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米国がパレスチナ自治区ガザ地区を所有し、そこに住む200万人のパレスチナ人を移住させるというトランプ米大統領の構想は、激しい怒りや冷笑を引き起こしている。しかし、たとえ実現することがないとしても、この構想には良い点がある。それはイスラエルに対する世界のダブルスタンダード(二重基準)を浮き彫りにしたことだと、サダナンド・ドーメ氏。
住民の移住は過去100年間に何度も起きている。1920年代には、ギリシャとトルコが強制的な住民交換で合意。第2次世界大戦後には、何百万人ものインド人とパキスタン人が新たな家を見つけることを余儀なくされ、チェコスロバキアとソ連を追われたドイツ系の人々も同様だった。1970年代には、ウガンダがインド人を追放した。パレスチナのケースにおいてのみ、難民問題が延々と続いてきたと、サダナンド・ドーメ氏。
トランプ氏は、ガザ地区の住民を他国に移住させ、同地区を「中東のリビエラ」にする構想を示している。
そうした住民はどこへ行くのか。トランプ氏は先週、記者団に対し、「それはヨルダンかもしれないし、エジプトかもしれない。他の国々かもしれない」と語った。同氏は自身のソーシャルメディア「トゥルース・ソーシャル」への投稿で、パレスチナ人は「はるかに安全でより美しいコミュニティーに、新しく近代的な家屋を得て」定住することになる、などと説明したと、ドーメ氏。
多くの人がこれに戸惑いを覚える理由は容易に理解できると、ドーメ氏。
この議論はある二重基準を浮き彫りにしている。1948年のイスラエル建国と第1次中東戦争の後、約60万~70万人のパレスチナ人が故郷を追われた。だが、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は現在、600万人近いパレスチナ人「難民」を支援している。
これを他の国々と比較してみよう。イスラエル建国後の混乱の中で、北アフリカや中東では、約80万人のユダヤ人が故郷から逃げたり、追放されたりした。現在、こうした中東系ユダヤ人の子孫はイスラエルの人口の約半分を占めている。イスラエルが、彼らを恒久的な難民キャンプに閉じ込めたり、地政学的な交渉材料として利用したりしたことは一度もなかったと、ドーメ氏。
インド・パキスタンの分離独立では、1947年に植民地支配を終えることにした英国は、インドでイスラム教徒が過半数を占める地域を分割し、パキスタンを誕生させた。
インドとパキスタンはいずれも、新たにやって来た人々を融合させるために懸命に努力したと、ドーメ氏。
アラブ諸国がパレスチナ人の窮状の責任を負うべきだろう。中東フォーラムのパイプス氏は「アラブ諸国にいるパレスチナ人にとって皮肉なことは、彼らの大義が極めて神聖であるにもかかわらず、彼ら自身がひどい扱いを受けているということだ」と語る。
ヨルダンは多くのアラブ諸国と異なり、国内に住むパレスチナ難民の大半に市民権を与えているが、そのうち約16万人(ガザからの移住を余儀なくされた人が中心)は無国籍のままだ。一方、レバノンには無国籍のパレスチナ人が約25万人住んでおり、この半数近くは難民キャンプで暮らしている。
中東地域全体でパレスチナ人は、就業機会、行政サービス、不動産所有権などの面で差別を受けてきた。
しかし、米国では17万2000人のパレスチナ人が暮らしている。多くのアラブ諸国に住むパレスチナ人の人口を上回る規模だと、ドーメ氏。
元駐イスラエル米大使のデービッド・フリードマン氏は、「過去100年間にわたって住民の大規模な移動が繰り返されてきた」とし、「それは時には不当な扱いだったが、人道的見地から正当化される扱いだった例もある。しかし、いつのどの場合でも、移動が終われば、それで全て終わりだった。それが攻撃の道具にされている場所はここ(ガザ地区)だけだ」と述べたと。
トランプ氏の計画が成功するかどうかは誰にも分からないと、ドーメ氏。
だが、どこか別の場所でより良い生活を送れる機会が提供されれば大半の人々がガザを離れる、と考えることは理不尽ではない。どちらにしても、世界中の多くの国々が難民を受け入れてきたのと同様に、アラブ諸国もパレスチナのアラブ人を受け入れていれば、こんな議論をする必要さえなかっただろうとも。
