ミモザが咲き始めました。
青山学園大学野球部の監督が、父兄からの苦情があって、更迭されたというニュースが出ている。この監督は小久保選手や井口選手といった一流の選手を育てたアマチュア球界の大御所だという。更迭の理由は我々には分からないが、日大のアメリカンフットボール部も含めて、近頃アマチュアスポーツ界のゴタゴタは後を立たない。おそらく誰でも知っているはずと思うのだが、トラブルの元となっているのは、学内のスポーツ活動を推進している古くからの風習自体が持っている体質だと思う。部活といえば青春を謳う清々しい活動のように思えるが、その内情と言えば、指導方法や上下関係、活動費を含め、古めかしいいわば旧軍隊の訓練を踏襲する惨憺たるものに違いないことが想像できるのだ。
私は以前から体育や音楽などの技術系の課目は、高校を含め義務教育のカリキュラムから除外すべきだと言っているのだが、それを別角度から推し進める方途として、音楽やスポーツをはじめとする各種スポーツ・文化活動を、特に高校や大学の場合は、教育部門から切り離し、付属の事業経営として位置付けることを提案したい。これらの諸活動は今や低年齢層の活躍が著しく、しかも専門化が進んでいて目を瞠るばかりだ。例えば、水泳、体操、卓球、野球、ピアノ、バイオリン、フィギャアスケートなど、あげればきりがない。通常の教育機関としては、これらの才能を受け入れ、発展させていくことは難しくなっている。
加えて、提案するまでもなく、高校や大学では、それらの成果を生徒募集につなげているが、そうした運営を、教育などと誤魔化さずに、正々堂々と前面に出し、一つの学校事業として運営したら、と言うのである。
日本にはノンプロという、不可思議な実業団形式がある。企業に所属しながら、アマチュア活動をするのである。私は大学や高校のスポーツ、あるいは文化活動は、この実業団システムに移行するのがいいと思う。学校が生徒や学生の経済的な側面を面倒見ながら、選手を特別の機関の中で育成するのである。指導者は高給で迎えられ、成功報酬もだす。そうすることで選手育成は近代化され技術的にも向上するだろう。
部員が卒業資格が欲しいと言うなら、身分証明を出し、一般生徒は違った形で卒業などを認める。ひょっとしたら、実質、私たちの知らない間に、有名校は、若手の選手のスカウトや奨学金制度を通して、現実化させているのかもしれない。
そうすると一般学生が部活動をする余地がなくなるのではないか、と言う心配が出てくる。しかし、現代ならば、そうした活動は、同好会や地域の施設で十分補完できる。
こうした考えは、学校を教育の場として聖域的なものとして位置づけるのではなく、明確に企業経営の一翼だと位置づけることにつながる。今や、都心の一等地を買い占めるのは、教育事業者であり、学生数は大学でさえ50 %の進学率を越えるのだから、経営的な基盤は十分に裏付けられているのである。
学校が企業化すれば、学内だけで生徒や学生を相手にしたコンビニ経営ができるだろう。生協も可能だ。出版や学生寮、学業器材、様々な有望な消費部門が、学内には目白押しである。それらを一括して大学が経営運営するのである。
こうなれば、そしてそこに通う学生は、市中にアルバイトを求めることなく、出版の手伝い、生協の販売など学内で稼ぎ場所を求めることもできる。さらには、スポーツ事業の手伝いでも収入を得られよう。働く先はいくらでもあるように思える。
以上、つまり簡単に言えば、大学や高校が、一大コンツェルンになることである。
こういう発想は奇抜なものではない。キリスト教の修道院、仏教の寺院、ヨーロッパ中世の大学制度など、同じようなことをしている。大学進学率が50%を超えた現在、従来の学業の方式にとどまる必要は全くない。大学の運動部不祥事を思うに、つくつく感ずるのである。
まさか、それを独禁法違反だと言う人はいまい。【彬】