国連女子差別撤廃委員会が、日韓合意がなされ、両国政府が解決に向けた努力(内容には不満がありますが)していることを否定し、日本バッシングしたことは、諸兄がご承知のことで、遊爺もとりあげさせていただいていました。
今度は、国連のザイド・フセイン人権高等弁務官が国連人権理事会での演説で、慰安婦について「性奴隷」の言葉を使って、日韓合意に批判的な発言をしたのですね。フセイン氏はヨルダンの王族の一人で、国連大使などを経て2014年9月から現職。年次報告では、中東での人権侵害や欧州の難民などについての言及はあったが、今回の理事会で多くの出席者から批判のあった北朝鮮の人権問題には触れなかったそうで、日本狙い撃ちの感がありますね。
国連女子差別撤廃委員会は、国家間で解決合意したことの足を引っ張るな - 遊爺雑記帳
【国連女性差別撤廃委】「事務総長は無関係」と国連報道官 慰安婦問題の委員会見解に - 産経ニュース
【慰安婦問題】今度は国連人権高等弁務官が「性奴隷」表現使い批判 菅官房長官「極めて遺憾」と抗議 - 産経ニュース
国連女子差別撤廃委員会の日本バッシングの意見取りまとめは、杉山外務審議官が慰安婦問題で説明した際に反論していた、女子差別撤廃委員会・副委員長の鄒暁巧(Zou Xiaoqiao)(中華全国婦女連合会・国際連絡部部長)なのだそうですね。
ヨルダンの国連大使経験者で、わざわざ日本バッシングをしたとなれば、中国との連携を思い浮かべてしまうのは、遊爺だけでしょうか。
国連人権高等弁務官「安倍首相は元慰安婦と会い、直接話をするべき」=韓国ネット「日本がどんどん孤立していく」「安倍首相は謝罪よりも嫌がる!」 - レコードチャイナ 2015年6月27日 エキサイトニュース
「慰安婦問題は、なぜ国際的に誤解が広がったのか」という記事がありました。タイトルに引かれて読んでみましたが、結論は、遊爺の読解力不足のせいでよくわかりませんでした。しかし、「「本来の慰安婦」と「広義の慰安婦」における似て非なる2種類の名誉回復が必要」と、話を展開しておられ、初めて聞く論理で、傾聴に値する展開なので、備忘録として、転載させていただきます。
「なぜ国際的に誤解が広がったのか」の結論は読解出来ませんが、「本来の慰安婦」と「広義の慰安婦」の存在を説き、理解を得ることで、誤解をほどく助けにはなると考えますが、いかがでしょう。
# 冒頭の画像は、国連女子差別撤廃委員会の会場で立ち話する、中国出身の鄒暁巧委員会副委員長と、韓国人弁護士
この花の名前は、マルフジバカマ
↓よろしかったら、お願いします。
今度は、国連のザイド・フセイン人権高等弁務官が国連人権理事会での演説で、慰安婦について「性奴隷」の言葉を使って、日韓合意に批判的な発言をしたのですね。フセイン氏はヨルダンの王族の一人で、国連大使などを経て2014年9月から現職。年次報告では、中東での人権侵害や欧州の難民などについての言及はあったが、今回の理事会で多くの出席者から批判のあった北朝鮮の人権問題には触れなかったそうで、日本狙い撃ちの感がありますね。
国連女子差別撤廃委員会は、国家間で解決合意したことの足を引っ張るな - 遊爺雑記帳
【国連女性差別撤廃委】「事務総長は無関係」と国連報道官 慰安婦問題の委員会見解に - 産経ニュース
【慰安婦問題】今度は国連人権高等弁務官が「性奴隷」表現使い批判 菅官房長官「極めて遺憾」と抗議 - 産経ニュース
国連女子差別撤廃委員会の日本バッシングの意見取りまとめは、杉山外務審議官が慰安婦問題で説明した際に反論していた、女子差別撤廃委員会・副委員長の鄒暁巧(Zou Xiaoqiao)(中華全国婦女連合会・国際連絡部部長)なのだそうですね。