# 冒頭の画像は、ガザの通りを移動するパレスチナ人避難民
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遊爺さんの写真素材 - PIXTA
【オピニオン】ガザ住民の移住、できないはずがない - WSJ By Sadanand Dhume 2025年2月14日
米国がパレスチナ自治区ガザ地区を所有し、そこに住む200万人のパレスチナ人を移住させるというドナルド・トランプ米大統領の構想は、激しい怒りや冷笑を引き起こしている。しかし、たとえ実現することがないとしても、この構想には良い点がある。それはイスラエルに対する世界のダブルスタンダード(二重基準)を浮き彫りにしたことだ。
住民の移住は過去100年間に何度も起きている。1920年代には、ギリシャとトルコが強制的な住民交換で合意した。トルコ国内のギリシャ正教徒はギリシャに移住し、ギリシャ国内のイスラム教徒はトルコに移った。第2次世界大戦後には、何百万人ものインド人とパキスタン人が新たな家を見つけることを余儀なくされ、チェコスロバキアとソ連を追われたドイツ系の人々も同様だった。1970年代には、ウガンダがインド人を追放した。パレスチナのケースにおいてのみ、難民問題が延々と続いてきた。
トランプ氏は、ガザ地区の住民を他国に移住させ、同地区を「中東のリビエラ」にする構想を示している。そうした住民はどこへ行くのか。トランプ氏は先週、記者団に対し、「それはヨルダンかもしれないし、エジプトかもしれない。他の国々かもしれない」と語った。同氏は自身のソーシャルメディア「トゥルース・ソーシャル」への投稿で、パレスチナ人は「はるかに安全でより美しいコミュニティーに、新しく近代的な家屋を得て」定住することになる、などと説明した。
多くの人がこれに戸惑いを覚える理由は容易に理解できる。私たちは、厄介な地政学的問題を不動産開発というレンズを通して見ることに慣れていない。エジプト人、ヨルダン人、サウジアラビア人はいずれも、パレスチナ人が流入する可能性をあまり歓迎していないようだ。英仏など米国の長年の同盟国も、トランプ氏の構想を批判している。
とはいえ、この議論はある二重基準を浮き彫りにしている。1948年のイスラエル建国と第1次中東戦争の後、約60万~70万人のパレスチナ人が故郷を追われた。だが、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は現在、600万人近いパレスチナ人「難民」を支援している。それは国連が、故郷を追われたパレスチナ人だけでなく、その子孫も難民と見なしているからだ。米シンクタンク、中東フォーラムのダニエル・パイプス所長は電話取材に対し、「現在、パレスチナ難民のひ孫としてシリアのダマスカスで生まれた者は、パレスチナ難民と見なされる」と語った。
これを他の国々と比較してみよう。イスラエル建国後の混乱の中で、北アフリカや中東では、約80万人のユダヤ人が故郷から逃げたり、追放されたりした。現在、こうした中東系ユダヤ人の子孫はイスラエルの人口の約半分を占めている。イスラエルが、彼らを恒久的な難民キャンプに閉じ込めたり、地政学的な交渉材料として利用したりしたことは一度もなかった。
インド・パキスタンの分離独立を例にしてもよい。1947年に植民地支配を終えることにした英国は、インドでイスラム教徒が過半数を占める地域を分割し、パキスタンを誕生させた。2008年のハーバード大学の研究論文で示された推計によると、その後ヒンズー教徒およびシーク教徒とイスラム教徒が戦ったことで起きた流血の惨事によって、およそ200万人が死亡し、1800万人が住まいを追われた。
インドとパキスタンはいずれも、新たにやって来た人々を融合させるために懸命に努力した。インドの首相経験者2人(インドラ・クマール・グジュラル氏とマンモハン・シン氏)と、パキスタンの軍事政権の指導者2人(ジアウル・ハク氏とペルベズ・ムシャラフ氏)は分離独立を受けて難民になった人たちだ。国連がインドとパキスタンの難民の子孫の面倒を見る特別機関を設置していたら、今頃は何千万人もの人々がこの機関の世話になっていただろう。
