先程、愛読している公式サイトの【 現代ビジネス 】を見ていたら、
『 後悔しない人生を過ごすための「年代別傾向と対策」
~こころの老い支度のポイント ~ 』
と題された見出しを見たりした・・。
私は東京の調布市の片隅みに住んでいる年金生活の75歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけ家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、 程ほど貯金を取り崩しながら、 ささやかに過ごしている。
こうした中、私は定年退職をするまでの半生は、何かと悪戦苦闘の多い人生を過ごしてきた為か、
定年後は多々の理由で年金生活を始め、丸15年を過ぎているが、
予測した以上に年金生活を安楽に過ごしている。
しかしながら体力の衰えを実感して、少し物忘れをする時もあり、
やはり老いてきたよなぁ・・と独り微苦笑する時もある。
こうした深情を秘めている私は、遅ればせながら《・・後悔しない人生を過ごすための「年代別傾向と対策」・・》、
《・・こころの老い支度のポイント ・・》を学びたく、真摯に精読した。
この記事は、精神科医の第一人者の和田 秀樹さんが『年代別 医学的に正しい生き方』(講談社現代新書)を上梓され、
この中の「はじめに」より抜粋・編集をおこなわれた記事であり、
公式サイトの【 現代ビジネス 】に2018年10月22日に配信され、無断であるが記事の殆どを転載させて頂く。
《・・後悔しない人生を過ごすための「年代別傾向と対策」 ~こころの老い支度のポイント ~
ただ高齢者専門の精神科医として、ふだん高齢者に接している私は、
老いに対する考え方が「老いと闘う」派と「老いを受け入れる」派に二極化し、
両者が対立概念のようになってしまっていることに、違和感を覚えています。
と願っているのであれば、いくらなんでも非現実的ですし、
そのような願望に固執すべきでないのは、言うまでもありません。
しかし、「老いに抗おう」と考えることは、
人生のある時期までは、決して無駄なことではありません。
最新の医学をはじめとする、最先端の知見を学び実践すれば、
40代や50代ではもちろん、人によっては60代に入っても、かなりの程度まで外見だけでなく、
脳や血管などの若々しさを保つことは、現実的に可能になっています。
もちろん人によっては、多発性脳梗塞やパーキンソン病、若年性アルツハイマーなどに
50代や60代のうちに見舞われ、普通の人よりも早い段階で、老いを受け入れざるをえないこともあるでしょう。
しかし幸いにもそういった病気とは無縁で暮らせていて、
ちょっとの努力をすれば、老化のスピードを遅らせることができる人が、
ことさらにアンチエイジングを嫌うのも、それはそれで不自然なのではないでしょうか?
「初老」という言葉が40歳の異称として、使われていた明治・大正時代ならいざしらず、
平均寿命80歳超の時代に生きている我々が、
60代で老け込んでしまうのは、そこからの人生の長さを思えば早すぎる、と私は思います。
私は、医学の力に頼りながら一定の年代・・・
おおよその目安としては70代くらい・・・まで老いと闘うことは、
何ら悪いことではないと思います。
そしてそのときが来たら、今度は満を持して「老いを受け入れる」段階に移行する・・・。
そうした、言ってみればごくシンプルな老いとの向き合い方をすればよいと思うのです。
☆「老いを受け入れる」ことで老後が楽になる
どれほど医学が進歩しても、人間は不老不死を得ることだけは、おそらくできません。
そうである以上、しかるべきタイミングがやってきたら、
そのときは自分自身の老いと向き合う必要が当然ありますが、
このときにより大きな問題を抱えがちなのは、いわゆる「元気な高齢者」かもしれません。
たとえば2017年8月には、脚本家の橋田壽賀子さんが
『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)という本を出し、こちらも話題となりました。
橋田壽賀子さんは、この本を執筆した時点で92歳。
依然として現役の脚本家として活躍されているのは、周知のとおりです。
その彼女が本書のなかで、今後もし自分が認知症になると人に迷惑をかけるから、
そうなる前にスイスの「ディグニタス」という安楽死支援組織に行きたい、
そこで安楽死したいと主張しました。
