遊爺雑記帳

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太子党の人脈頼りの習近平 団派の切り崩しと「陝西閥」構築で基盤造り

2014-03-01 23:58:58 | 中国 全般
 政治局常務委員の7つの椅子取り合戦では、胡錦濤・共青団の優位を逆転して政権内の地位を守った習近平。太子党の人脈繋がりで、軍幹部や江沢民を含めた長老の支持をとりつなぐことで新政権の危ういスタートを切ったことは諸兄がご承知の通りです。
 以後、2期10年の任期が始まって1年と2ヶ月が経過しました。予想以上のナショナリズムと覇権拡大の強硬姿勢のエスカレートがつづいていますが、スタート時の不安定な勢力基盤が、いまだ安定せず、勢力抗争が続いていることが原因のひとつと考えられます。
 スタート時に椅子取りゲームで共青団派を蹴落とした椅子の数も、1期目で70歳定年で入れ替えになる数が多く、その椅子取り合戦が今も続いているのですね。
 次期の布石をして降りた胡錦濤の戦術は、習近平も重々承知ですから、どうするのかと観ていますが、やはり準備を怠りなく進めている様子です。
 

敵対の共青団切り崩し 有力者を名指しで「有能」 (2/28 読売朝刊 習近平研究 人脈[3])

 中国河北省西部の山間部に位置する、黄土に覆われた貧しい阜平(ふへい)県。今年の元旦早々、省トップの周本順・省共産党委員会書記
が貧困家庭を訪ね、「上の指導者が皆さんのことを気にかけていますよ」と同じせりふを繰り返した。
 「上の指導者」とは1年前に同県を訪れた国家主席の習近平(60)だ。
 「信念さえあれば、黄土は金となる」
 ある村には習が住民を激励した言葉が標語となって目立つように貼られていた。
 翌日には1980年代に同省正定県の書記を務めた習をたたえる長文記事「習近平同志、正定にあり」が省の党委機関紙「河北日報」に掲載された。河北省は年明けからいきなり、習礼賛一色の様相を呈している。
 周は河北省赴任前の9年余り、治安統括部門の党中央政法委員会で要職を務めた。2012年まで政法委員会トップと政治局常務委員を兼任し、
現在、汚職容疑で調査を受けている周永康の派閥の一員
だった。
 党の取り調べは今や周永康の派閥幹部の間に広がっている。党関係者によると、
周本順の異常なまでの習へのすり寄りには昨年来、習による有形無形の圧力があったのは確実
という。
 
敵対する派閥でも利用できると判断した有力者を取り込む習の手法は、中国政界を代表する派閥で、前国家主席の胡錦濤の権力基盤である共産主義青年団(共青団)の出身者に対しては、さらに老かい
だ。
 上海市トップ、市党委書記の
韓正(59)は上海自由貿易試験区設立を推進し、習政権の経済改革の旗振り役を担っている。ただ、韓は共青団出身ながら、「上海閥」を率いる元国家主席の江沢民とも関係を深めていた

 党関係者によると、07年に上海市党委書記に就任し、当時市長だった
韓の上司となった習
は、わざわざ会合で次のように語った。
「韓正のことを色々悪く言う者もいるが、人は悪くないし、能力もある」
 その言葉は、習の意図した通りに、瞬く間に韓本人に伝わり、2人は急速に関係を深めていったという。
習の人心掌握の巧みさを物語る出来事
といえる。
 習は昨年2月、西北部の甘粛省を視察した。そのトップは
共青団系の王三運・同省党委書記(61)だ。習とは福建省勤務時代に親交を結び
、習の離任後、信頼の厚かった秘書の処遇を支援したとされている。政権発足間もない注目度の高い視察先に甘粛省を選んだのは、「習が王に恩返しするためだった」(党幹部)との見方がある。
 党関係者によると、王のほか、
江西省党委書記の強衛(60)も共青団系ながら「習派に接近している」
とされ、17年からの習政権2期目では党政治局入りも有力視されている。
 
最高指導部の常務委員7人のうち、習と首相の李克強を除く5人は今期限りで引退の見通し。現政治局員からの昇格で、次期常務委員は国家副主席の李源潮ら共青団系が大勢を占める
可能性がある。地方でも、共青団系が指導部予備軍の党委書記、副書記の3割以上となっている。
 党幹部によると、
習は、共青団系の頂点に立つ胡錦濤と良好な関係を保っているが、数年後には、共青団勢力の膨張という挑戦に直面することになる。引き続き胡との関係を保ちつつも、その共青団を切り崩し、有力者をじわじわと取り込んでいく━━。習の2期目を見据えたしたたかな多数派工作が動き出している。 (敬称略)

