絵はコナラの巨木です。
このところ、安倍政権のナショナリズム指向(戦後レジュームからの脱却と述べている)が、隣国の政治動向を強く刺激している。従軍慰安婦問題、尖閣諸島の領有問題、日本の船舶の差し押さえなどというのも、そうした動向の一端であることは周知のとおり。
こうした問題は明治維新以降からの戦争の処理の仕方と深く関わっていて、小手先の外交でなんとか収められる問題ではないことは明らかである。私は専門家ではないが、戦争処理についていくつか感じることがあるので書き留めておきたい。
私たちは先の大戦を普通「太平洋戦争」として教えられてきた。これは戦争の相手をアメリカ中心に集約する考え方で、この括り方には問題が多く、古くは林房雄などが「大東亜戦争肯定論」などとして論述してきている。戦いの相手はアメリカだけでなく、中国を中心とした大東亜であり、そこにアメリカが絡んで来たという認識である。アメリカと戦いになったのは1941年の真珠湾攻撃からであり、以後、確かに主戦場は南洋からフィリピン、沖縄であり、さらに北はアリュウシャンと太平洋の中である。しかし、この戦いの前段は15年戦争と呼ばれる中国戦線であって、日本軍はこの戦いの方が多くの戦死者を出している。
戦後の処置はポツダム宣言の受諾として、アメリカ、イギリス、中国(蒋介石)の三者との間に交わされたが、この場合の中国とはほとんど形式的なものにすぎない。だから、戦後処理は英米によって、東京裁判からサンフランシスコ講話という手順で収拾されただけである。肝心の中国大陸での戦闘に関してはずっと後になって、日中共同宣言として一応格好がついたが、本格的に形がついたわけではない。戦争期の日本軍の残虐など、いつになっても絶え間なく露出してくるのは、あの大戦を太平洋戦争として限定することから発生していると思う。
日本は太平洋戦争と大東亜戦争という二つの大きな大戦を同時に戦ったのだという認識が不可欠ではないかというが私の考え方である。アジアの平和統一を目指したはずの大東亜戦争について、その理念を含め本格的に始末をつけることが大切なことだと思う。今日、中国の膨張主義が問題視されているが、これもかつての日本の大東亜戦争の理念が未消化になっていることの裏返しの結果ではないのかと思う。
では、大東亜戦争の戦後処理を誰とどのようにすべきなのか。相手は中国であることは間違いがないが、その中国というのは蒋介石の政府(かつての南京政府)で現在の台湾であるから、今日の中国政権は除外してよい……というわけにはゆくまい。日中共同声明というのは、周恩来がその辺の事情をよく把握して出した産物だったのだろう。
で大東亜戦争は誰が勝利者なのか、中国なのか? 表面には出さないが、中国の為政者の間では蒋介石を倒したのは中共であり、従って日中戦争の勝利者は我々だと、本音では思っているのだろう。そうした戦勝国としての潜在意識が対日感情の背景にいつも宿っているように思う。複雑な問題であるが、とにかく大東亜戦争の始末を、日本、中国、台湾の三者で詰めることなしには、将来の円満な姿はないように思うのである。【彬】