恩田 陸 著 講談社文庫。
読みたい。
「三月は深き紅の淵を」を読みたい。手にとって始めから終わりまで誰にも邪魔されずに読んでみたい・・・
そう無償に思う、思わされてしまう「本」です。
この作品は、4部作になっています。そして、その4部作は、「三月は深き紅の淵を」という稀少本にまつわるお話。
第一部では、この本は実はまだ書かれておらず、お金持ちの人々の道楽に半分ひっかけられたような作り。第二部では、この本は厳然と存在し、その本の作者を編集者の女性二人が夜行列車のなかで推理しつつ、作者であろう人の元に行く話。第三部は、そこに出てくる人がきっと「いつか私は書くだろう」と思っているお話。そして第四部は、この「三月は深き紅の淵を」を書いた作者が、ちょっぴりこの話の構成を説明しつつ、実はものすごく厚いベールの影に、この「三月は深き紅の淵を」を隠してしまうお話。
つまり、この本は、「三月は深き紅の淵を」という内側の物語を包む、外側のお話の本なんですね。
それぞれの中編ごとに単品でも楽しめるし、「三月は深き紅の淵を」で繋がっているとも見える。更に必ずある人がそれぞれのお話にちらっと見え隠れしていますから、それはきっと、内側のお話に共通するある果物と同じ扱いであろうと思われ・・・そして更に、次の本に繋がっている。
ああ、書いていて自分でも混乱してます。
でも、文庫本の帯に「これが恩田陸だ!」なんてキャッチコピーがありましたが、ほんとにそうだなあ、、とも読みつつ感じておりました。
この構成力や表現力だけでなく、今までに読んできた恩田先生の作品の骨がちらほらと見え隠れしたりするんです。
作品をいろいろ読んだ後にこの本を手にとってもまた別の楽しみ方が出来そう。
というわけで、すでにこの次のお話を手にしています。
気持ちがとてもどきどきとして、不思議で追い求めたくて。
できたら誰にも邪魔されず、一気に読んでしまいたい。
でも、読み終わりたくない・・・
物語を追い求めつつ読み終えて、読み終えてしまったからこそ、更に追い求める。
そういう作品だな、と思います。
読みたい。
「三月は深き紅の淵を」を読みたい。手にとって始めから終わりまで誰にも邪魔されずに読んでみたい・・・
そう無償に思う、思わされてしまう「本」です。
この作品は、4部作になっています。そして、その4部作は、「三月は深き紅の淵を」という稀少本にまつわるお話。
第一部では、この本は実はまだ書かれておらず、お金持ちの人々の道楽に半分ひっかけられたような作り。第二部では、この本は厳然と存在し、その本の作者を編集者の女性二人が夜行列車のなかで推理しつつ、作者であろう人の元に行く話。第三部は、そこに出てくる人がきっと「いつか私は書くだろう」と思っているお話。そして第四部は、この「三月は深き紅の淵を」を書いた作者が、ちょっぴりこの話の構成を説明しつつ、実はものすごく厚いベールの影に、この「三月は深き紅の淵を」を隠してしまうお話。
つまり、この本は、「三月は深き紅の淵を」という内側の物語を包む、外側のお話の本なんですね。
それぞれの中編ごとに単品でも楽しめるし、「三月は深き紅の淵を」で繋がっているとも見える。更に必ずある人がそれぞれのお話にちらっと見え隠れしていますから、それはきっと、内側のお話に共通するある果物と同じ扱いであろうと思われ・・・そして更に、次の本に繋がっている。
ああ、書いていて自分でも混乱してます。
でも、文庫本の帯に「これが恩田陸だ!」なんてキャッチコピーがありましたが、ほんとにそうだなあ、、とも読みつつ感じておりました。
この構成力や表現力だけでなく、今までに読んできた恩田先生の作品の骨がちらほらと見え隠れしたりするんです。
作品をいろいろ読んだ後にこの本を手にとってもまた別の楽しみ方が出来そう。
というわけで、すでにこの次のお話を手にしています。
気持ちがとてもどきどきとして、不思議で追い求めたくて。
できたら誰にも邪魔されず、一気に読んでしまいたい。
でも、読み終わりたくない・・・
物語を追い求めつつ読み終えて、読み終えてしまったからこそ、更に追い求める。
そういう作品だな、と思います。