[スキャナー]慰安婦勧告に日本不満…国連委員会 報告書 : 読売プレミアム 2016年3月9日 <前略> まとめ役は中国人 報告書の取りまとめ役(主査)は、中国の民間団体「全国婦女連合会」国際部長を務める中国人女性(64)で、中国政府との結びつきが強いとされる。日本政府は、女性個人の意見が報告書に強く反映されたとみている。歴史認識を巡り、日本批判を国際的に展開してきた中国政府の意向が影響したとの見方もある。 <後略>
ヨルダンの国連大使経験者で、わざわざ日本バッシングをしたとなれば、中国との連携を思い浮かべてしまうのは、遊爺だけでしょうか。
国連人権高等弁務官「安倍首相は元慰安婦と会い、直接話をするべき」=韓国ネット「日本がどんどん孤立していく」「安倍首相は謝罪よりも嫌がる!」 - レコードチャイナ 2015年6月27日 エキサイトニュース
「慰安婦問題は、なぜ国際的に誤解が広がったのか」という記事がありました。タイトルに引かれて読んでみましたが、結論は、遊爺の読解力不足のせいでよくわかりませんでした。しかし、「「本来の慰安婦」と「広義の慰安婦」における似て非なる2種類の名誉回復が必要」と、話を展開しておられ、初めて聞く論理で、傾聴に値する展開なので、備忘録として、転載させていただきます。
慰安婦問題は、なぜ国際的に誤解が広がったのか 根気強く真摯に説明を!「慰安婦問題」本質的解決への道(後篇) | JBpress(日本ビジネスプレス) 2016.3.11(金) 井出 智明
従軍慰安婦問題を本質的に解決していくためには、国際的に広がってしまった誤解を今後一歩ずつでも解いていくことが必要である。正しい理解醸成のためには、被害者感情に十分配慮した上で、きちんとしたエビデンス(証拠資料)=歴史事実に基づき、真摯に根気強く説明する努力を続けるしか方法はない。
前回(「慰安婦問題の一次資料には何が書かれているのか」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46281)は慰安婦問題に関するエビデンスとしての代表的一次資料を整理してみた。こうした資料が、慰安婦問題を議論する際のベースになる。だが、実際には日本でも韓国でもその中身が恣意的に取捨選択・解釈され、さまざまな誤解が生じている。今回は一体どのような誤解が生じているのかを見ていこう。
誤解を生ずる要因の主なものを3つ挙げる。それぞれについて、その内容と、どうすれば誤解が解けるのかを整理してみる。
■要因(1)~「慰安婦」とは誰を指すのか?
今回の日韓合意では、「慰安婦問題」という言葉が政府によって公式に定義された。外務省発表資料によると、「当時の(日本)軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」という定義である。
ところが、あえて曖昧さを残すなど様々な配慮をしたせいか、2つの異なる内容を1つの文章にまとめてしまったため、逆に「慰安婦」の実像が分かりにくくなってしまった。
本来の言葉の意味を厳密に定義するならば、「慰安婦」とは当時の軍政規定(例えば、「軍政規定集第三號[馬来政監部]昭和18・11・11」)等で定義される、軍の特殊慰安施設(慰安所)に従事する女性」たちのことである。
名乗り出ている人は多くないが、「本来の慰安婦」は、そのほとんどが貧しい地方の出身ながら自らの親兄弟姉妹を飢餓や借金から救うために、(現地の市民と兵士を守るために)名誉と尊厳と覚悟を持って軍慰安業務に従事した人々である。厳しい時代を必死に生きた人々である。多くの「本来の慰安婦」が将兵と結婚し、または借金返済後にさらにお金を貯めて故郷に家を建てた等の証言もある。
ところが、そうして「本来の慰安婦」として従事したにもかかわらず、米軍調書でも「単なる売春婦」などと表記され、戦後の社会でも醜業従事者扱いされて、蔑まれ、貶められた人も大勢いた。
特に戦後の「RAA」(詳しくは後述)管轄の「本来の慰安婦」は、一般市民を守ったにもかかわらず、GHQ命令による組織廃止後、非常に厳しい環境に置かれた人が多かった。慰安所制度自体が、軍および政府による統治機構の一環として導入された制度であった以上、命を懸けて戦った「本来の慰安婦」たちの歴史的「名誉回復」が図られることは重要である。
