大久野島発電所後編である(笑)
新しくできた部分は3階建てだ。
増築された訳は毒ガス製造が本格的になって、たくさんの電力を必要としたからだ。
ところが戦争の激化のため、ディーゼルエンジンの燃料の重油が供給しにくく広島本土から海底ケーブルも用いた電力供給になったという。
コンクリートの構造物が気になる。
1枚目写真の左側
1枚目写真の真ん中辺り
1枚目写真の右側
発電所の機械類が当時設置されていた場所はこの写真が頼りだ。
全部で8基あったというディーゼルエンジンの発電機
発電機のある写真と、現在残されているものとの違いがみられる。
戦後は発電機が撤去され、朝鮮戦争時(1950年~1953年)に米軍の弾薬庫として使われたこともあったという。
発電所の先にあるトンネルを抜けると「MAG2」とペイントされているのが見える。
「MAG2」のMagは弾薬(マガジン)のことである。
小さい方を第一発電所、大きい方を第二発電所と呼ぶそうである。
第二発電所にあるコンクリートの構造物は発電所として稼働していた頃の写真とは違って見える。
弾薬庫として使われていた時のものなのか。
現在調べていても、その情報にぶつからない。
なお、保存を求める署名により取り壊しはなくなった。
ここを管理している環境省によれば、修復はせず自然に朽ち果てるのを待つばかりだそうだ。
同じ県内には世界遺産に登録された「原爆ドーム」がある。
このような建物も歴史の証人として残したらと思うゆきたんくである。