さて、今日は長浦毒ガス貯蔵庫跡だ。
島内のガス貯蔵庫で最大のものである。
周囲からは見つからないように山を削って作ったと思われる。
説明。 → Map
山を削ってというのは、この写真の様子からよく分かる。
ここでは作られた毒ガスを貯蔵するという役目があった。
100tタンクが6基並んでいた訳だ。
毒ガス工場から運ばれてきた電気発動機の付いた電動車で毒ガスの原液を運んできたそうだ。
それを倉庫入り口両脇にある小部屋の真空ポンプによってタンクを真空にすることによって原液を吸い込ませたようだ。
小部屋の内部。 吸い込み側か、払い出し側かは分からない。
この島では「常に3000トンの製品の確保」の指示があったという。
戦争中から島の各所に小希望の貯蔵庫を造ったが、最初から計画の中ではっきりとしていたのが「長浦の貯蔵庫」で今でもどのようなものであったが検証できる。
100tタンクの台座。人が立っているので大きさが想像できると思う。
毒ガス処理の時に毒性を消すために火炎放射器で焼いた壁である。
倉庫から海側を臨む。正面に小久野島が見える。
考えられない量の毒ガスが製造されていたこと、そしてその処理は実際にどうだったのか。
日本の歴史の中で検証が必要なことの一つだと思われる。