ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

 武漢ウイルス、空気が支配することを恐れる

2020年04月15日 | 日記

 オオムラサキツツジ

 山本七平さんの名著に『「空気」の研究 』というのがある。
 空気というのは、世の中の一方的で絶対的な雰囲気、というようなこと。最近の用語ではKY、その場の空気を読んで対処すべき、というような意味で、KYのできない人は軽蔑される。山本さんは、このKYを「臨在的把握」として、その弊害を30年前に説いている。日本は明治以降、西洋文明の啓蒙に尽くしたことで、過度に西欧崇拝が広がり、西欧文明=科学を絶対的な善とみなし、依拠するようになった。(その代表を福沢諭吉としている)その結果、その対抗軸となる旧来の生活意識を想像以上に貶めた。しかし、善悪というのは、簡単な腑分けができるわけではなく、善を求めるあまり、これを相対化すべき対抗概念を失うこととなった。対抗概念のない、一方的な雰囲気、これが「空気」である。
 山本さんは、この空気が世界大戦の端緒を開き、公害問題やら、外交などでも、報道がこれを醸成・後押しすることで、様々な弊害を生んできたという。今日のような多様なメディア状況下でも、一度この「空気」が醸成されると、自由な思考は全く受け付けられなくなる事情は同じだと思う。
 私は今日の武漢ウイルスに伴う非常事態宣言に伴う各種の言説、例えばニューヨーク並の感染が生ずる、クラスターが発生する、医療崩壊が進んでいる、マスクを始め医療機器が不足している等々、また、オーバーシュートとかロックダウンとか、耳慣れない用語を乱発し、この「空気」を蔓延させていること、すこぶる気になるのである。
 武漢ウイルスを甘くみているわけではないが、日本は欧米各国に比べて、患者数が極めて少ない。その原因は何か、専門家もわかっていないのだが、理由はともあれそれが事実なのである。この事実をないがしろにして、過大に問題を煽ることはあってはならない。事実をもっと細かにレポートすること、例えばどこでクラスターが発生し、何人が感染した、そのうち重傷者は何人である、、、、原因不明の感染者はどの地域で何人なのか、、、、保健所に相談に来る発熱者は、どこで何人なのか、といったように。
 東京都のように毎日テレビを通じて、外出を控えるよう要請するのはを耳障りである。それより保健所や病院から上がってくるデータをきっちり報告することが行政の役目である。クラスターではなく、くれぐれも絶対的な「空気」を発生させないでほしい。【彬】

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非常事態宣言と戦後民主主義

2020年04月09日 | 日記

 道端のポピー

 武漢ウイルスの蔓延予想を前提に、4月8日付で非常事態宣言が発令された。
 識者と言われている人やジャーナリスト、はたまた野党第一党である立憲民主党の党首、都知事らが、決定が遅すぎるといった批判の声を受けての発令である。いやはや。
 先の本ブログでも触れたように、これは超法規的な発令=つまり日本国憲法に抵触する発令であることを了解した上でことなのだろうか。政治家はもとよりあらゆる識者たちは、今回の措置が現行の民主政治の枠を超えての強権発令であることを納得しているのかどうなのか。
 私は今回の発令、および周辺の動向などを睨むと、私たちが大事にしてきた、戦後民主主義が完全に終焉したのだと感嘆せずにはいられない。
 敗戦後の平和憲法には、非常事態を想定した規定がない。その関連で、軍隊の規定もない。このことが戦後政治の大きなネックであり、また逆にそれがひとつの理想として崇められてきた。しかし、今回の決定により、もう後戻りはできない事態に至った。非常事態を認定し、国家として、法律の実効を宣言して対処したのだ。
 今後、憲法を改正する動きは今まで以上に現実味を帯びることになろう。私は憲法の改正に反対ではない。むしろ変更することを信条としている。しかしなし崩し的に改正することはもっとも忌むべきことだと思っている。今回の事態によって、私が危惧しているような事態に進むことを恐れるのである。
 憲法改正は長く国会での審議機関を設けているが、実質的な議論は進んでいない。今回の事態によって、にっちもさっちもいかなくなっている現在の状態が、不意の外部的要因で進展することが最も危険である。
 私は議院内閣制のもとでの緊急の行政強権は、その発揮すべ対象を、今回のような当座のインフルエンザというようなものではなく、はっきりと限定し、枠づけるべきだと考える。
 すなわち、超法規的な権限は自然災害だけに限ること、そして災害に対処する部署を常設し、内閣総理大臣に直属するように規定することである。
 今回のウイルス騒ぎの初期に、クルーズ船に派遣された自衛隊の衛生部隊が有効に活躍したことが伝えられている。こうした部隊、つまり軍隊並の災害救助隊をつくることで、一層の効果的運用が可能になると思う。現在の自衛隊の一部を分離し、災害救助隊を作ることも一案である。現在、自衛隊は多様な要請に応じている。地方自治体の首長も派遣を要請することができるので、小池都知事は早速派遣を要請している。
 自衛隊=軍隊の憲法上の規定があまりにも曖昧なために、緊急事態に対する対応がずっと曖昧になってきた。私は平和憲法の基本を変えずに、緊急事態に対する制度、つまり災害救助隊を創設することでこれを解決することが喫緊の課題だと思うのである。それが平和憲法の次なる展開だと思う。【彬】

