ユキヤナギ
コロナ問題、ワクチンを各地にどう円滑に運び、接種するのか問題となっている。ファイザー製の本数が足りるのか、医師会の協力体制がどうの、接種記録をどう管理し2回目の接種に活かすのか、などなど。政治がらみになると、野党だけでなくあちらこちらから雑音が湧き起ってくる。
私自身は以前にも述べたようにワクチンは無理には打たない。ワクチンに頼らなくとも予防できることは、現在の感染状況から判断できるからである。なぜ日本で感染者が少ないのか、理由は定かではないが、少ないことだけははっきりしている。島国に暮らす長年の生活様式が私たちに生得的な耐性をもたらしているのか、あるいは入浴し、靴を脱ぐ私たちの習俗によるものなのか。
ともあれ、ワクチンを打つことが感染阻止のバリアになることが喧伝され、一つの社会心理を形成しているらしくて、そのことが接種についてあれやこれやの言説を生んでいる原因のようにも思う。
今後、ワクチンを接種したことが免罪符になって、様々な行事が進んでいくような気がしてならない。オリンピックもさにあらむ。ということはコロナは既に医療の問題ではなく、社会や政治の問題になっている。医療というのは究極のところ社会問題なのであろう。
*ワクチンについては、従来型の生ワクチンではなく、DNAを編集する技術を応用しているとのこと。この新しいワクチンについては、副作用とか効果とかではなく、その仕組みについて具体的で啓蒙的な報道がぜひ欲しいものだ。人間の生命に関する画期的な方法らしく、日本でも相当研究が進んでいるとのこと。以前紹介した村上龍の小説『歌うクジラ』にその一端が描かれている。
このワクチンの開発が進んでいたのは、アメリカ、中国、イギリス、ロシアである。私が想像するに、これは軍事研究の一環ではないのか、ということ。細菌の軍事研究は日本でも行われていた。
もう一つ。変異株がどうのこうのと言われているが、普通に考えればウイルスの変異は、ウイルス側の生存システムの問題で、対人間に、住み込み易くするための自己変革である。その結果、本体の性質を弱め=弱毒化して浸潤しやすくしているはずである。人間の側からすればそれだけ感染性が高くなるが、弱毒化し、発症しないウイルスになる。人間の体の中には万というウイルスが共存しており、結果としてその一つになるということである。【彬】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます