ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

大切に育てたい都会の街路樹

2021年10月18日 | 日記

                      野生のリンドウ

 私の若い頃だと、並木と言えば「前座のヤナギ」で、その他では表参道のケヤキ、日光街道の杉並木とかが有名だった。東海道の松並木はもう一部にしか生き残っていなかった。大阪の人にとっての並木は御堂筋の銀杏だろうか。
 現在は道路の緑化が進んで、各地の道路に様々な樹木が植えられ、地域の風情を豊かにしている。樹木の種類もいろいろで、私の住む近くでは、アオギリ、ユリノキ、エンジュ、ハナミズキ、コブシ、サルスベリ、イチョウ、プラタナス、などなど。いずれも落葉樹で大木になる。落ち葉の季節になると始末が大変で、葉を落とす前にきれいに剪定してしまうことが多い。それも丸坊主に近い、強めの剪定である。木を大きくすることは念頭にないようだ。年取ったせいか、並木のことが気になる。

 そもそも並木というのはどのような観点から植樹されているのだろうか。古くは奈良朝あたりに遡るようで、朝廷に向かう街道に、旅人や荷物の運搬者のための休息、および食べ物を供する実のなる植物を植えたことがはじまりのようだ。もちろん中国由来である。

 江戸時代になると、並木は道標の意味を持つようになる。一里塚などと距離をも示すようになり、そこに植えられたのは、エノキである。柳田國男はこのエノキに特別の意味を与えている。エノキは実もつけ、食べられるもする。東京の神宮外苑には今でも観兵榎という記念碑がある。この地で兵の訓練をし、エノキの木の下に明治天皇が鎮座して見守ったとされている。

 このように並木は私たちの生活に染み付いたものだが、交通のあり方の変化とともに意味も変わってきた。車社会の道幅拡張に伴い、並木は不要になったのだ。そんなことをあれこれ思うと、今の時期の剪定に何かやるせない思いが湧き出てくる。
 手入れされず歯が抜けたような並木とか、強く刈り込んだ木々は、本来の並木には遠いのではないのか。夏、木陰を作ってくれる大木、冬は葉を落とし、柔らかの日差しが差し込む穏やかさなど、木々は心を落ち着かせくれる。並木が現代都市の発展の象徴になって欲しいものである。

 ついでながら、ヨーロッパでも並木の由来は古く、ローマの時代からあったようで、今、英語でアベニューというは、ラテン語からフランス語などと共通していて、フランス語だとアレ、つまり歩くという言葉につながるようである。パリではマロニエが有名だが、これは日本だとトチノキである。【彬】

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