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音楽と絵の溶け合い

2020年04月05日 | 日記

 NHK朝ドラ「エール」が始まった。国民的作曲家、古関裕而をモデルにしているということで楽しみにしている。

 ドラマは主人公が、10歳の時代から始まる。おとなしく、多少内気であまり目立たない少年であったが、音楽には素晴らしい才能を見せ、すでに作曲を始めている。10歳ころの自分を思い起こし、おとなしく、内気であるところが似ているなと親近感を覚える。

 僕自身のことを言うと、音楽は、どちらかというと苦手である。音楽は好きで、様々な作品を聴いたり、たまには、カラオケを楽しむことはある。だが、高校生くらいの頃、ギターに興味を持ち、弾いてみたりしたのだが、楽譜から楽器を通して、まともな曲になっていかないのだ。そのころから、楽譜が読めないという意味で、音楽は苦手だと思うようになってきた。

 ところで、音楽も絵(絵画)、も芸術という括り方をする。僕は、絵は好きで、うまくはないが、趣味で描いたりして楽しんでいる。愛好会に入っているので、グループで展示会に出展することもある。同じ、芸術といっても、僕にとっては、音楽は遥か上にあり、ただ眺め、聴くだけのものになっている。朝ドラ「エール」の主人公の少年に子供の頃の自分を重ね、音楽と絵を近づけたいと考えたりする。そうすると、中学校の音楽の授業を思い出してくる。音楽作品を聴いているときに、どのような情景が心に浮かんだかを話し合うものであった。そうか、聴いた音楽で感じたものを、情景、絵、で表現するのも、一つの鑑賞方法なのだ。そうすることで、好きだけど苦手な音楽を、好きな絵でもって自分の感性に取り入れることが出来そうだ。

 子供の頃から聴いていて感銘を受けている、古関裕而の「長崎の鐘」を、絵にしてみた。

   2020年4月5日  岩下賢治

 

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非常事態宣言、避けるべし

2020年04月02日 | 日記

ハナニラ

 武漢ウイルスの蔓延状況に関して、政府は非常事態宣言をして強力な指導力を発揮すべきだとの声が各分野のイデオローグたちから聞こえてくる。法律として、今国会で成立したばかりではないか、その権限を早急に発揮した方が、被害の拡大を防ぐには有効だというのである。
 治療を受け持つ医師会のほうからもそうした意見がでている。
 しかし私は反対である。理由は二つある。
 一つは非常事態宣言は法律化されたとしても、それは民主制議会制度の制度外にあり、議会から離れて行政が強権を発揮するというものだからである。執行すべきと言う人たちは権限には罰則もないし、規制としては緩かなものにすぎないから、という。
 だが、問題なのは強権の強弱ではなく、手続きという点にある。我が国の議会民主主義制度は、議院内閣制をとっており、あくまで権限の中枢は選挙された人たちによる議会にある。それが戦後民主主義の根幹であって、私たちの今日の繁栄があるのも、その制度によっているのであり、不満はあれどもそれ以外の統治はないのである。非常事態宣言というのはこの制度を超えるものである。仮に強権を発揮したいのなら、執行に際してどう議会と調整すべきかが、問題となる。ところが、現在の非常事態宣言は、特定のインフルエンザが対象になっているからと言って、議員たちに危機感が全く欠如しているのである。特に野党の議員達の弱体化は否めようがない。
 強権の発動は、杞憂かもしれないが、やがて軍隊の出動にまで辿りつくのだ。
 私たちの戦後民主主義は、北欧や北米のような共和制=大統領制とはちがうのであり、曲がりなりにもこの制度により多くの利益、および平和と繁栄を得てきたのである。
 二つ目は、一度制度を踏み外すと、易々と二度三度と繰り返すからである。これは私たち自身の生活実感でも、また歴史でも証明していることだ。
 非常事態宣言の執行については、今が瀬戸際の状況にあるようである。安倍首相は、よく踏ん張っていると思う。首相には現行の行政制度のかぎりをつくして最善の対処をしてほしいものである。私たち国民も危機状況に即応した生活のあり方や知恵を出して、この民主制の中で武漢ウイルスを防御したいものである。
 これが不可能になった場合、それは諸々の意味で戦後民主制度の敗北なのである。【彬】

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