横浜開港150周年だからか、裁判員制度スタートのためか、マリア・ルス号事件をメディアで見聞きする機会が続きました。全く聞いたことがなかった話で、改めて明治維新の人々の偉大さに感心しました。
外務卿副島種臣が主役ですが、日本の裁判制度の父とも言われる同じ佐賀県出身の司法卿江藤新平は、ここでは抵抗勢力(原則を主張して、見て見ぬ態度)でした。副島も江藤も佐賀藩の英学校「致遠館」でフルベッキに英米法や各国の法制経済を学んだのだそうですが、人道上の判断を優先させ、ロシア皇帝による国際裁判でも圧倒的支持を得て勝利した副島の信念を貫く姿勢、世界の列強と日本との関係の国際感覚ある配慮は、今日の国内の政局優先で奔走する先生方には、爪のあかを煎じて飲ませてあげなくてはなりませんね。
マリア・ルス号事件 (前半)
マリア・ルス号事件 (後半)
神奈川県が、「マリア・ルス号事件」を題材とした紙芝居「タンキョー マリア・ルス号ものがたり」を制作しています。
「マリア・ルス号事件」を題材とした紙芝居「タンキョー マリア・ルス号ものがたり」について : 神奈川県
マリア・ルス号事件解説 (神奈川県『ダンキョー マリア・ルス号ものがたり』より)
明治5年(1872年)6月、横浜港に停泊していた南米ペルー船籍マリア・ルス号から、一人の中国(清国)人が海に身を投じました。「マリア・ルス号事件」の発端ともいうべき出来事でした。
明治5年のこの年は、長い鎖国を経て、日本が諸外国に扉を開いた「横浜開港(1859年)」から13年目にあたります。文明開化の波に乗って、横浜の地に、日本初の鉄道が開通し、ガス灯が燈った年でした。しかし一方では、維新の混乱で、明治新政府にとっては、舵取りが難しい時期でもありました。
マリア・ルス号から海に身を投じた中国人は、幸いにも近くに停泊していた英軍艦アイアン・デューク号に救助されました。そこで彼は、マリア・ルス号から逃げ出してきたこと、船内では十分な食事を与えられず、過酷な扱いを受けており、自分と同じ境遇の中国人が230余人乗っていることなどを、必死に訴えました。
中国人の身柄を引き取った神奈川県は、早速マリア・ルス号の船長リカルド・ヘレイラを召喚して事情を問いただしましたが、中国人は移民契約を交わした船客であるという船長の説明を受け入れて、逃げてきた中国人を船長に引き渡してしまいます。日本にとってペルーは条約未済国であり、外交問題に発展することを恐れたことも理由の一っでした。
しかし、数日後にはまた、別の中国人が海に身を投じます。この紙芝居の冒頭に登場する中国人(郵安・とうあん)です。英国は、マリア・ルス号に奴隷運搬船の疑いありと、明治政府に調査を求める外交文書を提出しました。
この事件の背景には、米国の奴隷解放宣言(1862年)に端を発した、世界的な奴隷制度廃止の流れがありました。労働力が圧倒的に不足した米国・欧州諸国とその植民地になっていた国々など(ペルーほか)では、アジア系の単純労働者(クーリー・苦力)を低賃金で過酷な労働に従事させました。奴隷制度が廃止されたとはいえ、彼らの境遇は奴隷と変わらなかったのです。
文書を受け取った明治政府では、司法卿江藤新平や神奈川県令(現在の知事)陸奥宗光らが、この事件はペルーと中国の問題であって、日本が乗り出せば越権行為として諸外国から非難される恐れがあると反対しましたが、外務卿副島種臣はその反対を押し切って裁判を開くことを決めました。そこで、県令陸奥宗光は職を辞し、神奈川県参事だった大江卓が権令(現在の知事)に任じられて事件を担当することになりました。
大江卓はマリア・ルス号の中国人全員を上陸させて保護し、神奈川県庁内で自らを裁判長とする臨時法廷を開きました。判決は、中国人を解放することを条件にマリア・ルス号の出航を許可するというものでした。しかし、船長はこれを不服として、更に移民契約の履行を訴えました。中国人をマリア・ルス号に戻すように求めたのです。2度目の裁判が開かれました。船長の弁護人ディケンズが日本の公娼制度を盾に、日本には奴隷制度を非難する資格はないと反論しましたが、大江卓は人道に反する移民契約は無効であると、船長の訴えを退け、明治5年9月27日、解放された中国人は、全員帰国することができました。
