春になり、スーパーの鮮魚売り場に、メバルが並ぶようになる。高級魚ということもあり、普段はほとんど食することがない魚。
8年前の、3.11の大震災。
今まで、この震災に関わる自分自身の記憶をいくつか書いてきましたが、ささいなことだが、もう一つあります。当時、僕は、茨城県の常陸大宮市で被災した。ガソリンスタンドは暫く閉店したのち、開店しても車は長蛇の列。スーパーも店の修復などがあり、しばらくたってからの営業開始であった。なかには、店は閉じたまま、店の前のスペースで仮店舗を開設、そこに、お客の長蛇の列が並んだ。
2週間ほどたつと、スーパーはほぼ通常営業にもどっていった。そして、春の魚、メバルがならぶようになった。
原発事故の影響で、並ぶ魚の種類が限られている中で、赤いメバルは不思議な美しさがあった。今までほとんど食べたことのない魚であるが入手した。この時の気分は、食べる前に、絵に残そうというものだった。
東京に戻っている今、春になると、メバルをスーパーで見るようになる。美味しい魚だが、食べようと思はないのだ。8年まえのあの魚の味が、嫉妬するように、食べることを拒ませるのだ。3.11の、ささいだが辛い記憶が、自分の中から消えていかない。
絵は8年前の、メバル。
2019年3月7日 岩下賢治