当然、賛否両論を呼びつつも、彼女のこの主張に共感した高齢の読者は多かったようです。
ある程度の高齢になってからも、元気に働いてきたタイプの人ほど、
いざ介護保険を使わなければならない立場になると、その行使にかなりの抵抗を感じてしまう傾向がありました。
とりわけこのような方が、初期の認知症などにかかっているケースだと、
デイサービス(通所介護)に行くことを極度に嫌がるため、患者本人のためにならないだけでなく、
介護する家族にも、負担がかかってしまうことが多かったのです。
私が、人生のある時期からは、老いを受け入れる方向にマインドを切り替える必要がある、と考えるのは、
こうした不幸な事態を招いてほしくないからでもあります。
もっとも、「老いを受け入れる」というのは、言葉で言うほど簡単なことではありません。
実行するには、少なくとも自分自身が今後50代、60代、70代・・・と年齢を重ねていくにつれて、
どのような事態が待っているのか、事前にある程度イメージできている必要があるでしょう。
たとえば橋田壽賀子さんにかぎらず、多くの高齢者が恐れている認知症に関して言えば、
90歳を過ぎれば、もはや特別なことでもなんでもありません。
厚生労働省作成の資料(「年代別認知症有病率」)を見ればわかるように、
90歳まで生きた人の61%は認知症になっていますし、
さらに95歳まで生きた場合の認知症有病率となると、じつに8割に達しているのです。
こうしたことを知っていれば、認知症という病気に対するイメージまで、いくらか変わってくるのではないでしょうか。
☆認知症にまつわる誤解を解きほぐす
私に言わせれば、認知症ほど、一般の人から誤解を受けている病気はありません。
そしてそのなかでも最大の誤解の一つが、
認知症になった人が、「子どもがえり」するというよくある思いこみです。
一時期は、それが世の中の常識になるほどに広まってしまったことで、
介護の現場でも、おかしなことがたくさんおこなわれていました。
入居者であるお年寄りのレクリエーションとして、
まるで幼稚園の園児たちがやるように、童謡を歌わせることは
20~30年前の老人ホームやデイサービスでは、当たり前のように実施されていましたし、
もっとひどいところになると、入居者を「太郎ちゃん」、「花子ちゃん」などいわゆる「ちゃん付け」で呼んでいました。
これらはもちろんお年寄りに喜んでもらおうという意図でおこなわれたことではあるのですが、
実際にやってみると、子ども扱いされることを不快に感じるお年寄りのほうが圧倒的に多いことがわかって、
今ではほとんどおこなわれなくなりました。
最近の高齢者施設のレクリエーションでは、
個々の入居者が、若い頃に好んでカラオケで歌っていたような歌を、歌ってもらうことが多いようです。
認知症を発症した人が、わがままになるのは、たしかに比較的よく見られることではあります。
しかしこれがいわゆる「子どもがえり」とまったく違うのは、
認知症患者の場合は、その人が認知症になる以前の人生で築き上げた固有の人格は、依然として存在していること、
そしてその一方で、その人のなかから短期記憶をはじめとしたさまざまな能力が抜け落ちていく、ということです。
そのため、若い頃から教養のある会話をしていた人なら、
認知症が相当に進行していても難解な用語を駆使して高度な会話をする
(語彙のレベルは高くても、話のつじつまが合わないことは珍しくありませんが)という例は、いくらでもあります。
また、そうした人でなくても、大人としての自尊心やプライドは保たれているため、
介護する側が「子どもがえり」しているものと思いこんで、幼児と話すときのような口調で話しかければ、
通常はお年寄りを傷つけてしまいます。
基本的に認知症は、その人の元からの人格が維持されたまま記憶障碍が生じたり、
もともともっていたその人の性格が、より先鋭化して現れてくる病気です。
なかにはほんとうに子ども時代に戻ってしまったかのように、
天真爛漫な言動をするようになる認知症患者がいないわけではありませんが、
これはあくまでも例外的な事例にすぎません。
一見子どもがえりしたと見紛うほどに天真爛漫になる人は、
もともとその人自身に天真爛漫な性格の素地があり、それが先鋭化しただけなのでしょう。
認知症患者の身に起こるこれらの現象は、「退行」といえば、たしかに退行なのかもしれません。
しかし認知症にしても、老いそのものにしても、
皆が「だんだん子どもに戻っていく」あるいは「だんだん全体的に知能が下がっていく」といった、
