初夏のアブラチャンの実。名前の通りにみずみずしくアブラが浮いたようにキラキラしている。
私はスポーツが好きである。見るのもするのも好きである。この1〜2週間は、Wサッカー、ウインブルドンとビッグゲームが続いて、我が家のテレビはスポーツチャンネルが独占している。サッカー、テニスだけではない。チャンネル数が増えたこともあって、毎晩、見るテレビはスポーツ番組ばかりである。
それで思うことがいくつかあるが、特に思うのは、日本の選手ばかりではなく世界的に、スポーツの技術的レベルが格段に高度化したことであろうか。サッカーやテニスだと具体的に記述することが難しいのだが、体操や水泳、卓球、陸上などでいうと、タイムや技術レベルが相当に高度化していることなど、数値として具体的に現れていることから証明することができる。例えば体操。私の若い頃はウルトラCという流行語があったくらいに、体操競技の技術レベルの高さが話題であったことがある。しかし現今は、Cどころか、D、 E、Fまで、そのレベルまで上がっている。また、もっとも記録の出にくい陸上100メートルは人類は10秒を越えられないだろうと考えられていた。ところが今では、10秒を切らないと優勝できないレベルになっている。水泳はもっと進んでいる。
こうした、スポーツのレベルの向上のためには、個人の能力以上に環境が大きく影響していよう。まず、取り組む練習時間量、整った練習設備、適切な指導者の存在、医学や栄養に関するサポート体制、等々。これ、いうまでもなくお金のかかる仕組みである。世界的にもスポーツの技術的レベルが向上しているのは、スポーツにかける費用が高度にレベルアップ、つまりビジネス的にツウペイする段階に来ていることを示していると思う。たとえばサッカーの場合、ヨーロッパ各国を中心としたリーグ戦があり、報酬を求めアフリカや南米の選手が集うというシステムがあることが技術の向上を支えている。
日本のばあい、水泳は早くから学生スポーツを脱却してクラブスポーツに転換したことが今日のレベルの支えとなっている。体操や卓球ももおなじである。日本でのスポーツの普及は長く学生が担っていた。そしてその普及に果たした役割は大きかった。その代表が高校野球であった。しかしその役割は完全に終わっている。
で、現在私たちスポーツの愛好家はなにを望むのか、ということが今日の最大の問題である。それははっきりしている。学校スポーツから脱却し市民スポーツの施設を作ることである。たしかにバブルのころ自治体はトラックや野球場、プールを作って市民スポーツの振興を模索した。しかし、それらは十全に運用されなかった。問題はなにか。スポーツを郊外のものと錯覚したからである。しかしスポーツは生活の場も中にあるものだ。各地に民営のジムが作られているが、いずれも都心型である。サッカーWカップの賑わいのなかに、街中にスポーツを楽しむ環境が是非ほしいものである。【彬】