安倍外交の「旗印」は、自由、民主主義、人権、法の支配に絡む普遍的価値意識の擁護。しかし、今回のプーチン大統領の来日では、「その「旗印」が対露配慮の名目で脇に追いやられたのではないか」「トランプ氏の政治流儀を念頭に置けばこそ、日本にとっては自由、民主主義、人権、法の支配といった価値を意識的に打ち出す意義がある」と指摘されているのは、東洋学園大学・櫻田淳教授
昨年末のプーチン大統領の、長門、東京への来日による両国の首脳会談。評価はいろいろに分かれていますが、北方領土の返還について、期待しすぎて落胆したといったものが多い様に思われます。
期待を煽ったのは、ソチでの首脳会談以降に盛り上がった、安倍首相の「新しいアプローチ」の言葉の解釈でした。安倍首相の真意が不明としながら、メディアは北方領土問題の進展があると囃したてました。それは、メディアが安倍首相の狙いがその点だと、取材したから書いた、つまり安倍首相もその手応えを得ていたことだったのでしょう。。
ところが、会談が迫るにつれ、プーチン大統領サイドからは、領土問題には厳しい発言が連発され、「日ソ共同宣言」での二島返還も、その後の主権については触れられておらず、そのままロシア側が主権を有すると、「引き分け」発言から後退する始末。
完全にロシアペースで振り回されてしまいました。一方、経済協力については、両首脳が見守る中で、入れ替わり立ち代わり延々と文書の交換シーンが続けられるといったパフォーマンス。ロシア国内や、世界に向けては、日露の経済協力が進展し、領土問題は黙殺されたことが強調されました。
櫻田教授が、対露配慮の名目で、安倍内閣の「旗印」が脇に追いやられたと指摘されている通りです。
「不穏な空気」を感じた、「ぶれ」が生じているのではないかとも指摘されています。今回の首脳会談で解ったことは、日露関係の根本を規定するのが、「西方仕様」の国家建設を完璧に実現した日本と、それがいまだ成就できないロシアとの「落差」だとも。
ではどうすれば良いのか。
北方領土案件落着を阻むものが、ロシアの「土着性」を反映したナショナリズムであり、その「土着的ナショナリズム」にプーチン大統領が自らの政治権勢を負っている限りは ロシアが「西方世界」を凌駕(りょうが)するに程遠い状態が永く続くと指摘されています。そして、ロシアは「政治上、半身の構え」で付き合うべき相手であって、それ以上の何かを過度に期待すべきではないとも。
「北方領土案件が早期に落着しなくても、大方の日本の人々にとって深刻に困ることは何もあるまい。」とも指摘されていますが、高齢化した北方領土の方々の、分割でもいいから返還を進展させてほしい。海のEEZがそのぶん戻ってくる。と、いった声を掲げていたのは安倍首相でした。
現状で困ることが全くないのは、ロシア側のほうが大きい。更に、太平洋からアジアにも通じる海路としも、軍事拠点としても、ロシアにとっては重要性をましているのが北方四島。
日本側が、自分の都合で勝手に経済支援と交換で領土を取り戻せると単純に考えている、安全保障(基地問題)を軽視していることこそが、両国がかみ合わない理由だとの認識が必要だと解ったと思いますがいかがでしょう。
日本にとっては、安倍外交の自由、民主主義、人権、法の支配といった「旗印」をしっかり掲げ、長期戦で挑むべきで、そのためには、ロシアがもっとも望んでいる経済支援・協力は、日本側が持つ切り札であることに違いはなく、控えるべきでしょう。
この花の名前は、ペラペラヨメナとモンシロチョウ
政府広報(北方領土問題) - YouTube
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年頭にあたり 対外政策の旗印を掲げ直す時だ 東洋学園大学教授・櫻田淳 (1/4 産経 【正論】)
≪安倍外交に感じた不穏な空気≫
安倍晋三首相は第2次内閣発足以降、自由、民主主義、人権、法の支配に絡む普遍的価値意識の擁護を対外政策の「旗印」にしてきた。
