白い花のフヨウ
ロシア・ウクライナの戦争が気になって仕方ない。私だけではないだろう。日本人のほとんどが気にかけているに違いない。
気の掛け方には、人それぞれだろう。祖先にシベリアで抑留された人がいる、千島やサハリン、北方地域に関係がある人、ソ連を理想の国家と勘違いして様々な活動をした人、ロシア語を勉強した人、ロシア文学を学んだ人、その他さまざま。そんな中、日露戦争の頃ならいざ知らず、昭和以降では、将来社会の理想だとされたロシア=ソ連の果たした役割はあまりにも大きかったように思う。私たちは、その大きさに身を小さくしてきたようにも思う。
そのソ連が崩壊して、その反省・総括というのが、思想の側でも、学問の側からでも、いまだしっかりした議論が聞こえてこない。単に資本主義経済力に負けた、というだけでは、答えになっていない。かつて新左翼たちは、反帝反スタのスローガンを掲げたが、それだけで片がついたとは到底思えない。そのことが気になるのである。
現今の戦争も、私にはロシア=ソ連の延長線上にあるように思う。プーチンの個性、ロシアの国民性の問題だけではない。プーチンはソ連時代にはKGBに属し、一定の地位にいた人である。
そのプーチンが唱えているのは、傲慢なロシアの民族主義だけなのか。そうではないだろう。私には、ロシア=ソ連が提起した社会主義インタナショナリズムの残滓を感じる。
アフガンや中東、東欧に介入するロシア、あるいは中国の一帯一路というのも、その流れのように思える。プロリタリア独裁=専制主義が、インタナショナリズムとなって、世界に武力侵攻している。この流れを徹底的に分析、解体しないと、この世界から軍事紛争の終わりを見ることができない。【彬】