一方、現在、被害救済補償と名誉回復を訴えている女性たちは、戦時における人身売買・拉致・監禁・暴力・傷害・強姦、性的搾取・詐欺・給与不払い等の犯罪被害者である。被害者の証言からも明らかなように、そこにはレイプなど性暴力犯罪の直接の被害者や、正規の慰安所とは関係のない現地売春施設に騙して連れてこられ、暴力的に監禁され、給与も支払われなかったといったケースが多く含まれている。
これらの犯罪被害者の方々は、被害者でありながら当時犯罪申告ができず、その救済措置や加害者への科罰等が行われずに泣き寝入りするしかなかった。さらに、むしろ被害を受けたことで社会からいわれのない醜業従事者的扱いを受け、蔑まれ、特に戦後帰国してから厳しい生活を強いられてきた経緯を証言されている。
現在、「慰安婦」という言葉は、もっぱらこうした犯罪被害者の総称として用いられていることが多い。こちらはいわば「広義の慰安婦」である。
「慰安婦問題」では「本来の慰安婦」と「広義の慰安婦」における似て非なる2種類の名誉回復が必要とされる。両者の混同が国内外の誤解の一因ともなっているので、もっと言葉の定義を厳密化させた方が良いという考え方もある。しかし定義を厳密化していくと、「本来の慰安婦」の方々も、「広義の慰安婦」の方々も痛くない腹まで探られ、心情的にさらに辛い立場に追い込まれる可能性が高い。そうした心情を慮ると、多くの人が納得できる範囲で適度に曖昧さを残しながらの解決を模索していくことも必要なのかもしれない。
■要因(2)~軍はすべてを「管理」できていたのか?
慰安所制度の導入は、兵士の士気高揚・病気予防・情報漏洩防止といった直接的軍事目的以外に、兵士による現地一般市民に対する性暴力犯罪予防という現地統治の平穏化目的もあった。
その制度は軍が考案した苦肉の策であり、慰安所の設置や慰安婦の輸送に関する便宜供与、医療検査、経営監査などに至るまで、軍が深く「関与」していたことについては、資料も十分に残っており、異論のある人はおるまい。
しかし、軍政規定が明示するように、慰安所制度自体は、厳しい条件を満たす民間業者に軍から与えられた営業許可=ビジネスライセンスである。日本国内でも警察を含めて同制度への批判が大きかったので、皇軍として「日本人タルノ品格ヲ保持」するために、非常に詳細なレギュレーションを課したのである。
前篇で触れた米軍尋問調書No.49にあるビルマ・ミッチーナの慰安婦たちの証言記録からは、少なくとも軍政規定を遵守し、女性の労働意思や給与支払いの確認等含めて、遵法的に経営されていた慰安所がそれなりに存在していたことが分かる。また犯罪被害者の複数証言からも、女性に暴力をふるった兵士が憲兵に連行されるなど、軍としても軍人犯罪の取締りをそれなりに努力していた様子もうかがえる。軍の評判が落ちれば、制度の目的が達せられず、軍そのものが困るからである。
しかし一方で、現地の売春業者が客寄せや女性確保のために勝手に「軍慰安所」を名乗り、それを軍が取締まったケースの資料も残っている。これは、本来の慰安所たりえない仕様の施設に拉致・監禁され客を取らされていたケースにもかかわらず「軍慰安所」の表記を見たという証言があることなどからも裏付けられる。
また戦争終盤には、戦況の悪化と共に正規の軍慰安所の設置そのものが難しくなり、医療検査など最低条件のクリアのみで現地の売春施設に「慰安所」名称を使用許可した例もある。そうしたケースでは女性の労働意思や給与支払いの確認までは行われていなかった可能性も高い。つまり、意図せざるとはいえ、軍が現地反社会的組織の犯罪を見過ごしてしまっていた可能性も残り、その点での責任は重大である。
<中略>
■要因(3)~慰安所制度は「必要悪」なのか?
