日本ではISILの日本人人質事件でテレビの新聞も埋め尽くされていると聞く。そんな中、ジャーナリストその牧野 洋氏が、人質だった湯川さんの公開された”死”に関して、日本の大手、あるいは有名と称されるメディアのいずれも、”斬首”されたとは報道せず、あいまい表現で逃げているいい加減さを一刀両断のもとにバッサリやっている。外国人が斬首されたら”斬首”とし、日本人なら別の表現をするという、およそダブルスタンダードを平気でやる神経を疑っていて、まったく同感である。今更ながら日本のメディアのお粗末さ、いい加減さは救いようのないレベルにあるのだろう。牧野氏によれば、それでも若干ましなのが産経新聞で、見出しでは表現しなかったが、記事中で斬首にあたる表現をしたとのこと。
今の大新聞は図体がでかいだけだ。朝日は大昔から偏向報道が酷く、最近大恥を掻いた例の慰安婦問題のねつ造事件は、偏向朝日を象徴する出来事だ。読売も昔から購読者勧誘ばかりに血道を上げるだけの新聞としか思えない。毎日もしかりだ。ただ、産経だけは慰安婦問題を含め他社とは一味違った取り組みをしてきたのは、一読者として実感する。よし坊も相当前になるが、ニュースは産経を中心に見ることにしている。
それにしても、外国人が斬首されたら、そのまま報道し、日本人だとオブラートに包むとは、どのような神経をしているのだろうか。差別報道と非難されても仕方あるまい。それにしても”何故?”が残る。
思い起こしてみれば良い。江戸時代ん武士道の中で、けじめを付ける死に方が切腹だが、トドメは斬首である。犯罪人の死刑も斬首だ。これがヨーロッパではギロチンとなる。見る対象としては確かに残酷に見えるが、死の苦しみを味あわせぬ一瞬の死、を考えれば、最もシンプルにして親切な方法であろう。また、銃が発達したところでは銃殺となろう。いずれの方法でも、刀を使えば、一瞬で打ち落とす技量が必要で、銃なら心臓を外さない技が不可欠だが。
今のアラブ世界では、まだ斬首が一般的な方法として残っている。日本では過去のものとなったが、場所を変えれば現代でも日常に存在する、と言う現実がある。そんな現実が外国人に使われたら平気で生々しく書くことに躊躇がなく、それが日本人となると、途端に「そんな残酷な書き方で日本人を記事に出来ない」となるのか。全く理解に苦しむ日本人のメディアの人間達である。
そんな連中が、何かあれば、報道の自由だとか真実を報道する、等と息巻くが、まことに滑稽な、安っぽい絵のように映る。
今の大新聞は図体がでかいだけだ。朝日は大昔から偏向報道が酷く、最近大恥を掻いた例の慰安婦問題のねつ造事件は、偏向朝日を象徴する出来事だ。読売も昔から購読者勧誘ばかりに血道を上げるだけの新聞としか思えない。毎日もしかりだ。ただ、産経だけは慰安婦問題を含め他社とは一味違った取り組みをしてきたのは、一読者として実感する。よし坊も相当前になるが、ニュースは産経を中心に見ることにしている。
それにしても、外国人が斬首されたら、そのまま報道し、日本人だとオブラートに包むとは、どのような神経をしているのだろうか。差別報道と非難されても仕方あるまい。それにしても”何故?”が残る。
思い起こしてみれば良い。江戸時代ん武士道の中で、けじめを付ける死に方が切腹だが、トドメは斬首である。犯罪人の死刑も斬首だ。これがヨーロッパではギロチンとなる。見る対象としては確かに残酷に見えるが、死の苦しみを味あわせぬ一瞬の死、を考えれば、最もシンプルにして親切な方法であろう。また、銃が発達したところでは銃殺となろう。いずれの方法でも、刀を使えば、一瞬で打ち落とす技量が必要で、銃なら心臓を外さない技が不可欠だが。
今のアラブ世界では、まだ斬首が一般的な方法として残っている。日本では過去のものとなったが、場所を変えれば現代でも日常に存在する、と言う現実がある。そんな現実が外国人に使われたら平気で生々しく書くことに躊躇がなく、それが日本人となると、途端に「そんな残酷な書き方で日本人を記事に出来ない」となるのか。全く理解に苦しむ日本人のメディアの人間達である。
そんな連中が、何かあれば、報道の自由だとか真実を報道する、等と息巻くが、まことに滑稽な、安っぽい絵のように映る。