ハナニラ
武漢ウイルスの蔓延状況に関して、政府は非常事態宣言をして強力な指導力を発揮すべきだとの声が各分野のイデオローグたちから聞こえてくる。法律として、今国会で成立したばかりではないか、その権限を早急に発揮した方が、被害の拡大を防ぐには有効だというのである。
治療を受け持つ医師会のほうからもそうした意見がでている。
しかし私は反対である。理由は二つある。
一つは非常事態宣言は法律化されたとしても、それは民主制議会制度の制度外にあり、議会から離れて行政が強権を発揮するというものだからである。執行すべきと言う人たちは権限には罰則もないし、規制としては緩かなものにすぎないから、という。
だが、問題なのは強権の強弱ではなく、手続きという点にある。我が国の議会民主主義制度は、議院内閣制をとっており、あくまで権限の中枢は選挙された人たちによる議会にある。それが戦後民主主義の根幹であって、私たちの今日の繁栄があるのも、その制度によっているのであり、不満はあれどもそれ以外の統治はないのである。非常事態宣言というのはこの制度を超えるものである。仮に強権を発揮したいのなら、執行に際してどう議会と調整すべきかが、問題となる。ところが、現在の非常事態宣言は、特定のインフルエンザが対象になっているからと言って、議員たちに危機感が全く欠如しているのである。特に野党の議員達の弱体化は否めようがない。
強権の発動は、杞憂かもしれないが、やがて軍隊の出動にまで辿りつくのだ。
私たちの戦後民主主義は、北欧や北米のような共和制=大統領制とはちがうのであり、曲がりなりにもこの制度により多くの利益、および平和と繁栄を得てきたのである。
二つ目は、一度制度を踏み外すと、易々と二度三度と繰り返すからである。これは私たち自身の生活実感でも、また歴史でも証明していることだ。
非常事態宣言の執行については、今が瀬戸際の状況にあるようである。安倍首相は、よく踏ん張っていると思う。首相には現行の行政制度のかぎりをつくして最善の対処をしてほしいものである。私たち国民も危機状況に即応した生活のあり方や知恵を出して、この民主制の中で武漢ウイルスを防御したいものである。
これが不可能になった場合、それは諸々の意味で戦後民主制度の敗北なのである。【彬】