その後、ペルー側の訴えにより、第三国であるロシア帝国での国際仲裁裁判に発展しますが、明治8年に日本側の措置は正当なものであったとする判決が下されて、事件は終息しました。この裁判を契機に、明治5年10月には、公娼を廃止する芸娼妓解放令が公布されました。
また、横浜在住の中国人たちは、大江卓と外務卿副島種臣に対して、同胞の危難を救った感謝を込めた大旛を贈りました。この2流の大旛は、現在、神奈川県立公文書館に所蔵されています。
監修/石橋正子
明治5年(1872年)6月、横浜港に停泊していた南米ペルー船籍マリア・ルス号から、一人の中国(清国)人が海に身を投じました。「マリア・ルス号事件」の発端ともいうべき出来事でした。
明治5年のこの年は、長い鎖国を経て、日本が諸外国に扉を開いた「横浜開港(1859年)」から13年目にあたります。文明開化の波に乗って、横浜の地に、日本初の鉄道が開通し、ガス灯が燈った年でした。しかし一方では、維新の混乱で、明治新政府にとっては、舵取りが難しい時期でもありました。
マリア・ルス号から海に身を投じた中国人は、幸いにも近くに停泊していた英軍艦アイアン・デューク号に救助されました。そこで彼は、マリア・ルス号から逃げ出してきたこと、船内では十分な食事を与えられず、過酷な扱いを受けており、自分と同じ境遇の中国人が230余人乗っていることなどを、必死に訴えました。
中国人の身柄を引き取った神奈川県は、早速マリア・ルス号の船長リカルド・ヘレイラを召喚して事情を問いただしましたが、中国人は移民契約を交わした船客であるという船長の説明を受け入れて、逃げてきた中国人を船長に引き渡してしまいます。日本にとってペルーは条約未済国であり、外交問題に発展することを恐れたことも理由の一っでした。
しかし、数日後にはまた、別の中国人が海に身を投じます。この紙芝居の冒頭に登場する中国人(郵安・とうあん)です。英国は、マリア・ルス号に奴隷運搬船の疑いありと、明治政府に調査を求める外交文書を提出しました。
この事件の背景には、米国の奴隷解放宣言(1862年)に端を発した、世界的な奴隷制度廃止の流れがありました。労働力が圧倒的に不足した米国・欧州諸国とその植民地になっていた国々など(ペルーほか)では、アジア系の単純労働者(クーリー・苦力)を低賃金で過酷な労働に従事させました。奴隷制度が廃止されたとはいえ、彼らの境遇は奴隷と変わらなかったのです。
文書を受け取った明治政府では、司法卿江藤新平や神奈川県令(現在の知事)陸奥宗光らが、この事件はペルーと中国の問題であって、日本が乗り出せば越権行為として諸外国から非難される恐れがあると反対しましたが、外務卿副島種臣はその反対を押し切って裁判を開くことを決めました。そこで、県令陸奥宗光は職を辞し、神奈川県参事だった大江卓が権令(現在の知事)に任じられて事件を担当することになりました。
大江卓はマリア・ルス号の中国人全員を上陸させて保護し、神奈川県庁内で自らを裁判長とする臨時法廷を開きました。判決は、中国人を解放することを条件にマリア・ルス号の出航を許可するというものでした。しかし、船長はこれを不服として、更に移民契約の履行を訴えました。中国人をマリア・ルス号に戻すように求めたのです。2度目の裁判が開かれました。船長の弁護人ディケンズが日本の公娼制度を盾に、日本には奴隷制度を非難する資格はないと反論しましたが、大江卓は人道に反する移民契約は無効であると、船長の訴えを退け、明治5年9月27日、解放された中国人は、全員帰国することができました。
その後、ペルー側の訴えにより、第三国であるロシア帝国での国際仲裁裁判に発展しますが、明治8年に日本側の措置は正当なものであったとする判決が下されて、事件は終息しました。この裁判を契機に、明治5年10月には、公娼を廃止する芸娼妓解放令が公布されました。
また、横浜在住の中国人たちは、大江卓と外務卿副島種臣に対して、同胞の危難を救った感謝を込めた大旛を贈りました。この2流の大旛は、現在、神奈川県立公文書館に所蔵されています。
監修/石橋正子
米英や中露とのその後の歴史上の経緯を経ての今日の関係や、変動期を迎えた今後の各国相互の関係を推測すると(と言っても、予測がつきかねない)、感慨深いものがあり、更に100年後の人々から、今の日本人をどう評価されるか、しっかりしなくてはとも考えさせられる事件です。
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