我が家の収穫した次郎柿
衆議院議員選挙の期間中である。この間は、特に政治的なことはとやかく言わない方がいいのかもしれないが、いろいろ考えるところがあるので、一つだけ記しておきたい。
それは、政治家は各方面にあまり口出ししないほうがいいということ。識者と言われる人や新聞やテレビでは、反対に、アレやコレやといろいろな要求を出す。要求を出すことが民主主義、議会主義での正義だと思わせる口振りだ。
私は、それは違うと思う。
現在、私たちの生活はあまりにも多くのことを政治に依存しすぎていて、身の回りから、衣食住の全てにわたって政治が事細かく食い込んできている。たとえば食べ物、その生産から流通、さらには食品の成分・内容に渡って細かく政治的な規制が食い込んできている。また、住宅などはどれほどの細密な規制が組み込まれているものやら。それでも、何か事故が起これば、政治が怠慢だったなどと新たなる規制を求め、制度化する。これでは身動きが取れなくなる。
六法全書というのがある。ご存知のように、これは明治以降、現在生きている法律を全部書き留めたものであり、この分厚い書物は、言ってみれば全文政治家が作ったものである。今でも毎年200~300本あまりの法律が作られ、施行されている。
亡くなられた吉本隆明さんは、政治の理想は町内会のゴミ当番と同じで、嫌々ながらやるもので、何か大言壮語するようなものではない、と言っている。プラトンは、国家篇で、政治家が出しゃばることはよくない、大工などと同じで一定範囲内の厳格な職業倫理に服すべきものだと言っている。
政治が肥大化するとろくなことはない。戦争は政治が肥大化したものでもあるのだから。現在争われている選挙の各政党の公約は、自分たちがいかに事細かく丁寧に細部に渡って政治の手を差し伸べるかを競っている。私の考えでは、政治のあるべき姿から最も遠い位置にあると思う。社会保障からインフラまで、普通の職業と同じ仕事として処理できないだろうか。かつて問題を起こした年金制度は、現在は半民間化されたし、鉄道、水道、郵便など、国の手から離れつつあるのが時代の流れである。
革命、などとはほど遠い、複雑で進歩した時代に生活しているのである。【彬】