次々と紫色の花をつける、メキシカンブッシュセージ
私の住んでいる新宿区では現在主要な幹線道路の街路樹は剪定されずに、夏に育った枝葉を広く伸ばしている。樹種は、ユリノキ、プラタナス、アオギリなど。こらから落ち葉の季節を迎え、これらの木からは大量の枯葉が路上を埋めることになる。晩秋らしく、私には好ましい風景だ。
昨年までだと、8月末の頃に茂った樹木は業者によって丸裸にされていた。信号などの標識が隠れるとか、落ち葉の始末が大変だとか、周辺からいろいろ苦情があったのだろう。だから台風前に剪定しておくというのが、この十数年の通例になっていた。まだ青々と茂っている落葉樹を大型車両を使って丸坊主にしてしまうのだから、木には気の毒という他にいいようがない光景が続いていたのだ。
ことしはなぜ剪定しないのか。
オリンピックである。木を育て、日差しを遮るなどの暑さ対策をするためである。どれくらい効果があるのか私にはわからないが、木が枝を広く伸ばしている姿を見ると、古都にいるような気分になる。木の大きさが年月を表現してくれるのである。オリンピック効果がこんなところに現れているのかと、思う。と同時に私たちの西欧的な都市づくりの欠点に思いが巡る。日本では、樹木と建物とは相性のより関係にあるのではないか。古代の昔からわが国では街路樹が植えられていた。それは、旅人の憩いの場を作るためのものであり、距離表示でもあり、同時に木の実など食べ物の補給を兼ねた、とされている。そんな歴史を辿るまでもなく、街路樹の様子を見ていると都市交通のあり方自体に考えた及んでいく。
私は以前、車道の一方通行化を提案したが、電気自動車の普及を含め、車社会あるいは交通の理想的なあり方を問うことは近代文明についての難問のひとつだとも思う。【彬】