前述したように、慰安所制度の目的の1つは、軍の将兵に現地一般市民に対しての性暴力犯罪を起こさせないことであった。しかし同制度は、当時ですら日本国内で賛否が分かれていたわけだが、現代的価値観や倫理観からすると到底容認できない考え方である。
では、当時の慰安所制度自体が完全否定されるべきだったのか。その点については時代背景も踏まえた議論が必要となる。
ここでは「RAA」(特殊慰安施設協会)の例を挙げておこう。RAAとは、大東亜戦争終結後、日本政府の意志によって作られた国内慰安所制度を支えた組織である。
ノルマンディー上陸作戦後の米英加軍兵士による仏独女性レイプ多発や、沖縄上陸後の米軍によるレイプ事件多発等の報告から、敗戦後の日本においても連合国軍兵士による日本の一般女性に対するレイプ事件が多発することが予測された。そのため、日本政府は、一般婦女子の貞操を護る「防波堤」として、敗戦後すぐ国内各所に特殊慰安所を設置した。
そこでは、もともと売春業務に従事してきた女性以外に、高額の報酬を提示しての募集を受けて、戦後自分自身が生きていくことや家族を食べさせていくことに必死であった女性達が多数応募した。具体的な業務内容を聞いて多くは去った人も多かったが、覚悟を決めた人も多数いた。
RAAは終戦後すぐの8月27日に第1号施設が開設され、翌年3月26日にGHQによる閉鎖命令が出るまで、ちょうど7カ月の間開設されていた。一度は日本政府の申し出を認めつつも、もともと公娼制度を認めていなかった米国ではRAAを売春制度とみなし、廃止に至ったわけである。その廃止にあたっては、女性の人権を重視したエレノア・ルーズベルト氏(故フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領夫人)の反対意見も少なからず影響したと言われている。
RAAの効果について網羅的な統計は残っていないが、残存する資料などから各種試算も行われている。米国の歴史学者であるジョン・ダワーMIT教授が引用した試算では、戦後の進駐軍による日本国内でのレイプ犯罪の件数は、RAA設置期間中は40件/日であったのに対して、RAA廃止後の半年間では330件/日であったとしている。すなわち単純計算するとRAAは7カ月間で約6万件の米兵によるレイプ事件を防いだことになる。
またエレノア氏の人権重視発言によりRAAが廃止されたため、本来防げた可能性があったにもかかわらず、その後半年間で5万人以上の一般日本人女性が、追加で米兵にレイプされてしまったこととなる。RAA慰安婦たちが自ら進んで望んだのか否かはさておき、数字に多少のぶれがあったとしても、結果的に慰安所制度が性犯罪抑止に大きく効果を発揮したことに疑いの余地はない。
戦時中の中国や東南アジア等に設置された慰安所制度でも同様の効果があったと仮定すると、その効果は絶大であったことが推計される。米軍によるビルマ人捕虜尋問記録でも、日本軍支援による英国からの独立達成時に、直後は混乱し日本兵によるレイプ事件等が多少発生したものの、その後(おそらく慰安所設置後)はほとんど犯罪が無かった旨を多くの現地の人が証言している。
ただし、だからといってそうした制度が肯定されるわけではない。まだまだ社会的弱者でありがちな女性の人権を考えた場合、やはり尊厳や名誉が傷つけられる犯罪の温床となりやすい点を否定しきれないからである。そうした犯罪の悲劇が二度と起こらぬよう、日本は史的事実を胸に深く刻みつつ、国際社会をリードして取り組んでいくべき課題である。
年末の日韓外相会談時に、安倍首相による「心からのおわびと反省の気持ち」が表明されたこともあり、戦時犯罪被害者である「広義の慰安婦」の方々にも「本来の慰安婦」の方々にも、日本国民の総意的な謝意がある程度は伝わったものと筆者は理解している。今後は国際社会全体でも「慰安婦問題」の誤解が解け、全ての「慰安婦」の方々に対する一層の名誉回復が進むことを祈念している。
従軍慰安婦問題を本質的に解決していくためには、国際的に広がってしまった誤解を今後一歩ずつでも解いていくことが必要である。正しい理解醸成のためには、被害者感情に十分配慮した上で、きちんとしたエビデンス(証拠資料)=歴史事実に基づき、真摯に根気強く説明する努力を続けるしか方法はない。
