ユキヤナギ再び
仲買人の重要さは、例えば農産物の産直品を生協などから注文するとよくわかる。生協では粗悪品の交換には応ずるが、中身はチェックしないので、トマトなど産直で箱買いすると決まって不良品が一つや二つ混じってくる。市場では流通できないような品物を押し込んでくるのだ。善意に解釈すれば、農家の気持ちとしては、味にたいした違いはないのだから、せっかく収穫したものを一種のサービスのつもりで押し込むのだろう。それだけならまだ良い。天候不順で不作の時に、市場の高値につられ、そちらを優先し、産直契約者を後回しにした作物を送ってくることがある。
これでは農家は自分で自分の首を絞めるようなものだ。
こうしたその場しのぎの対応を防ぐためにも確かな仲買人が、実は農家にとっても必要なのだ。
ところが、農家ら漁民は仲買人を嫌う気風がある。戦前、商品経済になれない人たちが仲買人に騙されたと思うような出来事が多かったからである。戦後、社会主義的な志向が強まり、農漁村でも組合運動が叫ばれるようになって、仲買人を介せずに取引ができる農業組合や漁業組合が全国各地で結成された。一時、組合内部で集荷や選別を行おう動きがあったものの、にわか仕込みの組合の職員では日々流通する市場動向についていくことは不可能で、結局尻つぼみになった。そして今では組合は単なる金融機関に過ぎなくなっている。
仲買人の活動が実はどんあものなのか、私たちにはよく見えない。しかし店頭で品揃いされた品物を見るとほとんど芸術品のように見事だ。その選別をしているのが仲買いの職人である。各地の市場や生産現場での仲買人たちの活動がもっと評価されて良いのだと思う。
築地=豊洲問題のいざこざを見るにつけ、その思いが増すばかりである。【彬】