昨年末、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領訪日に際して筆者が感じた「不穏な空気」とは、北方領土案件が進展するかどうかではなく、その「旗印」が対露配慮の名目で脇に追いやられたのではないかということに因(よ)るものであった。
要するに、安倍内閣の対外政策方針に紛(まご)うことなき「ぶれ」が生じているのではないかという点が、気遣われたのである。
そもそもフランスのロシア専門家であるエレーヌ・カレール=ダンコースが数々の著作で披露した議論に従えば、ピョートル大帝以来、ロシアの政治指導層は、自国を「西方世界」に伍(ご)する存在にすることを切望し、そのためにも自国を「西方仕様」に造り替えることを模索してきた。そして、その近代化、西洋化への模索は絶えずロシア社会に根差した「土着性」や「後進性」に阻まれてきたのである。
プーチン大統領訪日に際して露(あら)わになったのは、日露関係の根本を規定するのが、「西方仕様」の国家建設を完璧に実現した日本と、それがいまだ成就できないロシアとの「落差」だという事実である。
≪早急に「ぶれ」を修正すべきだ≫
日本の人々が北方領土案件を通して相対するのは、「法的正当性はともかく火事場泥棒の類であっても一旦、獲ったものは自分のものだ」という論理に反映されたロシアの「土着性」なのであろう。そうであるとすれば、北方領土案件が落着する瞬間とは、ロシアが自らの「土着性」を克服し、前に触れた西洋化、近代化の模索を完成させた瞬間だといえるかもしれない。それは今後、せいぜい数世代の努力によって成るものではないであろう。
故に別段、北方領土案件が早期に落着しなくても、大方の日本の人々にとって深刻に困ることは何もあるまい。ロシアが自らの「土着性」に足を取られ、「西方世界」を凌駕(りょうが)するに程遠い状態が永く続くだけのことである。
北方領土案件落着を阻むものが、ロシアの「土着性」を反映したナショナリズムであり、その「土着的ナショナリズム」にプーチン大統領が自らの政治権勢を負っている限りは、そうした結論に行き着くであろう。
無論、安倍内閣の対露接近を対中牽制(けんせい)の文脈から評価する向きもあるかもしれないけれども、その対中牽制はあくまでも「付随効果」の類であって、「主たる目的」ではないのであろう。
近代以降、日本は国際政治場裡で「剥(む)き出しのパワー・ゲーム」を手掛けた経験に乏しいし、それに走ったとしても成功した試しはない。日本が相応の「パワー・ゲーム」に走るときは英国や米国の「後ろ盾」を得るとか、然(しか)るべき理念の衣を纏(まと)うといった事前の仕掛けを用意していた。結局のところ、ロシアは「政治上、半身の構え」で付き合うべき相手であって、それ以上の何かを過度に期待すべきではないのであろう。
もし筆者が以上に述べたように、此度(このたび)の対露交渉の過程で日本の対外政策全般に関わる「ぶれ」が生じたのであれば、その「ぶれ」は早々に修正なければならない。プーチン大統領訪日という外交行事が終わった以上、過去4年の対外政策の「旗印」は掲げ直す必要がある。
そうでなければ、安倍内閣の対外政策における「変質」が進むであろう。それが内閣それ自体の失速を招くことは、果たして考えられないのか。
≪日本は意識的に価値を打ち出せ≫
ところで、こうした「旗印」の掲げ直しに際しても留意すべきは、米国の動向である。ドナルド・トランプ次期大統領は、中台関係に係る「『一つの中国』原則に縛られない」発言を通じて、既に顕著な波紋を広げている。
トランプ氏の政治流儀が「プロレス」の類に近いという指摘を踏まえれば、彼の諸々の発言に関して、「真に受けて反応してはいけない『プロレス言語』」であるか、あるいは「真面目に受け止めるべき『政治言語』」であるかを見極める感性が求められよう。
トランプ氏の政治流儀が没価値的な「剥き出しのパワー・ゲーム」を志向するように印象付けられる故にこそ、それは大事なものになる。