前回(「慰安婦問題の一次資料には何が書かれているのか」http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46281)は慰安婦問題に関するエビデンスとしての代表的一次資料を整理してみた。こうした資料が、慰安婦問題を議論する際のベースになる。だが、実際には日本でも韓国でもその中身が恣意的に取捨選択・解釈され、さまざまな誤解が生じている。今回は一体どのような誤解が生じているのかを見ていこう。
誤解を生ずる要因の主なものを3つ挙げる。それぞれについて、その内容と、どうすれば誤解が解けるのかを整理してみる。
■要因(1)~「慰安婦」とは誰を指すのか?
今回の日韓合意では、「慰安婦問題」という言葉が政府によって公式に定義された。外務省発表資料によると、「当時の(日本)軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」という定義である。
ところが、あえて曖昧さを残すなど様々な配慮をしたせいか、2つの異なる内容を1つの文章にまとめてしまったため、逆に「慰安婦」の実像が分かりにくくなってしまった。
本来の言葉の意味を厳密に定義するならば、「慰安婦」とは当時の軍政規定(例えば、「軍政規定集第三號[馬来政監部]昭和18・11・11」)等で定義される、軍の特殊慰安施設(慰安所)に従事する女性」たちのことである。
名乗り出ている人は多くないが、「本来の慰安婦」は、そのほとんどが貧しい地方の出身ながら自らの親兄弟姉妹を飢餓や借金から救うために、(現地の市民と兵士を守るために)名誉と尊厳と覚悟を持って軍慰安業務に従事した人々である。厳しい時代を必死に生きた人々である。多くの「本来の慰安婦」が将兵と結婚し、または借金返済後にさらにお金を貯めて故郷に家を建てた等の証言もある。
ところが、そうして「本来の慰安婦」として従事したにもかかわらず、米軍調書でも「単なる売春婦」などと表記され、戦後の社会でも醜業従事者扱いされて、蔑まれ、貶められた人も大勢いた。
特に戦後の「RAA」(詳しくは後述)管轄の「本来の慰安婦」は、一般市民を守ったにもかかわらず、GHQ命令による組織廃止後、非常に厳しい環境に置かれた人が多かった。慰安所制度自体が、軍および政府による統治機構の一環として導入された制度であった以上、命を懸けて戦った「本来の慰安婦」たちの歴史的「名誉回復」が図られることは重要である。
一方、現在、被害救済補償と名誉回復を訴えている女性たちは、戦時における人身売買・拉致・監禁・暴力・傷害・強姦、性的搾取・詐欺・給与不払い等の犯罪被害者である。被害者の証言からも明らかなように、そこにはレイプなど性暴力犯罪の直接の被害者や、正規の慰安所とは関係のない現地売春施設に騙して連れてこられ、暴力的に監禁され、給与も支払われなかったといったケースが多く含まれている。
これらの犯罪被害者の方々は、被害者でありながら当時犯罪申告ができず、その救済措置や加害者への科罰等が行われずに泣き寝入りするしかなかった。さらに、むしろ被害を受けたことで社会からいわれのない醜業従事者的扱いを受け、蔑まれ、特に戦後帰国してから厳しい生活を強いられてきた経緯を証言されている。
現在、「慰安婦」という言葉は、もっぱらこうした犯罪被害者の総称として用いられていることが多い。こちらはいわば「広義の慰安婦」である。
「慰安婦問題」では「本来の慰安婦」と「広義の慰安婦」における似て非なる2種類の名誉回復が必要とされる。両者の混同が国内外の誤解の一因ともなっているので、もっと言葉の定義を厳密化させた方が良いという考え方もある。しかし定義を厳密化していくと、「本来の慰安婦」の方々も、「広義の慰安婦」の方々も痛くない腹まで探られ、心情的にさらに辛い立場に追い込まれる可能性が高い。そうした心情を慮ると、多くの人が納得できる範囲で適度に曖昧さを残しながらの解決を模索していくことも必要なのかもしれない。
■要因(2)~軍はすべてを「管理」できていたのか?
