遊爺雑記帳

ブログを始めてはや○年。三日坊主にしては長続きしています。平和で美しい日本が滅びることがないことを願ってやみません。

2月7日は、北方領土の日

2016-02-08 23:58:58 | ロシア全般
 2月7日は、「北方領土の日」でした。安倍首相は、北方領土返還要求全国大会に出席し、「戦後70年が経過してもなお、この問題が解決されていない現状は、異常であると言わざるを得ません。」「今後も首脳レベルの対話を通じ、この問題の最終的な解決に向けて、粘り強く、交渉に臨んでいく決意を新たにいたしました。北方領土問題は、国民全体の問題であり、交渉を進展させるためには、国民一人ひとりが、この問題への関心と理解を深め、政府と国民が一丸となって取り組むことが重要です。」と述べておられます。
 しかし、北朝鮮のミサイル打ち上げがあったせいかどうか、「北方領土の日」についての、テレビ、新聞の報道は稀有でした。1日中、この数日間連続で、膨大な時間を費やして報道するテレビや紙面を割く新聞。まんまと北の宣伝行為の片棒を担がされていて、笑止千万と言わざるを得ません。
 
 遊爺が知る限りですが、社説で取り上げたのは、産経と毎日(一寸吃驚)で、テレビ報道(夜はあまり見ていませんが)では、NHKくらいでした。
 安倍首相が「政府と国民が一丸となって取り組むことが重要」と呼びかけていても、メディアは、無視して、国民に「北方領土」の問題喚起も、報道もまれなのです。
 領土が不法に犯されているのに、鈍感な日本のメディア。偉そうに種々の問題を報じても、国家の主権にかかわる基本問題に触れないのでは、まともな報道機関の精神を持っているとは認められませんね。
 その中で、報道されていたのは以下の3つ。(上記でお断りした様に、テレビのニュースは全てを観ることは出来ていませんので、漏れがありえます。)

 
北方領土の日 首相 “粘り強く交渉” NHKニュース
 社説:北方領土の日 交渉阻むロシアの強弁 - 毎日新聞
 
北方領土の日 返還交渉の前提取り戻せ (2/8 産経 【主張】)

 
ロシアが交渉の前提を覆し、極めて厳しい状況の中で「北方領土の日」を迎えた。
 安倍晋三首相は北方領土返還要求全国大会で、「最終的な解決に向けて、粘り強く交渉に臨んでいく」と語った。
 日本の首相として当然の決意表明ではあるが、問われているのは、聞く耳を持たない相手の態度をどう変えさせるかである。
従来通りの対応で、今後の領土交渉に展望を抱くことはできない

 
ロシアのラブロフ外相は、日本との平和条約締結交渉を北方領土返還交渉と切り離す考えを表明している。これは、領土問題の存在すら認めない
に等しい。
 
北方領土は第二次大戦の結果、ソ連領になったので、日本はそれを受け入れるべきだ-と繰り返し主張しているのは、まったく受け入れられない

 北方領土は大戦終結前後の混乱に乗じ、ソ連が当時有効だった日ソ中立条約を破り、武力で不法占拠した。過去に日露首脳が署名した合意にも、北方四島の帰属問題を解決し、平和条約を早期に締結すると明記された。
 外交部門のトップが、歴史の歪曲(わいきょく)をはばからない発言を重ねている。日本政府は今月の外務次官級協議を予定通り開くというが、そうした発言について撤回を得られる算段はあるのか。
 しかも、この政府間協議には、安倍首相のロシア訪問の準備という目的が込められている。
 首相は5月の伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)の議長として、事前に欧州を歴訪する予定で、その際にロシアも訪問しようとしているようだ。
 国際社会でロシアが批判されているのは、ウクライナのクリミア半島を武力で併合するなど「力による現状変更」を図ったためであることを忘れてはなるまい。
 
サミット議長国の首相が、自らロシアに足を運ぶことについて、欧米に対し納得のいく説明ができるのかも疑問だ。力ずくで領土を奪取した点ではクリミア併合と同根である北方領土問題
について、支持を得るのも難しくなろう。
 1855年に日魯(にちろ)通好条約が調印された日に合わせて北方領土の日が定められた。領土返還を求める国民の意思を込めたこの日の意義を再認識し、固有の領土である北方四島の返還に向け、妥協は許されないことを確認したい。



 ロシアは、北方領土については、思わせぶりなプーチンと、国内世論に対する姿勢と外交交渉での押し出しにも、強気の姿勢を貫く、ラブロフ外相、メドベージェフ首相等とで、役割分担しています。

