キキョウ
十数年ぶりに同窓会が開催されるということで、故郷の田舎町に帰った。
驚いたのは駅舎が立派になったこと。元々田舎のターミナルだったからそれにりの設備だったが、今は屋根が落ち着いた瓦屋根に葺き替えられ、窓は密な格子で埋められている。まるで江戸時代のお城の様。それなりの建築家の設計なのだと思う。
線路を跨ぐ通路にはエレベータが二機稼働している。待合室にはコンビニが入り、トイレもきれいなものだ。こんなに立派にして、誰がどのくらい乗降するのだろうか。私が降り立った時は、乗降客は10名ほど。
東京の電車に乗りなれていると、田舎の駅舎ののんびりさが、なんだか異世界に感じる。これは我が田舎に限ったことではない。どこのJRローカル駅でも同じだ。
駅舎の立派に比べると、街中はなんだか人気がなく、寂しい。ストリートの両側には飲食店などが並んではいるのだが、客らしい人影はなく、扉を下ろしている店も多い。昔は駅前には路線バスが所狭しと待機し、学生やら近在の多くの人が屯っていたものだが。
と思うのは私の過去に対する思い違いなのか。昔も同じようなものだったのか。
この町名を明かそう。千葉県香取市佐原。水郷一帯の仕切る中核都市である。伊能忠敬の生誕地であり、古くからの交通の要衝としてその街並みを保存していることから観光地としても名を知られている。そん町がこんなふうに感じられるのである。
東京に慣れた目からみるとそう感じるものなのか。
しかし、人々や街の様相からみると明らかに衰退している。町の機能を果たしているとは到底思えない。町の機能、、、これが問題のだ。かつて街で調達していた衣食住の生活物資は今やかつての町を経由・通過しなくなった。街中を遠ざかって、バイバスを通じて物資が動く、人間が動く。物の購買はインターネットで処理される。こうした超都市の動きに田舎の都市はどう対応したら良いのか。
私のような部外者がほざく前に、自治体の責任者たちは日夜頭を悩ましているのだろう。その成果が駅舎であり、観光都市への脱皮なのだろう。でも部外者からみるとなんだか、的を外している様にしか思えない。もちろん回答を持ち合わせているわけもないのだが,,,,,,【彬】