ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

高齢者ドライバーの事故に思う

2021年11月21日 | 日記

                    花盛りのサザンカ

 私は運転免許を持っていない。もちろん運転しないし、できない。だから運転者の心理は分からないのだが、最近、何度かニュースになっている高齢車ドライバーの事故にただならぬものを感ずる。 
 高齢になって、運動神経が劣化してくるのは、誰でもが感ずるもので、例外はない。だからドライバーは必要以上に細心の注意を払っているはず。取りまく家族もドライブを控えるよう、説得しているに違いない。それにも関わらず、止むを得ず運転する場合は、行先や道路の選択、時間帯、スピードなどなどに、細かな配慮をしているはずだ。
 ところが、報告されている例では、繁華街、駐車場、交差点とかの事故現場が上がっている。それに事故原因の多くが、ブレーキとアクセルの踏み間違いである。単に不注意とは言えない何かが介在しているようにも思う。
 何か、魔がさすとでもいうのだろうか。
 事故は注意していても起こる時は、起こるものだ。
 そこでと言うわけではないが、車のアクセルとブレーキというのは、なんで踏み間違えるような近い位置に配置しているのだろうか、と思う。私は運転の仕組みを知らないから、軽々に何かをいうつもりはないが、昔のバスやトラックでは、クラッチを入れ、ギアを切り替えるのが普通だった。その場合は、左足でクラッチ、右足でブレーキとアクセルだった。今はそんなことをせずにギアはスピードの変化に従い、ほぼ自動的に切り替わるのだろうと思う。
 そんなことを想像すると、アクセルとブレーキの踏み違いは、右足でブレーキとアクセルを踏み分ける、昔の車の構造的な名残なのではないだろうか、などと思わざるをえない。
 今は自動でギアを切り替えることができる時代なのだから、アクセルとブレーキの位置は、同じ位置である必要はないように思う。ブレーキだけを足元に残して、アクセル関係の機器はハンドル周辺に置き換えるとか、可能なのではないのだろうか。あるいは逆か? 自転車だとブレーキが手動だ。
 車の進歩は著しく、今の課題は電気自動車、AIによる自動運転、という風になっているが、高齢者の事故を思うと、そういう流れではなく、車の仕組みを変える必要があるのではないか、などと思う。
 日本のような土地の狭いところでの運転は、車の車庫出し、車庫入れが最も大事なことになる。ブレーキとアクセルの踏み間違いが起こるのも、こうした狭い場所での操作の誤りだろう。車を運転しない全くの部外者からの意見は、的を外しているだろうが、私も被害者になる可能性がある立場として、ブレーキとアクセルの位置の問題について、多少、言ってみたかった。【彬】

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