今まで一般的に考えられていたようなモデルで、とらえられるものではないことだけはまちがいありません。
たとえば、5分前に聞いたことも覚えていないのに、経理の仕事はちゃんとできるというように、
ある能力は大きく衰えているのに、別の能力はほとんど元のレベルが保たれている「まだらボケ」という言葉は盛んに使われます。
これは、脳梗塞の後遺症や多発性脳梗塞のように、
脳の一部だけが損傷した際に起こると考えられていましたが、
私の見るところ、ほとんどの認知症は多かれ少なかれ、まだらにボケているのです。
☆人生の未来予測図を携える
私が今回『年代別 医学的に正しい生き方』を書こうと思ったのは、
ある程度の年齢に達するまで「老いに抗う」にしろ、その後に「老いを受け入れる」にしろ、
どの年代でどういうことが自分の心身に生じ、
それは実際には、どのようなものなのかを教えてくれる「人生の未来予測図」のようなものを携えていることが、
「平均寿命80歳超」時代を生きる私たちの大きな助けになりうると考えたからです。
そのような考えのもとに、未来予測図の一覧表を作成しました。
身体の変化から社会生活まで、おおよそどういったことが起きるのか一目でわかるようになっています。
ただし、「それぞれの年代に起こる」と記している出来事や病気、心身の変化などがいずれも一般例であり、
目安にすぎないことはお断りしておかねばなりません。
本書の特色といえるのは、将来自分の心身になにが起こるのかという「傾向」を述べるだけでなく、
私が30年以上にわたって高齢者専門の精神科医をつづけてきた経験から、
可能なかぎりの「対策」を提言している点です。
たとえば、40代であれば、前頭葉が萎縮するためにその機能が低下し、
意欲や創造性、感情のコントロール機能などが衰えはじめる、いわゆる感情の老化が起きてくるのですが、
それに対して、どのような対策ができるのかを私なりに提案しました。
あるいは、この時期から人間ドックなどで検査データの異常などが見出されるわけですが、
それに対して、世間で言われる正常値にすればいいという発想でなく、
高齢者を見てきた経験から私なりの対策を書きました。
少なくとも何の備えもしないより、そのような状況に陥ったときの不安やパニック心理は弱められるはずです。
個人差はありますが、しかし、人間には老いはいつかやってきます。
避けられないのであれば、覚悟をしたうえで、可能なかぎりの対応を考えてみようということです。
原発事故にしても、起こらないことを前提にしていたために、起こった際のマニュアルがほとんどなかったと聞きます。
どんなに受け入れがたいことでも、起こるのが不可避なことを認め、前もって対応するに越したことはないのです。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
今回の精神科医の第一人者の和田 秀樹さんが『年代別 医学的に正しい生き方』の中、のアドバイス、
ひとつひとつのアドバイスが、あたかも真珠が集められた人生の後半戦の首飾り、
と思い深めて、私なりに、多々教示されたりした・・。
特に、《・・「老いを受け入れる」ことで老後が楽になる・・》に関しては、
私は70歳過ぎた頃から、膝(ひざ)が衰えた為か、畳の上で正座が苦手となり、
これ以来、「老いを受け入れる」を受け入れたりしてきたので、
確かにそうですよねぇ・・体力の衰えてきたひとつひとつの動作、しぐさを思い重ねたりしている。
或いは物わすれが、ときおり実感させられて、ひとり微苦笑したりしている。
今回、『年代別 医学的に正しい生き方』を学び、
和田 秀樹さんが《・・30年以上にわたって高齢者専門の精神科医をつづけてきた経験から、
可能なかぎりの「対策」を提言している・・
たとえば、40代であれば、前頭葉が萎縮するためにその機能が低下し、
意欲や創造性、感情のコントロール機能などが衰えはじめる、いわゆる感情の老化が起きてくるのですが、
それに対して、どのような対策ができるのかを私なりに提案・・
あるいは、この時期から人間ドックなどで検査データの異常などが見出されるわけですが、
それに対して、世間で言われる正常値にすればいいという発想でなく、
高齢者を見てきた経験から私なりの対策を書きました・・》
こうした和田 秀樹さんの丁重な解説とアドバイスを学び、やがてこれからの人生に、
私になりに後光を感じたりしている。