語に興味があった。そこで小学校6年になるころ、親に頼み込んで英語の塾に行くことにした。新宿の方にあったプロメテ学園といいう塾だ。

中学に入るとショッキングな事があった。クラスに途轍もなく英語の出来るのが居た。今で言う帰国子女である。父親が自衛隊とのことだが、当時では自衛隊と外国が結びつかなかった。今でもそうだが、外国大使館には自衛隊や警察出身の駐在武官が派遣される。彼の父親もそうだったのだろう。それに刺激されて、高田馬場にある外語学院という塾に通った。この塾クラスで知り合った二人の九州出身の友達から教わった土地の歌、デンデレリューダーは今でも覚えている。

高校では英語だけは成績が良かった。2年になる直前、英語の矢吹先生から、交換留学の試験を受けないか誘われたが断ってしまった。もうひとり誘われていた別のクラスの山下嬢は試験を受けアメリカに飛び立ち、一年後、3年になった時2年に編入で帰国した。何故、あの時断ったのだろうか。後々の進路も変わっていたかもしれない出来事だった。そして希望通り大学で英語を専科とし、ビジネス英語に注力した。

何故あの頃英語に興味を覚えたのかを考えた時、思い当たることがある。当時小学生の頃、親父に海外技術援助スタッフでシンガポールへ行けるチャンスがあった。何故覚えているかと言うと両親の間で騒動があったからだ。母が親父に行ってくれるなとエライ権幕で言い立てている。結局行かないことにしたのだが、その時だろうか、外国、シンガポールなどが頭にインプットされたのは。いつか親父が行けなかった外国に行こう、と思うようになった。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。