 復習として、過去の日露(or ソ連)間の交渉経緯を載せます。
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■日ソ共同宣言
  1956年10月19日 鳩山首相とソ連のブルガーニン首相がモスクワで署名
 北方領土問題は、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を引き渡すという前提で、改めて平和条約の交渉を行うという合意

■日ソ共同声明(1991年)
 1991年4月海部総理とゴルバチョフ大統領により署名された。
 北方四島が、平和条約において解決されるべき領土問題の対象であることが初めて確認された。
 日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す。

■東京宣言(1993年)
 1993年10月、細川総理とエリツィン大統領により署名された。
 領土問題を、北方四島の島名を列挙して、その帰属に関する問題と位置づけるとともに、領土問題解決のための交渉指針が示された。
 また、日ソ間のすべての国際約束が、日露間で引き続き適用されることを確認した。

■クラスノヤルスク合意(1997年)
 1997年11月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで一致。

■川奈合意(1998年)
 1998年4月、橋本総理とエリツィン大統領の間で、平和条約に関し、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決することを内容とし、21世紀に向けた日露の友好協力に関する原則等を盛り込むことで一致。

■イルクーツク声明(2001年)
 2001年3月、森総理とプーチン大統領により署名された。
 日ソ共同宣言が交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。その上で、東京宣言に基づいて四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結すべきことを再確認した。

■日露行動計画(2003年)
 2003年1月、小泉総理とプーチン大統領により採択された。日ソ共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明及びその他の諸合意が、四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化することを目的とした交渉における基礎と認識し、交渉を加速することを確認した。
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 これらの交渉の積み重ねを覆して、北方領土交渉を認めないのが、ラブロフ外相と、メドベージェフ首相。
 
ロシアのメドベージェフ首相が択捉島入り 実効支配強化の狙い(1/2ページ) - 産経ニュース

 思わせぶりなプーチン大統領も、「日ソ共同宣言」の、歯舞、色丹の2島返還論どまりです。

 過去の交渉で、4島返還合意がなされる寸前にまで至ったのは、1993年の「東京宣言」、1998年の「川名合意」のエリツィン大統領時代。
 この時代は、ソ連が経済状況で行き詰まっていた時代で、日本の支援が必要とされていた時代であったことは、諸兄がご承知の通りです。
 そして今、ロシアは当時と同等かそれ以上の経済危機に瀕していますね。

 数年前から生じているのが、主力ガス田の枯渇に伴う、極東や北極圏での新規ガス田開発。これは、厳しい環境の中での開発への技術と資金の支援が求められています。
 同時に、欧州各国が、エネルギー安全保障の観点から、脱ロシア依存を進めていて、対応策に合致する、シェールガスの登場があり、ロシアは、中国、韓国、日本、更には東アジアへの販路開拓に迫られていました。
 そこへ追い打ちをかけているのが、ウクライナへの侵略に対する経済制裁と、原油価格の下落。
 わけても、原油価格の大幅な下落は、シルアノブ財務相をして、財政危機に備え原油が高い時期に輸出に伴う収入を積み立てた準備基金が「このままでは1年で底をつく」と述べさせていますね。
 
露の極東開発減速に追い込まれる 原油安で財政悪化 - 遊爺雑記帳

 アラブのオイルマネーも、国家経済が苦しくなり、保有株を売却して補う状況で、世界同時株安の主因の一つとされていますが、イラン制裁解除に伴う原油輸出増があり、原油価格安は収まる気配がありません。

 苦しいロシア。ソ連崩壊時に匹敵する経済危機に面しています。
 苦しいのはロシア。北方領土返還交渉では、最大の好機が到来しているのです。
 焦らず、じっくり交渉して、4島返還の成果を獲得していただきたい。
 「第二次大戦の結果、ソ連領になった」と言うロシア。第二次大戦の結果は、サンフランシスコ条約で取り決められました。ロシアは、サンフランシスコ条約に参加していません。日露間で交わされた領土に関する最後の条約は、1905年の「ポーツマス条約」です。樺太の南半分と千島列島の全てが日本領となっていました。国際条約の流れに沿えば、この「ポーツマス条約」の時点から再交渉するということになります。ラブロフ外相や、メドベージェフ首相のこれまでの両国首脳間での交渉経緯を無視する姿勢には、この「ポーツマス条約」に立ち戻っての交渉を主張・対抗すれば良いのです!









 # 冒頭の画像は、平成28年北方領土返還要求全国大会






政府広報(北方領土問題) - YouTube


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ソ連が満洲に侵攻した夏 (文春文庫)
誰がメドベージェフを不法入国させたのか-国賊たちの北方領土外交





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