寧(むし)ろそうしたトランプ氏の政治流儀を念頭に置けばこそ、日本にとっては自由、民主主義、人権、法の支配といった価値を意識的に打ち出す意義がある。
「戦の場、万事せわしき時なりとも、兵法、道理を極め、うごきなき心、能々吟味す」。この『五輪書』の一節が伝える真理にこそ、われわれは思いを致すべきであろう。(さくらだ じゅん)
≪安倍外交に感じた不穏な空気≫
安倍晋三首相は第2次内閣発足以降、自由、民主主義、人権、法の支配に絡む普遍的価値意識の擁護を対外政策の「旗印」にしてきた。
昨年末、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領訪日に際して筆者が感じた「不穏な空気」とは、北方領土案件が進展するかどうかではなく、その「旗印」が対露配慮の名目で脇に追いやられたのではないかということに因(よ)るものであった。
要するに、安倍内閣の対外政策方針に紛(まご)うことなき「ぶれ」が生じているのではないかという点が、気遣われたのである。
そもそもフランスのロシア専門家であるエレーヌ・カレール=ダンコースが数々の著作で披露した議論に従えば、ピョートル大帝以来、ロシアの政治指導層は、自国を「西方世界」に伍(ご)する存在にすることを切望し、そのためにも自国を「西方仕様」に造り替えることを模索してきた。そして、その近代化、西洋化への模索は絶えずロシア社会に根差した「土着性」や「後進性」に阻まれてきたのである。
プーチン大統領訪日に際して露(あら)わになったのは、日露関係の根本を規定するのが、「西方仕様」の国家建設を完璧に実現した日本と、それがいまだ成就できないロシアとの「落差」だという事実である。
≪早急に「ぶれ」を修正すべきだ≫
日本の人々が北方領土案件を通して相対するのは、「法的正当性はともかく火事場泥棒の類であっても一旦、獲ったものは自分のものだ」という論理に反映されたロシアの「土着性」なのであろう。そうであるとすれば、北方領土案件が落着する瞬間とは、ロシアが自らの「土着性」を克服し、前に触れた西洋化、近代化の模索を完成させた瞬間だといえるかもしれない。それは今後、せいぜい数世代の努力によって成るものではないであろう。
故に別段、北方領土案件が早期に落着しなくても、大方の日本の人々にとって深刻に困ることは何もあるまい。ロシアが自らの「土着性」に足を取られ、「西方世界」を凌駕(りょうが)するに程遠い状態が永く続くだけのことである。
北方領土案件落着を阻むものが、ロシアの「土着性」を反映したナショナリズムであり、その「土着的ナショナリズム」にプーチン大統領が自らの政治権勢を負っている限りは、そうした結論に行き着くであろう。
無論、安倍内閣の対露接近を対中牽制(けんせい)の文脈から評価する向きもあるかもしれないけれども、その対中牽制はあくまでも「付随効果」の類であって、「主たる目的」ではないのであろう。
近代以降、日本は国際政治場裡で「剥(む)き出しのパワー・ゲーム」を手掛けた経験に乏しいし、それに走ったとしても成功した試しはない。日本が相応の「パワー・ゲーム」に走るときは英国や米国の「後ろ盾」を得るとか、然(しか)るべき理念の衣を纏(まと)うといった事前の仕掛けを用意していた。結局のところ、ロシアは「政治上、半身の構え」で付き合うべき相手であって、それ以上の何かを過度に期待すべきではないのであろう。
もし筆者が以上に述べたように、此度(このたび)の対露交渉の過程で日本の対外政策全般に関わる「ぶれ」が生じたのであれば、その「ぶれ」は早々に修正なければならない。プーチン大統領訪日という外交行事が終わった以上、過去4年の対外政策の「旗印」は掲げ直す必要がある。
そうでなければ、安倍内閣の対外政策における「変質」が進むであろう。それが内閣それ自体の失速を招くことは、果たして考えられないのか。
≪日本は意識的に価値を打ち出せ≫
ところで、こうした「旗印」の掲げ直しに際しても留意すべきは、米国の動向である。ドナルド・トランプ次期大統領は、中台関係に係る「『一つの中国』原則に縛られない」発言を通じて、既に顕著な波紋を広げている。
