ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

若さと政治的無知

2021年11月13日 | 日記

                                       槇の実、食べられます。

 グリーン革命、言い換えば、いかに二酸化炭素を減らすか、あるいは地球温暖化を抑制するか、の国際的な会議が行われている。イギリスのグラスコーでのCOP26、国別の炭素排出の抑制が協議された。しかし、肝心の中国、アメリカが参加を見送ったため結論は中途半端、日本も署名を見送っている。
 温暖化は喫緊の問題ではないが、現今の気象変動を思えば、なんとかしなければならない問題であることは確かである。いろいろな識者が政治的な思惑を含めて様々に危機を煽っているが、そんなことよりも地球上に人間の数がここ100年の間に倍増していることこそ、そもそもの問題である。経済が豊かになり、人間が増え、火のある暮らしをすれば二酸化炭素は増えるに決まっている。でも人口を増やさないようにしようとする動きはどこの国にも見られない。かつて一人っこ政策を推し進めた中国でさえ、今は逆の政策をとっている。人口が増えても地球環境を変化させない方式はどのように可能なのか、難問である。フィンランドの少女や日本の女子学生が喚いたことで解決するような課題ではない。
 良識的と言われている一部の識者達は、この問題について、若者が積極的に参画するよう呼びかけている。例えばオバマ前アメリカ大統領。
 グラスコーの集会で、若者の活動家たちに向け、自身の世代の危機感の欠如が、不安と怒りの「真の根源」となっていると言及。若者たちに、「いら立ちを感じるのも当然。私の世代は、あなた方が受け継ぐ、壊滅的な可能性のある問題に十分な対処をしてこなかった」と話した、とレポートされている。
 政治家が若者を挑発するのは、今に限ったことではない。典型的なのは、毛沢東。「実践論」の中で、世の中の動静にあれやこれや惑わさていない純な若者こそ変革の推進者だと言っている。つまり若さの行動力を武器にすべきと。
 私たちはこうした政治家の〈いかがわしさ〉を随分と見てきたし、その体験もしてきている。いま年取って思うことは、若い頃の無知なる故の傲慢さである。思えば自分自身、恥ずかしいことがたくさんある。
 吉本隆明さんはマルクスを引いて「無知が栄えた試しはない」と言っている。世の中の課題を安易に政治的に片寄せること、しかもその言辞を若者に託するような方策を取ること、最も唾棄すべきことなのだと思う。
 地球温暖化の問題に戻るなら、さらなる科学的知見が必要だと思う。例えば海流と気温の関係の解明には、もっと力をいれてほしい。また、日本人なら縄文人がなぜ滅びたのか、視野に入れたいものだ。などなど。政治的に偏らないことが大事なことだ。【彬】

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