 椅子取り争い直後からの展望の一部が以下。
 
胡錦濤氏 中央軍事委主席も引退し完全失脚 - 遊爺雑記帳
 胡錦濤氏 中央軍事委の座引退は自ら申し出 - 遊爺雑記帳
 北朝鮮に続き、中国でもNo.2を粛清か - 遊爺雑記帳

 団派の取り崩しの他に自前の派閥構築を進めているのですね。
 

「同郷閥」確立権力固め 「陝西は根、延安は魂だ」 (3/1 読売朝刊 習近平研究 人脈[4])

 
2月中旬、北京を訪問中の台湾・国民党の連戦名誉主席が招かれた釣魚台国賓館に、羊肉を煮込んだ濃厚な香りが漂った。ホスト役の中国共産党総書記、習近平(60)が連を喜ばせようと、連と共通のルーツである陝西省の郷土料理を特別に用意していたのだ。連の同行筋によると、2人は陝西省の方言であいさつを交わしたという。
 習の戸籍があるのは父の習仲勲・元副首相の出身地である同省富平県だ。文化大革命期には、知識青年を農村に送り込む下放政策により、同省延安の梁家河村で約7年闇を過ごした。だが、習が「北京人」であることは、なまりのない北京標準語からも明らかだ。それでも自らを「陝西人」と強調し、陝西方言さえも操ってみせる。
 習が暮らした梁家河村のヤオトン(横穴式住居)は、村政府の手で小さな展示室に改装され、2008年3月の全国人民代表大会(全人代=国会)の陝西省分科会で習の語った言葉が、額に入って掲げられていた。
 「
(梁家河村で過ごした)時期は私の人生の転機だった。陝西は根であり、延安は魂だ
<中略>

 それから約4年、今や習政権の要所要所に陝西省出身者や同省で長く勤務した「陝西人」が座る
。腐敗摘発運動を指揮する党中央規律検査委員会書記の王岐山(65)は習と同様に延安で下放生活を送った。党中央弁公庁主任に起用された栗戦書(63)も陝西省党委副書記を務めた経験をもつ。
 
習の「陝西人」としての派手な演出は「陝西閥のリーダーになる正統性を示すためだった」(党幹部)とみられている。党内では習が思い通りに動かせる「陝西閥」が確立した
との見方が大勢だ。
 元国家主席の
江沢民は自身が率いる「上海閥」から、前国家主席の胡錦濤は出身母体の共産主義青年団
から、それぞれ有力者を要職に就けることで政権を安定させた。だが習は、中核となる派閥を持たないままでのスタートとなった。
 12年の政権発足前、
は友人との私的な席で、こう不安を口にしたという。
 「
私には自分の(派閥の)人間がいない。何かをやろうとしても、なかなかうまくいかない

 自派閥を手にしたいという強い意向は、福州市党委書記などを務め、17年間を過ごした福建ゆかりの幹部の間にも向けられていた。
 昨年10月に浙江省杭州市の党委書記から党中央宣伝部副部長に転じたばかりの黄坤明は福建省で、習と長い間、交流があった。習の手で出世の階段を駆け上がった黄は地元関係者に、「習は相手の地位にかかわらず、メンツを大切にする」と語った。その黄は習に一層の忠誠を誓うようになった。あなたのメンツは立てる、あなたも私のメンツを立てよ━━。この関係者によると、これこそが習の人脈構築の原則なのだという。 (敬称略)


 当初は改革路線も掲げていた習近平ですが、このところは否定したはずの薄煕来の毛沢東回帰路線に傾いています。当然、李克強首相を筆頭とする団派の改革路線とは反する政策路線です。
 政権スタート時にはらんでいた、政権基盤となる政治局常務委員の改選に向けた椅子取り合戦は、時間の経過と共に熾烈になっていくことでしょう。
 団派が、政権を持つ習近平の取り崩しに耐えて結束が護れるのか。個人の地位欲に負けて寝返るのか、引き続き眼が離せません。
 また、こうした政局争いが続く限り、反日強硬姿勢(李克強首相も反日キャンペーンを外遊時に展開している)は、エスカレートしていくのでしょう。

 日本は、安倍政権が行っている、仲間を募って抑止力を高める外交を継続していくことになりますね。



 # 冒頭の画像は、習近平、李克強、張徳江、兪正声、劉雲山、王岐山、張高麗の中央政治局常務委員各氏




  ゲンノショウコと蜂


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