ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

同窓会と地方の衰退

2017年11月22日 | 日記

 センリョウ


 先だって高校の同窓会があって、久方ぶりに田舎へ帰った。卒後55年ということで懐かしい人達との老いの度合を測る会合であった。当時400人の同窓生がいて、今回集まったのは81人。主席率は悪くないと思う。
 田舎町に行って、老いは人の問題だけでなく、町についても気になることであった。
 賑やかだった駅前は更地にされ、車が2〜3台停められた駐車場になり、銀行があって2軒の本屋、スポーツ用具店、老舗の呉服屋や文房具店、さらには中規模の百貨店など跡形なく、飲食店がチラホラあるといったありさま。こうした地方の衰退は私の田舎ばかりではない。日本国中すべてに見る状況である。なぜこうなったのか?
 答えははっきりしていると思う。車社会の浸透により、経済の広域化が進んだからである。地方では一家に2台、1人1台のクルマ無しでは生活できないような時代になっている。当然のことながら、車の需要に応じて道路が整備された。行政は道路の整備が従来の地域経済を衰退させるだろうと分かってはいたものの、道路の整備を進め、高速道路やバイパスの建設を進めていった。そうせざるを得なかったと思う。そして今はさらに進んで、広域行政で地域はバラバラの状態のように思える。
 どうしたら良いのか。
 思いつきだが、私はは学校社会によって再興されるのがいいのではないか、と思う。
 どこの国、どの地域でもそうだが、地域の隆盛はその共同的な意識に依存している。アメリカや西洋だと教会を中心としたキリスト教が元になっている。日本だと神道で、その象徴がお祭りだ。が、宗教色が薄くなった現代では、宗教に代わるものが学校だと思う。だから地域が誇る学校が、共同性の元になりえると思うのだ。昔のことを思うと、各地域は、中学や高校が活気を支えていたと思う。高校だと一学年300〜400人、3学年にすると1,000~1,200人の若者が毎日、街を埋めていたのである。今、何年かたっても同窓会に人が集まるのは、そうした学生時代があったからである。
 現在、各高校にはおざなりな同窓会事務局がある。この事務局が名目ともに活動し、ここが中心になって、街の再生ができるのではないか、と思うのだ。街を出た人も交通が利便になった今日、田舎と都会は自由な行き来が可能だし、スポーツ、芸術、工芸など様々な分野の活動が現役生と卒業生の間で豊かに交流できるのではないか、それを支援する行政ではないのか、と。卒業生の同窓会宴席だけでも、こまめにまとめていけば街の消費はぐんと上がるのである。単純に計算しても50年の歴史のある高校は同窓会を毎年開けば週一回の宴席ができるのなる。
 こんな思い、他愛ないことだろうか。【彬】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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