トランプ氏の政治流儀が「プロレス」の類に近いという指摘を踏まえれば、彼の諸々の発言に関して、「真に受けて反応してはいけない『プロレス言語』」であるか、あるいは「真面目に受け止めるべき『政治言語』」であるかを見極める感性が求められよう。
トランプ氏の政治流儀が没価値的な「剥き出しのパワー・ゲーム」を志向するように印象付けられる故にこそ、それは大事なものになる。
寧(むし)ろそうしたトランプ氏の政治流儀を念頭に置けばこそ、日本にとっては自由、民主主義、人権、法の支配といった価値を意識的に打ち出す意義がある。
「戦の場、万事せわしき時なりとも、兵法、道理を極め、うごきなき心、能々吟味す」。この『五輪書』の一節が伝える真理にこそ、われわれは思いを致すべきであろう。(さくらだ じゅん)
昨年末のプーチン大統領の、長門、東京への来日による両国の首脳会談。評価はいろいろに分かれていますが、北方領土の返還について、期待しすぎて落胆したといったものが多い様に思われます。
期待を煽ったのは、ソチでの首脳会談以降に盛り上がった、安倍首相の「新しいアプローチ」の言葉の解釈でした。安倍首相の真意が不明としながら、メディアは北方領土問題の進展があると囃したてました。それは、メディアが安倍首相の狙いがその点だと、取材したから書いた、つまり安倍首相もその手応えを得ていたことだったのでしょう。。
ところが、会談が迫るにつれ、プーチン大統領サイドからは、領土問題には厳しい発言が連発され、「日ソ共同宣言」での二島返還も、その後の主権については触れられておらず、そのままロシア側が主権を有すると、「引き分け」発言から後退する始末。
完全にロシアペースで振り回されてしまいました。一方、経済協力については、両首脳が見守る中で、入れ替わり立ち代わり延々と文書の交換シーンが続けられるといったパフォーマンス。ロシア国内や、世界に向けては、日露の経済協力が進展し、領土問題は黙殺されたことが強調されました。
櫻田教授が、対露配慮の名目で、安倍内閣の「旗印」が脇に追いやられたと指摘されている通りです。
「不穏な空気」を感じた、「ぶれ」が生じているのではないかとも指摘されています。今回の首脳会談で解ったことは、日露関係の根本を規定するのが、「西方仕様」の国家建設を完璧に実現した日本と、それがいまだ成就できないロシアとの「落差」だとも。
ではどうすれば良いのか。
北方領土案件落着を阻むものが、ロシアの「土着性」を反映したナショナリズムであり、その「土着的ナショナリズム」にプーチン大統領が自らの政治権勢を負っている限りは ロシアが「西方世界」を凌駕(りょうが)するに程遠い状態が永く続くと指摘されています。そして、ロシアは「政治上、半身の構え」で付き合うべき相手であって、それ以上の何かを過度に期待すべきではないとも。
「北方領土案件が早期に落着しなくても、大方の日本の人々にとって深刻に困ることは何もあるまい。」とも指摘されていますが、高齢化した北方領土の方々の、分割でもいいから返還を進展させてほしい。海のEEZがそのぶん戻ってくる。と、いった声を掲げていたのは安倍首相でした。
現状で困ることが全くないのは、ロシア側のほうが大きい。更に、太平洋からアジアにも通じる海路としも、軍事拠点としても、ロシアにとっては重要性をましているのが北方四島。
日本側が、自分の都合で勝手に経済支援と交換で領土を取り戻せると単純に考えている、安全保障(基地問題)を軽視していることこそが、両国がかみ合わない理由だとの認識が必要だと解ったと思いますがいかがでしょう。
日本にとっては、安倍外交の自由、民主主義、人権、法の支配といった「旗印」をしっかり掲げ、長期戦で挑むべきで、そのためには、ロシアがもっとも望んでいる経済支援・協力は、日本側が持つ切り札であることに違いはなく、控えるべきでしょう。
この花の名前は、ペラペラヨメナとモンシロチョウ
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