パキスタンがヒンズー教徒とシーク教徒の難民の子孫に「帰還する権利」を与えて、宗教的な人口動態を変えることなど、誰が予想するだろうか。イスラエルへの対応が違わなければならないのはなぜか。
アラブ諸国がパレスチナ人の窮状の責任を負うべきだろう。中東フォーラムのパイプス氏は「アラブ諸国にいるパレスチナ人にとって皮肉なことは、彼らの大義が極めて神聖であるにもかかわらず、彼ら自身がひどい扱いを受けているということだ」と語る。ヨルダンは多くのアラブ諸国と異なり、国内に住むパレスチナ難民の大半に市民権を与えているが、そのうち約16万人(ガザからの移住を余儀なくされた人が中心)は無国籍のままだ。一方、レバノンには無国籍のパレスチナ人が約25万人住んでおり、この半数近くは難民キャンプで暮らしている。
中東地域全体でパレスチナ人は、就業機会、行政サービス、不動産所有権などの面で差別を受けてきた。米国勢調査局の推計によれば、米国では17万2000人のパレスチナ人が暮らしている。多くのアラブ諸国に住むパレスチナ人の人口を上回る規模だ。
元駐イスラエル米大使のデービッド・フリードマン氏は電話取材に対し、「過去100年間にわたって住民の大規模な移動が繰り返されてきた」とし、「それは時には不当な扱いだったが、人道的見地から正当化される扱いだった例もある。しかし、いつのどの場合でも、移動が終われば、それで全て終わりだった。それが攻撃の道具にされている場所はここ(ガザ地区)だけだ」と述べた。
トランプ氏の計画が成功するかどうかは誰にも分からない。ガザ地区の住民を無理やり追い出せば、人道危機が起きるだろう。だが、どこか別の場所でより良い生活を送れる機会が提供されれば大半の人々がガザを離れる、と考えることは理不尽ではない。どちらにしても、世界中の多くの国々が難民を受け入れてきたのと同様に、アラブ諸国もパレスチナのアラブ人を受け入れていれば、こんな議論をする必要さえなかっただろう。
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サダナンド・ドーメ (Sadanand Dhume)
ワシントンD。C。を拠点とするアメリカのライター兼ジャーナリスト
アメリカンエンタープライズ公共政策研究所の外交・防衛政策の上級研究員
米国がパレスチナ自治区ガザ地区を所有し、そこに住む200万人のパレスチナ人を移住させるというドナルド・トランプ米大統領の構想は、激しい怒りや冷笑を引き起こしている。しかし、たとえ実現することがないとしても、この構想には良い点がある。それはイスラエルに対する世界のダブルスタンダード(二重基準)を浮き彫りにしたことだ。
住民の移住は過去100年間に何度も起きている。1920年代には、ギリシャとトルコが強制的な住民交換で合意した。トルコ国内のギリシャ正教徒はギリシャに移住し、ギリシャ国内のイスラム教徒はトルコに移った。第2次世界大戦後には、何百万人ものインド人とパキスタン人が新たな家を見つけることを余儀なくされ、チェコスロバキアとソ連を追われたドイツ系の人々も同様だった。1970年代には、ウガンダがインド人を追放した。パレスチナのケースにおいてのみ、難民問題が延々と続いてきた。
トランプ氏は、ガザ地区の住民を他国に移住させ、同地区を「中東のリビエラ」にする構想を示している。そうした住民はどこへ行くのか。トランプ氏は先週、記者団に対し、「それはヨルダンかもしれないし、エジプトかもしれない。他の国々かもしれない」と語った。同氏は自身のソーシャルメディア「トゥルース・ソーシャル」への投稿で、パレスチナ人は「はるかに安全でより美しいコミュニティーに、新しく近代的な家屋を得て」定住することになる、などと説明した。
多くの人がこれに戸惑いを覚える理由は容易に理解できる。私たちは、厄介な地政学的問題を不動産開発というレンズを通して見ることに慣れていない。エジプト人、ヨルダン人、サウジアラビア人はいずれも、パレスチナ人が流入する可能性をあまり歓迎していないようだ。英仏など米国の長年の同盟国も、トランプ氏の構想を批判している。
