キンモクセイ
安倍晋三国葬が終わっても、その開催について依然として悶着を起こしている。安倍だからダメだという役割を終えた古臭い左翼のいうことはとにかく、国会の議決が必要だと述べている政党があり、これは野党に限らず与党の中でも指摘する議員がいる。
なるほど、憲法上にも法律上も国葬を規定したものはない。識者の中でも、内閣が決定することに異議があるという人は多いようだ。橋爪大三郎氏は国権の最高機関である議会議長の関与が必要だという。またエリザベスの国葬に比べて品格がないとも。葬儀はその国の歴史が込められていて、昭和天皇の崩御の時は儒教ゆかりの野辺送りだった。西欧的な品格など意味がない。
本題だが、人が亡くなったら、葬儀を行うわけで、国家行政に貢献した人について、これを国が行う当然の如き国事行為として、普通に認められないのだろうか。何か特別に宗教染みて挙行するわけではなく、祭壇を設け追悼するだけである。国会の審議議決が必要な案件なのか。(天皇が関与する国事行為については細かな規定がある。)
日本の政治制度は、議院内閣制であり、国会議員が国会議員の中から内閣総理大臣を選ぶ。その内閣は当然ながら国事行為を含め、いろいろが行事が任されている。いちいち議会の承認が必要なのではない、もしそうなら議院内閣制の意味がない。内閣の裁量で行うことのできる行事だと思う。些細なことまで議会の承認とか言い出したら、議員内閣制そのものが崩壊しよう。
費用云々をいう議論もあろう。しかし国債を発行してまで費用をやりくりするわけではなく、予備費で十分こなせる金額である。
国葬=国事行為で問題になるとすれば、それば過度に宗教性が伴う場合である。宗教的な理念が行政を差配し、ナショナリズムを興進させることに繋がっていく。戦前の日本神道がその悪き例であることは言うまでもない。しかし国家が完全に宗教を離脱しているかといえば、そんなことはない。ロシアでのギリシャ正教、イギリスでの国教会、アメリカのプロテスタント、中東イスラム国でのイスラム教、たくさんある。
これを薄めることこそ重要であり、死に伴う厳粛な行事を否定しては、人間の精神性を否定することにもなりかねない。
今回の安倍国葬はよくできた行事だったと思う。【彬】