慰安所制度の導入は、兵士の士気高揚・病気予防・情報漏洩防止といった直接的軍事目的以外に、兵士による現地一般市民に対する性暴力犯罪予防という現地統治の平穏化目的もあった。
その制度は軍が考案した苦肉の策であり、慰安所の設置や慰安婦の輸送に関する便宜供与、医療検査、経営監査などに至るまで、軍が深く「関与」していたことについては、資料も十分に残っており、異論のある人はおるまい。
しかし、軍政規定が明示するように、慰安所制度自体は、厳しい条件を満たす民間業者に軍から与えられた営業許可=ビジネスライセンスである。日本国内でも警察を含めて同制度への批判が大きかったので、皇軍として「日本人タルノ品格ヲ保持」するために、非常に詳細なレギュレーションを課したのである。
前篇で触れた米軍尋問調書No.49にあるビルマ・ミッチーナの慰安婦たちの証言記録からは、少なくとも軍政規定を遵守し、女性の労働意思や給与支払いの確認等含めて、遵法的に経営されていた慰安所がそれなりに存在していたことが分かる。また犯罪被害者の複数証言からも、女性に暴力をふるった兵士が憲兵に連行されるなど、軍としても軍人犯罪の取締りをそれなりに努力していた様子もうかがえる。軍の評判が落ちれば、制度の目的が達せられず、軍そのものが困るからである。
しかし一方で、現地の売春業者が客寄せや女性確保のために勝手に「軍慰安所」を名乗り、それを軍が取締まったケースの資料も残っている。これは、本来の慰安所たりえない仕様の施設に拉致・監禁され客を取らされていたケースにもかかわらず「軍慰安所」の表記を見たという証言があることなどからも裏付けられる。
また戦争終盤には、戦況の悪化と共に正規の軍慰安所の設置そのものが難しくなり、医療検査など最低条件のクリアのみで現地の売春施設に「慰安所」名称を使用許可した例もある。そうしたケースでは女性の労働意思や給与支払いの確認までは行われていなかった可能性も高い。つまり、意図せざるとはいえ、軍が現地反社会的組織の犯罪を見過ごしてしまっていた可能性も残り、その点での責任は重大である。
<中略>
■要因(3)~慰安所制度は「必要悪」なのか?