とはいえ、この議論はある二重基準を浮き彫りにしている。1948年のイスラエル建国と第1次中東戦争の後、約60万~70万人のパレスチナ人が故郷を追われた。だが、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は現在、600万人近いパレスチナ人「難民」を支援している。それは国連が、故郷を追われたパレスチナ人だけでなく、その子孫も難民と見なしているからだ。米シンクタンク、中東フォーラムのダニエル・パイプス所長は電話取材に対し、「現在、パレスチナ難民のひ孫としてシリアのダマスカスで生まれた者は、パレスチナ難民と見なされる」と語った。
これを他の国々と比較してみよう。イスラエル建国後の混乱の中で、北アフリカや中東では、約80万人のユダヤ人が故郷から逃げたり、追放されたりした。現在、こうした中東系ユダヤ人の子孫はイスラエルの人口の約半分を占めている。イスラエルが、彼らを恒久的な難民キャンプに閉じ込めたり、地政学的な交渉材料として利用したりしたことは一度もなかった。
インド・パキスタンの分離独立を例にしてもよい。1947年に植民地支配を終えることにした英国は、インドでイスラム教徒が過半数を占める地域を分割し、パキスタンを誕生させた。2008年のハーバード大学の研究論文で示された推計によると、その後ヒンズー教徒およびシーク教徒とイスラム教徒が戦ったことで起きた流血の惨事によって、およそ200万人が死亡し、1800万人が住まいを追われた。
インドとパキスタンはいずれも、新たにやって来た人々を融合させるために懸命に努力した。インドの首相経験者2人(インドラ・クマール・グジュラル氏とマンモハン・シン氏)と、パキスタンの軍事政権の指導者2人(ジアウル・ハク氏とペルベズ・ムシャラフ氏)は分離独立を受けて難民になった人たちだ。国連がインドとパキスタンの難民の子孫の面倒を見る特別機関を設置していたら、今頃は何千万人もの人々がこの機関の世話になっていただろう。
パキスタンがヒンズー教徒とシーク教徒の難民の子孫に「帰還する権利」を与えて、宗教的な人口動態を変えることなど、誰が予想するだろうか。イスラエルへの対応が違わなければならないのはなぜか。
アラブ諸国がパレスチナ人の窮状の責任を負うべきだろう。中東フォーラムのパイプス氏は「アラブ諸国にいるパレスチナ人にとって皮肉なことは、彼らの大義が極めて神聖であるにもかかわらず、彼ら自身がひどい扱いを受けているということだ」と語る。ヨルダンは多くのアラブ諸国と異なり、国内に住むパレスチナ難民の大半に市民権を与えているが、そのうち約16万人(ガザからの移住を余儀なくされた人が中心)は無国籍のままだ。一方、レバノンには無国籍のパレスチナ人が約25万人住んでおり、この半数近くは難民キャンプで暮らしている。
中東地域全体でパレスチナ人は、就業機会、行政サービス、不動産所有権などの面で差別を受けてきた。米国勢調査局の推計によれば、米国では17万2000人のパレスチナ人が暮らしている。多くのアラブ諸国に住むパレスチナ人の人口を上回る規模だ。
元駐イスラエル米大使のデービッド・フリードマン氏は電話取材に対し、「過去100年間にわたって住民の大規模な移動が繰り返されてきた」とし、「それは時には不当な扱いだったが、人道的見地から正当化される扱いだった例もある。しかし、いつのどの場合でも、移動が終われば、それで全て終わりだった。それが攻撃の道具にされている場所はここ(ガザ地区)だけだ」と述べた。
トランプ氏の計画が成功するかどうかは誰にも分からない。ガザ地区の住民を無理やり追い出せば、人道危機が起きるだろう。だが、どこか別の場所でより良い生活を送れる機会が提供されれば大半の人々がガザを離れる、と考えることは理不尽ではない。どちらにしても、世界中の多くの国々が難民を受け入れてきたのと同様に、アラブ諸国もパレスチナのアラブ人を受け入れていれば、こんな議論をする必要さえなかっただろう。
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サダナンド・ドーメ (Sadanand Dhume)
ワシントンD。C。を拠点とするアメリカのライター兼ジャーナリスト
アメリカンエンタープライズ公共政策研究所の外交・防衛政策の上級研究員
住民の移住は過去100年間に何度も起きている。1920年代には、ギリシャとトルコが強制的な住民交換で合意。第2次世界大戦後には、何百万人ものインド人とパキスタン人が新たな家を見つけることを余儀なくされ、チェコスロバキアとソ連を追われたドイツ系の人々も同様だった。1970年代には、ウガンダがインド人を追放した。パレスチナのケースにおいてのみ、難民問題が延々と続いてきたと、サダナンド・ドーメ氏。
トランプ氏は、ガザ地区の住民を他国に移住させ、同地区を「中東のリビエラ」にする構想を示している。
そうした住民はどこへ行くのか。トランプ氏は先週、記者団に対し、「それはヨルダンかもしれないし、エジプトかもしれない。他の国々かもしれない」と語った。同氏は自身のソーシャルメディア「トゥルース・ソーシャル」への投稿で、パレスチナ人は「はるかに安全でより美しいコミュニティーに、新しく近代的な家屋を得て」定住することになる、などと説明したと、ドーメ氏。
多くの人がこれに戸惑いを覚える理由は容易に理解できると、ドーメ氏。
この議論はある二重基準を浮き彫りにしている。1948年のイスラエル建国と第1次中東戦争の後、約60万~70万人のパレスチナ人が故郷を追われた。だが、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は現在、600万人近いパレスチナ人「難民」を支援している。
これを他の国々と比較してみよう。イスラエル建国後の混乱の中で、北アフリカや中東では、約80万人のユダヤ人が故郷から逃げたり、追放されたりした。現在、こうした中東系ユダヤ人の子孫はイスラエルの人口の約半分を占めている。イスラエルが、彼らを恒久的な難民キャンプに閉じ込めたり、地政学的な交渉材料として利用したりしたことは一度もなかったと、ドーメ氏。
インド・パキスタンの分離独立では、1947年に植民地支配を終えることにした英国は、インドでイスラム教徒が過半数を占める地域を分割し、パキスタンを誕生させた。
インドとパキスタンはいずれも、新たにやって来た人々を融合させるために懸命に努力したと、ドーメ氏。
アラブ諸国がパレスチナ人の窮状の責任を負うべきだろう。中東フォーラムのパイプス氏は「アラブ諸国にいるパレスチナ人にとって皮肉なことは、彼らの大義が極めて神聖であるにもかかわらず、彼ら自身がひどい扱いを受けているということだ」と語る。
ヨルダンは多くのアラブ諸国と異なり、国内に住むパレスチナ難民の大半に市民権を与えているが、そのうち約16万人(ガザからの移住を余儀なくされた人が中心)は無国籍のままだ。一方、レバノンには無国籍のパレスチナ人が約25万人住んでおり、この半数近くは難民キャンプで暮らしている。
中東地域全体でパレスチナ人は、就業機会、行政サービス、不動産所有権などの面で差別を受けてきた。
しかし、米国では17万2000人のパレスチナ人が暮らしている。多くのアラブ諸国に住むパレスチナ人の人口を上回る規模だと、ドーメ氏。
元駐イスラエル米大使のデービッド・フリードマン氏は、「過去100年間にわたって住民の大規模な移動が繰り返されてきた」とし、「それは時には不当な扱いだったが、人道的見地から正当化される扱いだった例もある。しかし、いつのどの場合でも、移動が終われば、それで全て終わりだった。それが攻撃の道具にされている場所はここ(ガザ地区)だけだ」と述べたと。
トランプ氏の計画が成功するかどうかは誰にも分からないと、ドーメ氏。
だが、どこか別の場所でより良い生活を送れる機会が提供されれば大半の人々がガザを離れる、と考えることは理不尽ではない。どちらにしても、世界中の多くの国々が難民を受け入れてきたのと同様に、アラブ諸国もパレスチナのアラブ人を受け入れていれば、こんな議論をする必要さえなかっただろうとも。
# 冒頭の画像は、ガザの通りを移動するパレスチナ人避難民
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この花の名前は、ウンナンオウバイ
↓よろしかったら、お願いします。
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