前述したように、慰安所制度の目的の1つは、軍の将兵に現地一般市民に対しての性暴力犯罪を起こさせないことであった。しかし同制度は、当時ですら日本国内で賛否が分かれていたわけだが、現代的価値観や倫理観からすると到底容認できない考え方である。
では、当時の慰安所制度自体が完全否定されるべきだったのか。その点については時代背景も踏まえた議論が必要となる。
ここでは「RAA」(特殊慰安施設協会)の例を挙げておこう。RAAとは、大東亜戦争終結後、日本政府の意志によって作られた国内慰安所制度を支えた組織である。
ノルマンディー上陸作戦後の米英加軍兵士による仏独女性レイプ多発や、沖縄上陸後の米軍によるレイプ事件多発等の報告から、敗戦後の日本においても連合国軍兵士による日本の一般女性に対するレイプ事件が多発することが予測された。そのため、日本政府は、一般婦女子の貞操を護る「防波堤」として、敗戦後すぐ国内各所に特殊慰安所を設置した。
そこでは、もともと売春業務に従事してきた女性以外に、高額の報酬を提示しての募集を受けて、戦後自分自身が生きていくことや家族を食べさせていくことに必死であった女性達が多数応募した。具体的な業務内容を聞いて多くは去った人も多かったが、覚悟を決めた人も多数いた。
RAAは終戦後すぐの8月27日に第1号施設が開設され、翌年3月26日にGHQによる閉鎖命令が出るまで、ちょうど7カ月の間開設されていた。一度は日本政府の申し出を認めつつも、もともと公娼制度を認めていなかった米国ではRAAを売春制度とみなし、廃止に至ったわけである。その廃止にあたっては、女性の人権を重視したエレノア・ルーズベルト氏(故フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領夫人)の反対意見も少なからず影響したと言われている。
RAAの効果について網羅的な統計は残っていないが、残存する資料などから各種試算も行われている。米国の歴史学者であるジョン・ダワーMIT教授が引用した試算では、戦後の進駐軍による日本国内でのレイプ犯罪の件数は、RAA設置期間中は40件/日であったのに対して、RAA廃止後の半年間では330件/日であったとしている。すなわち単純計算するとRAAは7カ月間で約6万件の米兵によるレイプ事件を防いだことになる。
またエレノア氏の人権重視発言によりRAAが廃止されたため、本来防げた可能性があったにもかかわらず、その後半年間で5万人以上の一般日本人女性が、追加で米兵にレイプされてしまったこととなる。RAA慰安婦たちが自ら進んで望んだのか否かはさておき、数字に多少のぶれがあったとしても、結果的に慰安所制度が性犯罪抑止に大きく効果を発揮したことに疑いの余地はない。
戦時中の中国や東南アジア等に設置された慰安所制度でも同様の効果があったと仮定すると、その効果は絶大であったことが推計される。米軍によるビルマ人捕虜尋問記録でも、日本軍支援による英国からの独立達成時に、直後は混乱し日本兵によるレイプ事件等が多少発生したものの、その後(おそらく慰安所設置後)はほとんど犯罪が無かった旨を多くの現地の人が証言している。
ただし、だからといってそうした制度が肯定されるわけではない。まだまだ社会的弱者でありがちな女性の人権を考えた場合、やはり尊厳や名誉が傷つけられる犯罪の温床となりやすい点を否定しきれないからである。そうした犯罪の悲劇が二度と起こらぬよう、日本は史的事実を胸に深く刻みつつ、国際社会をリードして取り組んでいくべき課題である。
年末の日韓外相会談時に、安倍首相による「心からのおわびと反省の気持ち」が表明されたこともあり、戦時犯罪被害者である「広義の慰安婦」の方々にも「本来の慰安婦」の方々にも、日本国民の総意的な謝意がある程度は伝わったものと筆者は理解している。今後は国際社会全体でも「慰安婦問題」の誤解が解け、全ての「慰安婦」の方々に対する一層の名誉回復が進むことを祈念している。
「なぜ国際的に誤解が広がったのか」の結論は読解出来ませんが、「本来の慰安婦」と「広義の慰安婦」の存在を説き、理解を得ることで、誤解をほどく助けにはなると考えますが、いかがでしょう。
# 冒頭の画像は、国連女子差別撤廃委員会の会場で立ち話する、中国出身の鄒暁巧委員会副委員長と、韓国人弁護士
この花の名前は、マルフジバカマ
↓よろしかったら、お願いします。